三、そこに花があるから
◆ 三、そこに花があるから
バスに揺られながら、窓の外を眺める。空には雲一つなく、最高の体験学習日和だ。
今日から、一泊二日の宿泊体験学習が始まる。一日目が渓流めぐり、二日目が山登りと、豊かな自然を満喫できる。
正直、自然体験よりも、部屋で過ごす時間が一番楽しみだ。
私は、なぎさと隣の席に座っていた。
「あとどのくらいで着くのかな?」
「もうすぐだと思うよ。しおりには、十一時到着って書いてあるから」
八時半に学校を出発してから、約二時間が経過していた。一度サービスエリアでの休けいをはさんではいたけど、そろそろ退屈してきた。
そうだ、いいことを思いついた。
「みんな、カラオケしようよ!」
一号車のバスに乗る、五年一組のみんなに呼びかける。
「じゃあ、まず尾崎が歌えよー」
「おっ、いいね」
男子がはやし立てる。よし、やってやろうじゃん。
「矢田先生、音楽流してくださいっ」
事前に、バスの中で聴きたい曲を募って、それをCDに入れて、担任の矢田先生が持ってきてくれることになっていた。
「はい、流すよ」
流行りの曲のイントロが、車内に流れる。今、話題になっている女性シンガーソングライターのヒット曲だ。
私はマイクを借り、熱唱する。多分、そんなに歌は上手い方じゃないけど、みんな手拍子をしたり、一緒に歌ったりしてくれて、盛り上がった。
運動会以降、クラスのみんなの距離が、ぐっと近づいたような気がする。
それは、私となぎさも、同じだった。
私は運動会の次の週、なぎさの家に遊びに行った。それまでは、仲がいいとはいえ、学校でしか関わりがなかったから、うれしかった。
なぎさの家は、私の家からは学校をはさんで反対の方向で、一キロくらい歩いたところにあった。二階建てで、庭があるのは私の家と同じだけど、広さや、家具の立派さが全然違った。まさに、お金持ちの家って感じがした。
なぎさのお母さんは、保健室で会った時と同じように、きれいに着飾っており、品の良い人だった。広いリビングに通され、出されたお菓子は、私が見たこともない、高級そうな洋菓子だった。
なぎさのお父さんは、海外出張中で、夏休みまで帰ってこないので、それまではお母さんと二人暮らしだということを、その時に知った。
私が歌い終わると、お調子者の吉田がマイクを握る。わざと音を外して歌い、みんなからひんしゅくを買っていた。
そんなことをしているうちに、私たちが泊まる、自然の家に到着した。
「じゃあ、忘れ物がないように、降りる準備をしましょう」
矢田先生の指示で、私たちはリュックサックを背負い、バスを降りる。
砂利道を歩いて、先生についていくと、森の中に、いくつか建物が建っているのが見えてきた。
「なんか、涼しいねっ」
「うん、山の中だからかな」
私は、リュックサックからパーカーを取り出し、半そでシャツの上に羽織る。
一番大きな建物の前に着いたところで、五年生が全員集まり、入館式が始まった。みんなであいさつをし、先生の話があり、館長さんの話があり、ガイドさんの話が始まったところで、だんだん眠くなってきた。はあ、早く終わらないかなあ。
ふと、よそ見をしていると、建物の入り口に花だんがあり、見覚えのある花が植えられていることに気が付いた。
ゼラニウムだ。
四月の図工の時間に、私が描いた絵のモデルになった花だ。
花だんには、色とりどりのゼラニウムが咲いていた。ピンク、黄色、赤、そして深紅…。たしか、色によって花言葉が違うんだ。えーと、ピンクが「決心」で…。
「じゃあ、これで話を終わります。長くなってすみませんね」
ガイドさんの声に、ハッとして私は前を向く。目が合った。私がずっとよそ見をしていたのを見られていたようだ。
食堂で昼食を食べると、渓流めぐりに向かった。ゴツゴツとした岩の上を歩きながら、川の水しぶきを浴びる。思っていたよりも険しい道のりで、大自然を満喫する余裕はあまりなく、とにかく足を前に出すことで精いっぱいだった。
「あー、疲れたーっ」
思わず口にすると、前を行く矢田先生が振り向く。
「こら、疲れたは禁止」
「はーい。すみません」
永遠にも思えた時間が終わり、夕方ごろ、自然の家に帰ってきた。夕食を食べ、お風呂に入り、部屋で過ごす時間になる。
