第5話 生死の境界にて、契約を
気づいた時、ユートは白一色の世界に立っていた。
彼以外には誰もいない。
容赦のない苛烈な攻撃を浴びせてくるクラスメイトも、その愛竜も。
影も形も、見当たらない。
「死んだのか、俺?」
口に出せば、なるほどと腑に落ちた。
ここが死後の世界であれば、それは彼らがいる方が不自然と言うものだ。
だが、その予想を裏切るように、先ほど聞こえた声が響く。
「否。汝は未だ死してはいない。ここは現世と冥府の境界とも言うべき場所。死に瀕したユート・サクラの魂は今、ここを越えるか否かの瀬戸際に立っていると言えよう」
「――誰だ!」
辺り一面から響く、謎の声の主。
その姿を探し求めてユートは周囲に視線を走らせるが、やはり見当たらない。
ただ無窮の光が延々と続く不可思議な世界に、声は続く。
「我が何者か? ――我は力である。我は正義の使徒である。我は、勝利を司る獣である」
「それは凄いな……でも、そうじゃなくて。姿を見せて、名前を教えて欲しいんだが?」
「姿ならばとうに見せている。名は、ヴィクトリアス」
「ヴィクトリアス……?」
首を傾げるユートに声の主、ヴィクトリアスは重ねて言う。
「問おう、ユート・サクラ。汝、常勝の王たることを望むか?」
「ああ……そう言えば、さっきもそんな事を言ってたな。正直よく分からないが、それで、俺がそれを望むって言ったらどうなるんだ?」
「汝に力を。正義を叶えるための武を。そして――勝利を授けよう。それが我の権能なれば」
ヴィクトリアスの口調には、揺るぎはない。
三竜騎士の攻撃を受けて今まさに死に瀕しているユートに、それでもなお、勝利をもたらしてみせると宣う。
心を読んだように、ヴィクトリアスは応える。
「肉体の死は敗北にあらず。精神の死こそ、真の敗北なれば。我は汝に不屈の加護を与えん。すなわち、騎士は決して倒れじ――勝利を望む限り、なにがあろうと勝利までの道が汝の前に拓けよう」
「……そうか」
ユートには、正直これが現実なのかどうかもよく分かっていない。
だが、例えこのヴィクトリアスと名乗る相手が、自分の脳が末期に用意した胡蝶の夢であろうと。
先に叫んだ、負けたくない――勝ちたいという想いは、偽りの妄想などではない。
自分はまだ、負けていない。
そして勝てる可能性を万が一にも引き寄せられるのなら、それを掴んでみせる。
拳を固く握りしめ、ユートは頷いた。
「分かった。それなら、その力をくれ」
「心得た。なれば、ここに約定の証を立てるとしよう」
ユートの立っていた足元に、薄く魔法陣が拡がる。
彼はこれと似たようなものを知っていた。
学院に存在する、竜との契約を望む者の下に相性の良い竜を召喚する魔法。
だが、よく見れば細部の術式が異なっている。
その最たるものは、中央に描かれた紋章だ。
そこには彼の知る竜を模した刻印はなく、代わりに翼の生えた馬の紋章が刻まれていた。
「我、天馬ヴィクトリアスがここに契約を為す。騎士ユート・サクラを主と定め、彼の者に不動の信念ある限り勝利の御旗となることを誓おう――」
ヴィクトリアスの述べた誓いに、ユートの口が自然と応じる。
「我、ユート・サクラが応じる。汝、天馬ヴィクトリアスを友と定め、不朽の士魂を以て世界に凱旋の狼煙を掲げよう――」
魔法陣の輝きが、彼の身体を包み込む。
暖かな星屑の如き煌めきの奔流が、ユートを生きる者の世界へと押し戻す。
「――ここに契約は完了した。では、あちら側でもよろしく頼む。まずはあのロクでなしの爬虫類どもに、目にもの見せてやるとしようではないか。準備は良かろうな、我が主殿?」
「もちろん。覚悟はとうに出来てるさ。いつでも行ける」
「それは重畳。ならば好きに振るうが良い。汝の手にした、新たなる騎士の輝きを!」
気高き天馬の嘶きに背中を押され、ユートは再び現世へと舞い降りる――。