五、空となぎさは青、私はブルー
◆ 五、空となぎさは青、私はブルー
あっという間に夏休みが終わった。
あれから、なぎさと二回だけ遊んだ。一回は、私の家で宿題をやったり、ゲームをやったりした。二回目は、沙希と幸奈も入れて、四人で映画を見に行った。どちらも、夏休みの大切な思い出だ。
なぎさと遊んだとき、「なぎさは色が分からない」という事実が、常に私の頭の中にあった。映画を観ているときも、なぎさは心から楽しめているのか、少し不安だった。
だからと言って、それをわざわざ口にすることはなかったし、なぎさも何も言わなかった。私たちは、これまで通り、普通に関わっていた。
なぎさ達と遊んだ日以外は、塾の夏季講習に行ったり、家でだらだらしたりしながら過ごしていた。
去年は、美咲と毎日のように遊んでいたのに、今年は一回だけしか遊ばなかった。別に、仲が悪くなったり、嫌いになったりしたわけじゃない。ただお互い、新しいクラスの友達ができて、なんとなく距離ができたような気がしていた。
こうして友達関係は、変わっていくのだろうか。
八月に入ってからは、おじいちゃんの家に行ったり、家族で海に行ったりしたから、誰かと遊ぶことはなかった。
だから、夏休み明け最初の一日は、なんだか少し緊張した。
それでも、教室に入って、なぎさの顔を見ると、なんだかすごく安心した。なぎさは、ブルーのシャツを着ていた。きっと、このブルーは、なぎさの目にもはっきりと映る色なのだろう。そういえば、最初に会ったころ、水色のワンピースをよく着ていた気がする。家のかべはスカイブルーだ。私の中で、青色はなぎさのイメージカラーになっていた。
全校朝会で、夏休みに行われた水泳大会の表彰が行われた。
ふと、夏休みに学校の前で吉田に偶然会った日のことを思い出す。結局、私は何もがんばれずに夏休みが終わったな。
五年一組のみんなは、よくも悪くも、気持ちがリセットされて、夏休み前よりも会話が少なく、静かに、おだやかな一日を過ごしていた。
初日は、午前授業だったので、十二時過ぎに下校になった。
家に着き、お母さんが用意してくれたお昼ご飯を食べて、リビングのソファでだらだらとしていた。休み明けというだけで疲れるのに、三十度越えの中を登下校するのは、さすがにこたえた。
やることもないので、なんとなくテレビをつけていると、お昼のワイドショーがやっていた。『一足早い、秋の観光スポット特集!』という企画だった。
去年撮影された、紅葉スポットが次々と紹介されていく。
渓谷の木々の、赤、オレンジ、黄色、美しく彩られた葉がテレビ画面に映る。
なぎさは、この色を見ることができない。美しい秋の色を感じることができない。
いや、紅葉だけじゃない。春や夏だって一緒だ。一年中、目の前の景色がほとんど黄色と青に映っているから、ゼラニウムの色も分からないんだ。
なぎさにとって、ゼラニウムの花言葉は、存在しないんだ。
私となぎさは、同じものを見ていても、見え方が違う。そう考えると、同じ世界にいるはずなのに、違う世界に住んでいるように思えてくる。
どうしたら、色の美しさを伝えることができるのだろう。
私はスマホの辞書を使って、「赤」と調べる。すると、「新鮮な血のような色」と出てくる。うーん、そもそも、その「血のような色」が分からないんだから、これじゃ伝わらないな。どちらかというと、赤はやる気が出たり、情熱的なイメージがある。うおー、がんばるぞーって感じ。
続いて、「緑」と調べる。「青と黄色の中間色」と出る。いや、そんなの分かるわけないじゃんっ…。私の感覚では、落ち着く感じがする色だな。野菜はほとんど緑だから、健康的な色かも。
色には、それぞれがもつイメージがある。
待てよ…、もしかして、色が分からなくても、イメージを言葉で伝えることはできるかも。うん。そうだ。私の色のイメージを、なぎさに伝えていこう。きっと、言葉で伝えられることがある。色が分からなくたって、私がいれば、その美しさは分かるはず。
