第1話 未完の騎士
この度は拙作に触れてくださりありがとうございます。
どうぞ、主人公ともどもよろしくお願いいたします。
ユート・サクラは王国の見習い竜騎士である。
高次元の存在たる竜を駆り、陸と海、そして空を自在に支配する古今東西の英雄たち――いずれはその一端に名を連ねるだけに飽き足らず、頂に立たんと欲する黒髪の少年である。
常日頃から努力を惜しむことはなく、いずれ護ることになるであろう人々の模範足らんとする立派な半人前である。
しかし、残念なことに、人々はユートのことをこう呼ぶ――『未完の騎士』。
ありとあらゆる竜に嫌われ、愛竜を手にすることすらままならない彼に未来を期待する者はいない。
誰もがそう、ユートのことを哀れんでいた。
叶わない夢を見て、それでも諦めない彼を見苦しいと嘲笑っていた。
今日、この日までは。
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朝早く。
まだ暁の空が顔を見せていない頃から、稽古場に威勢のいい掛け声が一つだけ響いていた。
他には誰も、管理役の教官すらいない中で、ユートは模擬戦用の大刀を振るう。竜に騎乗した状態で振るうことを前提とした、身の丈を優に越える武器を彼は生身のままに自在に振り回す。
「――しっ! ――せっ! ――はぁっ!」
朝早くの簡単な掃除――使わせて貰う者としての礼儀だ、と彼は考えている――を終えてから、既に二時間近く、ユートは鍛錬を独りで続けている。
とうに体の暖まっている彼の吐く息は熱が籠り白く染まっている。
されど、決して乱れていない。
幼心に竜騎士になると決めてから十年近く、ひたすらに身体を苛め続けてきた証拠だ。
「――しぃやっ! ――てっ! ――そらっ!」
未だ薄暗い中、飛び散る汗が小粒の宝石のように宙を舞う。
細くしなやかながらも筋肉質な、少年の身体が開けた道着の隙間から覗く。
――やがて。稽古場に備え付けられた窓から、朝日が顔を覗かせた。
ようやっと「おはよう」と告げてくるような寝坊助の眩い光に、ユートは思わず漆黒の目を細めた。
同時に、道場の入り口の方に新たな気配が現れる。
「――おはよう、ユート君」
姿を現わしたのは、透き通るような青髪を持つ同年代の少女だった。
ユートはもちろん、相手のことを知っていた。
「おはようございます、王女殿下。毎度のことながら、御身の前にこの汚れた姿を晒す無礼をどうかお許しいただきたく」
「許します。楽にしなさい。……ねぇ、本当に毎回このやり取りをする必要があるの?」
呆れたような顔をする、この国の第三王女――レイ・アーレメアリス。
美しく愛らしい容貌で困った顔を浮かべた彼女の前には、瞬時に鍛錬を中断してその場に凛と膝をついていたユートの姿があった。
「たとえ見習いであっても、騎士は国王陛下、ひいては王家に仕える存在ですから。その辺りのケジメをつけておかなくては、誰に何を言われるか分からないでしょう。特に俺の場合、余計な面倒を起こしやすい。そうでしょう、レイ様」
「そんなことは……」
「誤魔化されなくても大丈夫ですよ。俺自身、よく知っていますから。……ここで真剣に竜騎士を目指してる才能のある奴らにとって、俺ほど目障りな奴はいないってね」
肩を竦めながら自分を卑下するユートに、レイは悲しそうな目を向けた。
――『未完の騎士』。
それが、彼がこの竜騎士育成機関に入学してから僅か半年も経たない内に全ての教師と生徒の知るところとなった、ユート・サクラの異名にして忌み名である。
「なにしろ、俺ほど竜に嫌われている奴はいない。顔を見られて、吠えられるだけで済めば御の字。暴れられて火焔竜息を吐かれたり、何時間も空から追い回されたり……」
「……それは、そうだけど」
それが、ユートという人間の決定的な欠点だった。
竜騎士になろうとする彼に対して、この世に顕現したありとあらゆる竜が唾を吐きかける。
まるで親の仇とでも言わんばかりに、竜たちはユートを嫌悪する――それは竜騎士を志す者にとって、致命的な弱点だった。
そして、既に竜と契約を結んで竜騎士として先を行っている同級生たちからしてみれば、傍にいるだけで愛竜の機嫌を損ねるユートは邪魔な存在でしかない。
「というわけで、そんな厄介者はここらで退散させていただきます。後はどうぞ御存分に鍛錬なさってください」
そう言って、ユートは手早く床に散った汗を水に濡らした雑巾で拭き始めた。
「え……ええ!? ちょっと待ってよ! 私は貴方と手合わせしようと思って来たのに、もう帰るなんてひどいじゃない!」
「? 手合わせの相手なら、もう少ししたら幾らでも来るでしょうに」
王女であるレイと一緒に鍛錬したいという者は数多く存在する。
彼女はその身分だけでなく、学院内でもトップクラスの実力を誇ると共に、なにより青桔梗のように可憐な少女であるからだ。
そして彼女が朝早くから鍛錬していることは、周知の事実となっている。
彼女に惹かれた連中がやって来てユートと出くわせば、間違いなく空気は最悪になる。
そうなる前に身を引く――鍛錬の場をどこか適当な、人目につかない場所に移すというのが彼の日課だった。
「確かにみんなと頑張るのも良いけれど……でも、白兵戦技で一番強いのってユート君だし。それに他の科目も、竜が関係ないのならユート君が一番じゃない!」
「それは本来なら竜との信頼を築く分の時間を、俺が勉強に使えているからです。そこまで誇ることじゃない。それに、レイ様は俺と違ってもう立派な竜騎士なんです。もう竜を従えた彼らと一緒にいることの方が、よっぽど重要だと思いますよ」
「ちょっと、待ってってば!」
突き放すように、ユートは掃除を終えて稽古場の外に出た。
あまりに素早い彼の動きにレイが追いすがろうとするが、そこに寮の方から響く大勢の足音が聞こえてくる。
「それでは、お互い今日も一日頑張りましょう。またクラスで」
「駄目よ、まだ話は終わってないんだから! 待ちなさい、ユートく――」
逃がすまいと、レイが立ち去るユートへ向けて腕を伸ばす。
しかし、それを遮るようにして、数多の生徒が彼とレイの間に立ち塞がる。
「おはようございます、王女殿下!」
「ごきげんよう、今日も麗しいですわレイ様!」
「どうか我々にその素晴らしい御業をご教授ください、『永氷の王女』!」
興奮する人々の波が次から次へと彼女に押し寄せて、ユートの姿を掻き消す。
段々と遠ざかっていく彼の背中を、レイは今日も掴むことが出来なかった。
「まったく、王女様は本当に物好きだな」
ユートの耳は、背後で騒ぐ生徒たちの隙間から届く王女の声をしっかり聞き分けていた。
その上で、彼は早足で誰にもちょっかいをかけられる心配のない近場の森へと向かう。
皮肉気な声色とは裏腹に、呟く彼の顔は苦笑交じりだった。
レイ・アーレメアリスは本当に良いお方だ、と彼は思っている。
なにせ竜騎士にとって最も大事な才能が欠けているユートを逐一心配し、声をかけてくれるのだから。
――だからこそ、親切な彼女の側に近寄るわけには行かない。
立派な王女の傍に不純物がいては、迷惑をかけるだけだ。
いずれ、これまでに受けた恩を返せるようになるまで、自分はこれ以上彼女に甘えるべきではない。
「……よし」
一際強く大刀を握りしめて、ユートは木々を相手に打ち込みを始めるのだった。