2 爽やかで、痛い朝
パンツを穿き替えて(ちなみに俺は、幼稚園の頃からブリーフ一筋で通している)朝の支度を整えた俺は、学校に向かうべく家を出た。
俺の住んでいる所は蟹張町という田舎町で、駅前にちょっとした商店街がある以外には、殆どが田畑と山。
そしてその中に民家が点々とある程度の町だ。
そんな民家のひとつが俺の住む家であり、その隣に、あの伊緒が住む家が並んで建っている。
どっちも二階建ての、これといって特徴のない平凡な家だ。
ところでいつもだったら伊緒が毎朝元気な声で迎えに来るのだが、今日は一向にその気配がない。
寝坊でもしたのか?
そう思って道に出て前を見やると、五十メートル程前方で、田んぼに挟まれた細い農道を、伊緒が一人で歩いているのが見えた。
今日に限って一人で先に行くとはどういう了見だろう?
まさか、昨日のアレ(プロローグでのアレ)をまだ怒っているんだろうか?
ともかく俺は、伊緒の後を追って走り出した。
「伊緒ーっ!」
走りながら俺は伊緒の名を呼んだ。
すると伊緒はチラッと俺を見やると、そっぽを向いてそのまま走り出す。
「伊緒ーっ!待ってくれよーっ!・・・・・・ハァ、ハァ・・・・・・」
走りながら叫ぶと息が切れるのが早い。
しかし伊緒は一向に止まってくれそうにもないので、俺は一生懸命走りながら尚も叫び続けた。
「ハァ、ハァ、い、伊緒!待ってくれ!一人で先に、イかないでくれ!ハァ、ハァ、イくなら俺と、一緒にイこう!」
すると伊緒は、
「もぉおっ!」
と叫んで立ち止まり、俺の方にクルリと振り返った。
そして目の前に俺がたどり着くと、昨日と同じように顔を真っ赤にした伊緒は、怒りの口調でこう言った。
「朝からエッチな事を言わないでよ!そういうのは駄目だって昨日も言ったじゃない!」
「ハァ、ハァ、な、何だって?俺は、ゼェ、全く、ゼェ、そういうつもりは、ハァ、なかったんだが・・・・・」
何とか息を整えて反論したが、伊緒は全く聞き入れる様子もなく続けた。
「それでもヤー君の言う事はいちいち何かエッチなの!」
「そ、そんな、俺はただ、伊緒が先にイこうとするから、いつもみたいに一緒にイこうと思って────」
「だぁかぁらぁ!その言い回しが何かエッチなんだってば!」
「難しいな。これぞまさしく、女心と秋の空だな」
「全然違ぁーうっ!」
などと二人で言い合っていると、横から、
「朝から随分と賑やかな事だな」
と、口を挟んで来た人物がいた。俺と伊緒が言い合いをやめてそっちに振り向くとそこに、細身で俺より
頭一つ程背が高く、黒くて長い髪をポニーテールにし、伊緒と同じ制服を着た女子生徒が居た。
その姿を見るなり、伊緒は泣きそうな顔で、
「葛お姉ちゃぁ~ん」
と言って彼女に抱きつき、彼女のその豊満な胸元に顔を埋めた。
彼女の名は九輪葛。この近くにある神社の一人娘で、歳は俺や伊緒より一つ年上の十七歳。
この人とも幼い頃からの付き合いで、伊緒と合わせて三人で、よく一緒に遊んだものだ。
そんな彼女の性格は、一言で言うと怖い。
二言で言うと、超怖い。
この人は、小さい頃から家の神社で巫女をやるとともに剣道もやっていて、俺が伊緒にイタズラをして(一応断っておくが、エロいイタズラではない)泣かせた時など、よくこの人に竹刀でメッタ打ちにされたものだ。
ルックスの方は、黒髪に色白の生粋の大和撫子なのだが、その男勝りな性格が災いし、学校の男子達からは、『スケバン葛』と呼ばれて恐れられている。
本人はあまり気にしていないようだが。
さて、その葛姉ちゃんは、抱きついてきた伊緒の頭を優しくなでながら、俺の事を優しくない目つきでギロリと睨み、こう言った。
「矢渋お前、また伊緒をイジメたのか」
「と、とんでもない。むしろ仲良くしようとしてるんだよっ」
葛姉ちゃんの恐ろしさを骨の髄まで知り尽くしている俺は、両手をブンブン横に振って必死に訴えた。
すると葛姉ちゃんは一転して優しい顔になり、伊緒に問いかけた。
「伊緒、あの変態助平に、一体何をされたんだ?」
変態助平とは随分な言いようだ(まあ否定もできないが)。
そんな葛姉ちゃんの問いかけに、伊緒は葛姉ちゃんの胸元に顔を埋めたまま(羨ましい奴だ)こう答えた。
「あのね、伊緒ね、昨日ヤー君に、その、告白、したの・・・・・・」
「ええええっ⁉こ、こ、告白したのか⁉こ、こんな、エロい事を取ったら空気しか残らないような変態助平に⁉」
伊緒の言葉に葛姉ちゃんはひどい言いようで驚き(まあこれも否定はできないが)、続けて訊いた。
「そ、それで、どうなったんだ⁉」
「そしたらヤー君も、伊緒の事を好きだって言ってくれて・・・・・・」
「何ぃいいいいいいっ⁉」
更にぶったまげる葛姉ちゃん。
あんなに取り乱す葛姉ちゃんは初めて見るが、そこまで驚く事なんだろうか?
そんな葛姉ちゃんは更に続けた。
「と、と、という事は、そ、その、せ、せ、接吻的な事も、したのか?」
「そ、それは、したかったんだけど、それをする前に、ヤー君が、あの、伊緒のおっぱいを、その・・・・・」
「・・・・・・分かった。みなまで言うな」
そこで伊緒の言葉を遮った葛姉ちゃんは、伊緒の体をそっと離し、ゆっくりとした足取りで俺の方へ歩み寄ってきた。
そして歩きながら低い声で言った。
「矢渋、お前は昔からずっと変態助平だったが、とうとう伊緒にまでそんな事をするようになったんだな」
「ま、待ってよ葛姉ちゃん。昨日のアレはね、ちょっとしたお互いの解釈のズレというか、事故みたいなものでね?」
俺は後ずさりしながら釈明したが、葛姉ちゃんは全く聞く耳持たない様子で続けた。
「どうしてそうスケベな事ばかりするんだ?」
「い、いや、これは、男の避けられぬ性と言いましょうか・・・・・・」
「私に対しては、全くそういう事をしたことがないのに・・・・・・」
「へ?」
「ええいやかましい!」
「え⁉俺今『へ?』としか言ってないけど⁉」
「ともかくスケベなお前には、私が罰を与えてやる!」
葛姉ちゃんはそう言うと、右手を自分の背中に回し、後ろ襟から背中に手を入れ、そこから一本の竹刀を取り出した。
「な、何でそんなところから竹刀が⁉ていうか落ち着いて葛姉ちゃん!」
「これが落ち着いていられるか!伊緒の心と体を弄んだ罪、その身で償え!」
そして葛姉ちゃんは持った竹刀を両手で振り上げ、何のためらいもなく、それを俺の脳天めがけて振り下ろした!そしてその直後。
バシコォオン!
という気持ちいい程に凄まじい竹刀の衝撃音が響き、それと同時に俺は、失神してその場に倒れた。
バタン。