私は、さっそくノートを取り出し、色から連想されるイメージや、印象を書き出していく。
赤…やる気。情熱。
緑…自然。健康。
ピンク…かわいい。女の子。
オレンジ…黄色っぽい赤。暖かい。
黄色…明るい。光。(黄色は分かるよね)
青…静か。落ち着く。(青は分かるよね)
確か、赤と緑の区別がほとんどつかなくて、しかもその二つがほぼ黄色に見えると言っていた。その二つの特徴を、伝えられるようにしよう。
自分の中で、何か湧き上がるものを感じる。なぎさに、色の美しさを知ってもらう。これが私の頑張ること。久しぶりの、「決心」。
翌日、図工の授業があった。今回の学習は、「彫り進み版画」だ。一枚の版木を使って、彫刻刀で彫るのと、インクを付けて紙に刷るのをくり返すと、カラフルな版画が完成する。どのような順番で彫ったり刷ったりすればいいのかを、計画的に考えていかなければならない。
これは、チャンスだ。図工の時間を通して、昨日、考えてきたことを伝えよう。
矢田先生の説明が終わり、下書きの紙に、どんな作品を作るか、構想を描く時間になった。さて、私は何を彫ろうか。ぱっと思いついたのは、花畑だ。花を一つずつ彫りながら、そのたびに赤、青、黄、緑など、色を重ね、版画用紙に刷っていく。そうすると、花によって色が変わり、最後にはあざやかな花畑が完成するはずだ。
こういうアイデアが思いついた瞬間が、一番楽しい。実際には、思うように彫れなかったり、色が着かなかったりするのだが。
私は、鼻歌を歌いながら、なぎさの席に向かった。
「なぎさー、何彫るか決まった?」
「うーん。まだ、考え中」
ちらりとなぎさの紙を見ると、まだ白紙だった。なぎさは、じっくりと考えるタイプだ。
「花は決まったの?」
「うん、決まったよっ。きれいな花畑にする!」
「いいじゃん。できたら見せてね」
「うん、もちろんっ」
私は、なぎさにぐっと顔を近づけて、ささやく。
「なぎさが分からない色も、どんな色かちゃんと教えてあげるからね」
「えっ…、うん」
私は、昨日、家で書いたノートを開いて見せる。
「ほら、どの色が、どんな風に見えて、どんな風に感じるかをまとめてきたの。私の版画が完成したら、一つ一つ解説するから、任せてっ」
「本当にありがとう、花。まあ、まずは自分の作品を考えるのを頑張るね」
「そだねっ。がんばろっ」
翌週、構想が決まり、いよいよ本格的に版画の制作が始まった。私は、最初に版木全体に黄色のインクを塗り、紙に色を着けていく。「ばれん」でゴシゴシと板をこすっていく。
「はぁー、疲れるっ」
この後、彫る、刷る、彫る、刷る…、をひたすら繰り返していくのかと思うと、気が遠くなる。私、けっこう面倒くさがりかも。
紙を版木からそうっとはがすと、白いムラが残っていた。
「あー、きれいに塗れなかった。ま、いっか」
「花、思ってること、全部口に出てるよ」
横で、なぎさが笑う。
「あっ、ごめんごめん。なんかしゃべりながらじゃないと動けないんだよね」
そう言うと、近くにいた友達も、みんな笑ってくれた。うん、まあこれも私らしさだ。
なぎさは、結局、星空を彫ることにしたそうだ。青や黄色ははっきりと見えるから、色選びで迷うこともないだろう。
最初に、星の色を刷るために、なぎさも黄色いインクを使っていた。なぎさの紙は、端から端まで、全くムラなく、きれいに色が着いていた。
「うわぁ、なぎさ、さすがっ」
版木を水で洗い、いよいよ彫刻刀で彫る。えーっと、今彫っているのは、黄色く残る花だから、菜の花にしようかな。
私は、夢中で、彫っていく。菜の花は、小さい花びらがたくさんあるから、彫るのが大変だ。先が細い彫刻刀で、細かく、丁寧に輪郭を彫る。なんとなく彫刻刀を持ち替えるのが面倒で、そのまま細い彫刻刀で、花びらの内側も彫っていく。細い木くずが、無数に生み出されていく。十分ぐらい、集中して彫り続けると、菜の花らしき形ができた。それを、さらに二回繰り返す。似ているけど、形の違う菜の花が、三つできた。
