第4話 竜装具
「――やったぜ! 聞いたかお前ら!? やるぞ!」
「くっ、こんなのに使うなんて……!」
「うおおおっ!」
教師から飛んできた言葉にクラスメイト達が喜ぶ中、ユートは戦慄を隠し切れなかった。
「――っ、嘘だろ? 正気かあの教官は?」
竜装具。
それは、竜の力を一時的に契約者に貸し与える魔法武器だ。
生半可な武器を遥かに凌駕する威力を持つ、各竜につき一つの聖なる武器。
間違っても、たかだか勉強の場に持ち出すような代物ではない。
しかし、中々状況が思い通りに行かず鬱憤の溜まっていた彼らは、そんなことは考えつきもしなかったようだ――。
「来たれ、剣よ!」
「麗しの弓をこの手に!」
「迸れ、我が聖槍!」
剣、弓、槍――深き神々しさを秘めた武装が、それぞれ彼らの手元に展開される。
光の粒子が魔法陣を潜りながら武具の形を織り成すその光景は実に幻想的だが、見惚れている場合ではない。
「我が四肢よ、我が意のままに強くあれ――必至の運命なにするものぞッ!
『我竜転生』!」
ユートは既に強化魔法を発動させていたところに、更に重ね掛けする。
全身が軋むような音を立てるが、こうしなければ待っているのは黄泉の川渡しとの初にして最後の顔合わせだ。
――自分はまだ、夢の一欠けらすら掴んでいない。
こんな所で負けてたまるか――死んでたまるかと、ユートはこれまでとは段違いの速度で駆け出した。
「ははっ、これなら――そら、これでも喰らえ!」
一直線に突き出された馬上槍、その穂先から渦巻く火焔がユートへ向けて飛翔してくる。
その狙いは確かなもので、もはや同士討ちは狙えない。
となればもはや、生き残るには何とかして逃げる――演習場からの脱出を図るよりほかはない。
ユートは逃げるのに邪魔な大刀を捨てて、全速力で外周にある出入口へと向かう。
身を掠めた炎が太腿を焼くが、彼は歯を食いしばって堪える。
「逃げるなんて許さないわ!」
お次は、風を纏った剛矢だ。
背中目掛けて飛来してくるそれを、ユートは咄嗟に身を屈めて交わした。
どかんっ! ――前方には、砲弾が着弾したかのようなクレーターが出来ていた。
当たっていればどうなっていたか、想像するだけで恐ろしい。
「逃がすものか!」
今度は地を四脚で走る竜に乗ったクラスメイトが、ユートの行く先に先回りして、そこから死神の鎌のように剣を構えて正面から迫ってくる。
分厚い竜の顔面に衝突すればトマトのように潰れてしまうだろうし、それを回避しようとすれば剣で頭をカチ割られるだろう。
だが、下手に大きく避ければまた別のクラスメイトによって演習場の中央に追い立てられるかもしれない。
それくらいならばいっそ、とユートは勇猛果敢に敵の懐に飛び込むことを選んだ!
「なにっ!?」
迷わず突っ込んでくるユートの姿に、相手が一瞬顔を驚愕に歪める。
それも束の間――彼はそれならばと、すかさず次の手を仕込み始める。
右手に剣を構え、左手に渦巻く火焔の珠を生成。
ユートが左手と右手のどちらに逃げても対処できるように、構えを取る。
はたして、彼が見出した活路は右か左か――?
「――下か!」
竜の巨体は確かに脅威だ。
だがそれが災いして、足元には背後へと抜けられる小さな隙間が存在する。
半ば飛び込むような形でユートは思いっきり姿勢を低くして、敵の懐へ潜り込んだ。
もちろん竜の方もそれを易々と見逃すはずがなく、腹の下にユートが潜り込んだと知るや否や、両足を地面から離して押し潰そうと試みた。
しかし、互いに全力で駆けていたが故に、交錯したのもほんの一瞬の出来事。
竜の巨体が重力に従って地面に落ちるよりギリギリ早く、ユートは紙一重の差で相手の腹下から抜け出すことに成功していた。
「くそっ、逃げるな!」
苦し紛れに乗り手の火球が放たれたが、遅れてやってきた愛竜の着地の衝撃によって狙いが外れ、あらぬ方向へ飛んで行ってしまう。
後は演習場の出入り口までほんの少し走りきれば、なんとかなる。
――そう考えていたユートの一歩手前を、上空から業火が焼き払った。
「何をしている。騎士たる者、逃げることは許されんに決まっているだろう? 戻れ、ユート・サクラ」
その攻撃の正体は、教官が召喚した竜の火焔だった。
彼の言う通り、騎士に逃亡は許されない。
国防の要である竜騎士に逃亡を許せば、国家が成り立たなくなるからだ。
敵前逃亡はどこの国であっても、例外なく死罪に当たる。
――だが、この状況は別に、命をかけなければならないほど重要な局面ではない。
殺傷性の極めて高い竜装具まで持ち出してユートを嬲るのは、もはや竜騎士の授業に相応しいものですらなくなっているではないか。
「……はい」
これではもはや、どうしようもないじゃないか――それでも、ユートは反転せざるを得なかった。
背後には火焔の海、前方には怒りと嗜虐心を昂らせる竜とその騎士が三組。
絶体絶命のピンチだが、切り抜けなければならないのだ。
――どうしようもない?
