七、君がいるから幸せ
◆ 七、君がいるから幸せ
三月。最後の登校日。今日が、五年生として最後の日。
去年の今ごろ、ショートカットにした私の髪は、この一年間で背中にかかるくらいまで伸びていた。春休み、また短くしようかな。
私は、いつものように美咲と合流し、学校に向かう。なんだかんだ言っても、登校するときはいつもいっしょだ。
太陽の日差しが、心地よい。春のにおいがする。明日から始まる、短い春休みに、心がおどる。
先週の卒業式で、六年生が学校を巣立っていった。今、杉山小学校の最高学年は、私たち五年生だ。
今日の修了式を終えれば、明日からは春休みだ。それが終われば、もう六年生。
なぎさと仲直りしてから半年間、私たちは元通りの関係に戻った。仲のよさは変わらないけど、前よりも、お互いに言いたいことをしっかりと伝えられるようになった。口をきかなかった三週間は、私たちにとって、友達との関わり方を学ぶ、必要な期間だったのかもしれない。
「なんか、あっという間の一年間だったね」
美咲が言う。
「そうだねー。クラス替えが、ついこの間の出来事みたい」
「花、この一年間で、ちょっと変わったね」
「えっ、そうかな?」
「うん、何ていうか…、いい意味で大人びた気がする。前よりも、頭の中で、ちゃんと色々と考えてるように見える」
「ちょっと、私が去年まで何も考えてなかったみたいじゃんっ」
二人で、笑い合う。たしかに、一年前の自分を思い返すと、今よりもだいぶ幼かったなって思う。
まあ、来年も、今の自分を思い返して、同じことを思うのだろうけど。
いろんなことがあった五年生も、今日で終わり。最後の日も、楽しく終わりますように。
杉山小学校の修了式では、五年生の一人が代表で作文を読むことになっている。
テーマは『一年間を振り返って』。五年生としての一年間を振り返り、成長したことや、考えたことを代表の一人が話す。
先週、五年生の全員が作文を書いて、代表者を選考した。
なんと、学年の代表者に、なぎさが選ばれたのだ。
どんな内容の作文を書いたのか聞いても、「当日までのお楽しみ」と言って、教えてくれなかった。
ちなみに、私は運動会のソーラン節で実行委員を務めたことを書いた。なんだか、それもかなり昔のことのようだ。あと二か月後には、次の運動会がある。
「おはよーっ」
いつものように、元気よく教室に入る。何人か、あいさつを返してくれる。なぎさ、沙希、幸奈と四人でおしゃべりをする。これも、今日が最後だ。六年生でも、同じクラスになれたらいいのに。
ろう下に整列し、体育館に向かう。六年生がもういないので、全校児童が集まる体育館も、なんだか少し広く感じられた。
いつも通り、校長先生の話が始まる。今日も、話が長い。「五年生は、最高学年としての自覚をもって行動してほしい」と話していた。これから、いろんな先生に、何回もその言葉を言われるんだろうな。
いよいよ、なぎさが作文を読むときが来た。
なぎさ、緊張しているかな。なぜか、私もドキドキしてきた。がんばれっ。
司会の先生が、マイクを取る。
「続きまして、児童代表の言葉です。一年間を振り返って、考えたこと、感じたこと、これからがんばりたいことなどを、代表の五年生にお話ししてもらいます。それでは、五年一組、加賀なぎささん、お願いします。題名は、『君がいるから幸せ』」
…えっ?
思わず、目を見開く。その言葉は…。
なぎさは、一つ一つの言葉に力を込めて、作文を読み始めた。私は、聞くことに集中する。マイクを通して聞こえる、なぎさのすき通る声を、一言一句、聞き逃さないように。
君がいるから幸せ。これは、赤いゼラニウムという花の、花言葉です。私が、五年生になって、最初にできた友達に教えてもらった言葉です。私はこの一年間で、自分は一人ではなく、多くの人に支えられていること、そしてそれは、とても幸せなことだということに気が付きました。私には、そんな友達から学んだ、大切なことが三つあります。
一つ目は、相手やみんなの立場に立って行動することです。春には、運動会がありました。私は、実行委員として、みんなをまとめたり、演技の中で大切な役割をしたりしました。私の力不足で、上手くいかないことがありました。それでも、その友達は、私を責めることはありませんでした。はげましてくれたり、私にもできる役割を任せてくれたりしました。その友達は、自分がやりたいことよりも、どうしたらみんなが上手くいくかということを考えて、行動していました。そのおかげで、五年生のみんなは、より一層団結し、私たちのソーラン節は、最高の演技になりました。
二つ目は、「ありがとう」を伝えることです。秋には、音楽集会がありました。私は、ピアノの伴奏をしました。しかし、当日、緊張して失敗してしまったのです。私は、落ちこみました。みんなに、ただ謝ることしかできませんでした。そんな私に、友達は「ありがとう」という言葉をかけてくれました。失敗したことをなぐさめるのではなく、ピアノの練習をしてきたことに、感謝の気持ちを伝えてくれたのです。それを聞いたとき、失敗して悔しい気持ち、悲しい気持ちが、すうっと軽くなっていきました。「ありがとう」という言葉は、とてもすてきな日本語だと感じました。そして、「ありがとう」と言わなければならないのは、私の方だということに気付きました。身近な人に、いつも感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。
三つ目は、前向きな気持ちでいることです。最初にお話ししたゼラニウムという花には、様々な色があります。そして、色によって、花言葉が違うのです。例えば、ピンク色が『決心』、深紅が『憂うつ』のように。しかし、私にはその色が分かりません。
私は、目の病気を持って生まれました。生まれつき、色が分かりません。私は、そのことを、ずっとかくしてきました。人に知られることが、はずかしいことだと思っていたからです。ある日、そのことを、その信頼できる友達に打ち明けました。友達は、どうしたら、私に色の美しさが伝わるかを、一生懸命に考えてくれました。かわいそうと言ったり、同情したりすることはありませんでした。
その友達のおかげで、私は花の美しさが分かるようになりました。色が見えなくても、ゼラニウムの花が、美しいということは分かります。ゼラニウムの花は、何色だって、美しいんです。本当にすてきなものは、感じることができる。そんな前向きな気持ちさえ、持っていればいいんです。
私も、困っている人や、悩みを抱えている人に対して、何ができるのかを、一緒に、前向きに考えていけるようになりたいです。
今年学んだことは、六年生になっても、これから先もずっと、私の胸の中に留めておきたいと思っています。そして、私も誰かにとって、『君がいるから幸せ』、そう思ってもらえる存在になれるように、努力していきたいと思います。
五年一組 加賀なぎさ
体育館が、拍手に包まれる。私のほほには、涙がつたう。
私の方こそ、なぎさから、たくさんのことを学んだ。
君がいるから幸せ。私も、同じ気持ちだ。
一礼して、ステージから降りたなぎさは、私を見て、ほほ笑んでいた。
「ゼラニウムの花は、何色だって、美しい」、この意味が、私となぎさには分かる。
私たちは、仲直りをしてから、もう一度ゼラニウムの花言葉を調べた。ゼラニウムには、色別の花言葉とは別に、ゼラニウム全般としての花言葉がある。
「尊敬」「信頼」「真の友情」だ。
私が今、なぎさに抱いている気持ち、そのものだ。
ちなみに、菜の花の花言葉は、「快活」「明るさ」だ。どちらかと言えば、私のイメージに近い。
私たちが去年の四月に描いた絵は、お互いのイメージを、そこに投影していたのかもしれない。
今年も、もうすぐ四月だ。きっと、すてきな花が咲くだろう。