版画、けっこう楽しいかも。絵と違って、失敗した時のやり直しが難しいけど、その分、自分が表したいと思ったものが、ストレートに描かれるような気がする。
さて、次は何色を重ねようか。オレンジにしようかな。あらかじめ考えていた構想とは違うけど、そっちの方がよさそう。
私は、どちらかというと、行動しながら考えるタイプだ。そのたびに、どんどん自分の考えていることが、変わっていくことがある。結局、最初に思っていたものとは、全然違う作品になることがよくある。
インクが置いてある机に移動するとき、隣の机で、なぎさと矢田先生が話しているのが聞こえた。
「加賀さん、星の形、大きさがたくさんあって、面白いね」
「はい、遠近感を出そうと思って」
なぎさの版木をちらりと見ると、いくつもの星の輪郭が、丁寧かつ、深くしっかりと彫られている。輪郭の内側は、浅く彫られているものや、深く彫られているものがある。それを、なぎさが彫ったというだけで、一つ一つに、その意味や、意図が感じられるような気がする。
「わぁっ、なぎさ、上手だねっ。すごいよっ」
「花、ありがとう」
「これ、この後どうするの?」
「うーん、青とか、白を重ねようと思ってる。」
そっか、それなら大丈夫だね。
「なるほどねっ。できるのが楽しみだね」
「尾崎さんは、名前の通り、花にしたんだね」
先生の問いかけに、小声で答える。
「はい、先生。カラフルな作品にしようと思ってます。なぎさにも、どの花がどんな色で、どんな風に見えるかを、教えます」
矢田先生は、一瞬間をおいて、答える。
「そうなんだ。さすが、尾崎さんだね」
「はいっ。なぎさ、一緒にがんばろうねっ」
私は、なぎさに負けないように、もっといい作品を作ろうと思った。オレンジのインクを版木に塗り、さっき黄色く染めた紙に色を重ねる。すると、私が彫った菜の花は、黄色く残り、周りの背景は、鮮やかなオレンジに染まる。今度は、オレンジ色の花を彫ろう。
再び、彫刻刀をにぎり、花を彫り始める。
翌週、ついに私たちの版画が完成した。
なぎさの作品は、素晴らしい出来だった。版木を少しずらしながら、白、水色、青などの色を刷ることで、立体感や奥行きを、絶妙に表現していた。本当に、星空を眺めているようだった。
私の作品も、まあ悪くないと思う。黄色、オレンジ、ピンク、赤と色を重ねていったことで、花以外の背景が、少し主張が強くなってしまった。だから最後に、なぎさにならって、背景だけを白で重ねることで、バランスを取った。
図工室の机に、完成した版画を並べ、みんなで見て回った。
「ぜひ、友達の作品の良いところを見つけて、カードに書いてみましょう」
矢田先生の言う通り、私はなぎさの作品の良いところを、カードに書いていく。
星の一つ一つがきれいで、本当の星空を見ているみたいです。とてもていねいにほったのが、よくわかります。
「なぎさ、本当に上手だねっ」
「そんなことないよ。花の版画も上手だよ」
「ありがとうっ」
私は、なぎさのその言葉にうれしくなって、ついつい話しすぎてしまう。
「ねえ、この花はね、オレンジ色なの。オレンジって言うのは、なんか暖かい感じがするの。冬のこたつで食べるみかんの色だからかなっ。でね、こっちはピンク。かわいらしくて女の子って感じ。桜の色もピンクね」
「ふふ…、そうなんだ」
「そして、この花は赤。赤は、情熱的で燃えている感じ。これはね、ゼラニウムの花なの。赤いゼラニウムの花言葉はね…」
「花、もう大丈夫だよ」
強く、きっぱりとした口調に、一瞬、なぎさが私に言った言葉だとは分からなかった。
「えっ…」
「色のことは、もう大丈夫」
「大丈夫…って?」
「ごめん。もう、ほっといてほしいの」
胸が、きゅうっときつくなる。なぎさは、私から目をそらし、そっと離れていってしまった。
えっ、何で? 私、何かまずいこと、言っちゃったかな。
もしかして、色が分からないことを、あまり言われたくなった?