だが、どうにかしなければ勝ち目はない。
「はっ……勝ち目か」
こんな状況でユートの勝てる可能性など、ゼロに等しい。
それでも勝利の目を探っている自分がいることに、彼は気づいた。
――誰よりも強く、輝かしい竜騎士になる。
その夢は、未だユートの胸の中で煌々と燃えている。
必死の状況の中でも、なお……否。だからこそ、より強く。
「良いぜ、やってやるよ。……そもそも、蟻んこだからっていつまでも黙って象に踏み潰されてると思うなよ」
被っていた丁重な口調の皮が外れ、彼本来の性格が姿を現わす。
じっと耐えていた方がこれまでは最善だっただけで――もとより彼は、極度の負けず嫌いなのだ。
ここまでの状況に追い込まれてなお黙ってなど、いられない。
なんのためにこれまで、独りで地道ながら努力を続けてきたのか。
レイや教師の親切に頼ってまで、学院に図々しく居座り続けていたのか。
――それらは全て、自身の夢を叶えるためだ。
努力を形と成すために。
そして彼らに恩をきっちり返すために、ここで無様に死ぬわけにはいかない……どうしても。
「俺は、最高の騎士になる」
先ほどの地竜との交錯で頭皮が切れていたのか、ユートの額に遅れて血が流れてくる。
鬱陶しいそれを前髪と共にかき上げて、彼は前方に迫るクラスメイトとその騎竜らを睨みつけた。
「――聞け」
ユートの持つ、黒曜石の如き鋭い眼光が彼らを射抜く。
それを見て、クラスメイトとその愛竜たちの動きが一瞬止まった――止めさせられた。
たかが才のない、無能の竜騎士見習い以下の存在が放った気迫。
本来ならば鼻で笑って良いはずの彼の意志に、どうしてか、彼らは足を止めざるを得なかった。
「全ての竜騎士の頂点に立つ。立たなきゃ、これまで世話になった相手に顔向けできないもんな。
そのためには、お前らみたいなので止められるわけにはいかないんだ。
だから、これ以上ふざけたお遊びで邪魔をしないでくれよ」
語り出すユートに、教師が背後から文句を飛ばす。
「ふざけた、だと? この時間はれっきとした学院の演習だぞ! それをお遊びなどと――」
だが、彼はそれを一蹴した。
「こんなのの何処が授業だよ。天災みたいな力を自在に振り回す奴らが寄ってたかって、たった一人の人間を追いかける……これの何処がまともな光景なのか、言ってみろ!」
ユートの身に纏う強化魔法の光が、星のようにちかちかと瞬く。
魂から漏れ出す生命力の輝きが、理不尽な現在を未来へ貫かんと吠える。
――そうだ。
どうせ死ぬかもしれないのなら、竜もなにもあったものか!
「いい加減、我慢なんてもう知ったことか。
そっちがそこまでやるのなら仕方ない――俺だって、やってやる!
良いか、よく聞けお前ら!
俺の前に立ち塞がるのなら、例え竜だろうとぶっ飛ばす!
力及ばずだろうがなんだろうが、全身全霊で以てその身を滅ぼし尽くすっ!
生まれ持った運命なんて知ったことか――
――俺は、なにがあろうと俺の決めた道をただ突き進むのみだ!」
全身を泥と汗、そして自らの血に塗れさせながら、ユートは啖呵を切った。
誰が邪魔しようが、それを蹴っ飛ばして前へ進む。
お前たちの押し付ける、無抵抗の弱者のレッテルを被ったままでなどいるものか――と。
それを気に食わない教師が、唾を飛ばして命令した。
「世迷言を――やれ、お前たち! ならばお望み通り、こいつにお遊びではないお前らの本気を見せてやるが良い!」
「っ、行くぞヴェルグス!」
「やっちゃいましょうガフム! 力を貸して!」
「ガルファード、いざ征かん――吶喊だ!」
竜装具を輝かせた同級生たちが、それらを天に掲げる。
凄まじい魔力が武具の全体に滾り、同時に手綱を引かれて正気を取り戻した竜たちもまた口元に魔力を溜め込み始める。
たかが一人の竜騎士見習いに振るうべきではない過剰な火力が限界まで圧縮され、そして。
ユートを殺すべく、一挙に解き放たれた――。
「――はぁあああぁぁぁっ!」
もとより抗えるはずもない、暴撃の乱流。
その一筋一筋の隙間に身体を潜り込ませ、打って出ようとしたユートだったが、見積もりが甘かった。
視界の全てを塗り潰す竜騎士らの光には、抜けられそうなところなど一つもない。
ならばと身体を覆う強化魔法を全力で稼働させても、人の魔力ではたかが知れている。
逃げられず、耐え切れず。
光の中に突っ込んだユートは、空しくもクラスメイト達の理不尽によって灼かれ死ぬ。
――そのはず、だった。
――だが、これもまた運命の記した奇跡なのだろうか。
全身が焦げ落ちる感触に苛まれながら、それでもまだ、ユートはしぶとく敵の喉元へ迫らんとする。
そんな諦めの悪い彼の耳に、どこからともなく声が響いた。
――汝の宣言、我が聞き届けた。
――問おう、ユート・サクラ。
――汝、常勝の王たることを望むか?