私がおせっかいだったの?
「花、どうしたの?」
沙希と幸奈が、私たちの様子に気付いて、声をかけてくれた。
「ううん、何でもない。ちょっと、私が自分の版画を自慢しすぎちゃっただけっ」
何とか、明るくごまかした。多分、顔は引きつっていたと思う。
二人とも、私の作品をすごくほめてくれた。けど、何て言っていたのか、全く覚えていない。とにかく、なぎさを怒らせてしまったこと、嫌われてしまったかもしれないことが、あまりにもショックで、私はめまいがしそうだった。
次の授業中も、先生やクラスメイトの話が、頭に入ってこない。みんなの声が、私の頭上をすうっと通り過ぎていく。
どうしてなぎさは、怒ったのか。いつもみたいに、ぐるぐると考える。
そういえば、私が色について調べたノートを見せたときも、そんなにうれしそうじゃなかった気がする。もっと喜ぶと思っていたのに。やっぱり、私のおせっかいだったのかな。それが、余計なお世話に感じちゃったのかな。多分。
よし、昼休みになったら、謝ろうっ。
ところが、昼休みになぎさに話しかけようと近づくと、なぎさはすっと離れて、違う友達のところに行ってしてしまった。えっ。今、私、さけられた?
気のせいだよね。きっと、たまたまタイミングが悪かっただけ。
ところが、掃除の時間も、六時間目の前の時間も、私が近づこうとすると、私から離れていってしまう。
私、嫌われたのかな。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、家に帰っていると、だんだん、私もイライラしてきた。何なの、もう。たしかに、私がおせっかいだったかもしれないけど、それにしたってさけることないじゃん。それが嫌だったって言ってくれればすむことだし。
もう、知らない。
さみしさや不安は、いら立ちや怒りに変わった。私も、心の中から、なぎさを遠ざけようと思った。
それでも、家に帰ってスマホを開くと、メッセージを送ろうか迷った。
迷って、やめた。何で私だけがこんなに気にしなきゃいけないの? 私だって、なぎさを怒らせようとしてやったわけじゃないし、悪気なんて一切なかった。本当に、なぎさのためを思って、行動しただけ。色について調べたり、その色が持つイメージをノートにまとめるのだって、一生懸命頑張った。
そんな私の思いを、少しくらい分かろうとしてくれたっていいじゃん。せめて、きちんと話してくれたっていいじゃん。
イライラを押し込めるように、ふて寝することにした。もう、夜ご飯まで寝てよう。
…二時間くらい、寝た。夜ご飯の前に、お母さんに起こされた。気になってスマホを開いたけど、なぎさからは何もメッセージは届いていなかった。なんだかんだ言って、メッセージを待っている自分がいることに気が付いた。
ご飯を食べながら、お母さんに相談しようかと思ったけど、なんとなくやめておいた。明日になったら、いつも通りの二人に戻っているかもしれないし。
…はあ、なんだかんだ言っても、落ちこむ。なぎさとは、これまでけんかしたことなかったから。
私の気持ちは、ブルー。なぎさのイメージカラーだ。