私の部屋は六人部屋で、なぎさ、二組と三組の女子が二人ずついた。
「花ちゃんと、なぎさちゃんって、いつから仲良くなったの?」
「えー、最初からだよ。運命感じちゃったっ」
「ちょっと、やめてよー」
そう言いながら、なぎさはうれしそうに笑う。
やっぱり、私たちは仲良く見えるんだ。そのことが、とても誇らしい。
あえて、「親友」という言葉を口にしたことはないけど、きっと私たちは、特別な友達なんだ。
あっという間に消灯の時間が来た。電気を消して、私たちは眠りにつく。
翌日、山登りが始まった。クラスごとに一列になり、山道を歩いていく。傾斜はそこまで急ではないため、思ったよりはつらくない。むしろ、昨日の渓流めぐりの方が、体にこたえた。
そう思っていたのもつかの間で、三十分ほど歩くと、もう私の足取りは重く、視線は下を向いていた。
「昔、有名な登山家が、なぜ山を登るのかと聞かれて、『そこに山があるから』と答えたそうですよ」
矢田先生が、出発する前にそんなことを言っていた。私は、そこに山があっても、絶対に登らない。
ガイドさんが先導し、私たちは黙々(もくもく)と歩きながらついていく。ガイドさんは女性で、明らかに私のお母さんよりも年上なのに、息を切らさずに、どんどん先へ進んでいく。すごい体力だ。
両わきを斜面にはさまれた山道を、ひたすら登っていく。まるで、大きな彫刻刀で山をけずったような道だ。たくさんの木々が、生い茂っている。少し道の方に傾いている木があり、私たちに語りかけてきそうな気がした。
ところどころ休けいをはさみながら、ようやく折り返し地点の広場まで来た。
「よし、じゃあここでいったん休みましょう。私のことが見える範囲なら、歩き回ってみてもいいですよ」
ガイドさんの声を聞いて、私はすぐに近くにあった岩に腰を下ろした。「疲れたー」とは言わずに。
男子たちは、近くの岩場まで駆け出して行った。よくあんなに元気が残ってるなあ。
周りの木々を見渡す。一体、何本の木がここにあるのだろう。何年間、そこに生えているのだろう。生まれてから何十年、何百年もの間、まだ誰にも触れられていない木もあるのかな。
ぼんやりと考え事をしていると、少しずつ体が涼しくなってきた。天気はいいが、木々に日光がさえぎられ、直射日光が当たらない。なんだかんだ言って、山の中の空気は心地よい。
「花、大丈夫?」
「うん、ぼーっとしてただけ。なぎさは?」
「私も全然大丈夫だよ」
なぎさは、けろっとしていた。今日は熱中症の心配はなさそうだ。
「おじょうさんたち、ちょっとこれを見てごらん」
ガイドさんが、話しかけてきた。その手には、赤い葉を十枚ほど付けた、三十センチほどの細い茎のようなものが握られていた。
「これはね、ナナカマドという木の枝なの。秋になるときれいに紅葉するんだけど、春や夏でも、こういう赤い葉を付けた枝が混じっていることがあるの。ちょっと、見ててごらん」
ガイドさんはそういうと、枝を竹とんぼのように両手でくるくると回し始めた。すると、赤い葉っぱが一枚ずつ枝から落ちて、枝の先についている一枚だけが残った。
「こういう風に、てっぺんの一枚だけが残ると、ラッキー。っていう運試しゲームがあるの。赤い葉を見つけたら、ぜひやってごらん」
私となぎさは、さっそく赤い葉を付けた枝を探す。近くの木の枝を見回すと、それはすぐに見つかった。
「あった」
私は、枝の先端を十五センチほど折り、ガイドさんと同じように、両手で回す。すると、一瞬ですべての葉が落ちてしまった。
「えーっ、私アンラッキーじゃんっ」
「ははは、花、回す勢いが強すぎるよ」
「あっ、そういう問題?」
二人で笑い合う。疲れていたけど、少し元気が出てきた。
「あっ、あそこにもう一つ赤い葉があるよ。なぎさもやってみなよ」
「えっ、どこ?」
「ほら、こっちっ」
私は、なぎさの腕を取り、木のそばに連れていく。「これ」と言って指差した先に赤い葉を付けた枝があった。
なぎさはそっと枝に手を伸ばす。触れたのは、そのすぐ横にある、緑の葉が付いた枝だ。
「なぎさ、それじゃないよ。その右のやつだよ」
「あっ、ごめん」
やはり、なぎさも疲れているようだ。
なぎさは、赤い葉が付いた枝を折り、くるくると回る。すると、葉が一枚、二枚と枝から取れ、ひらひらと舞う。枝の先端についた、赤い葉が一枚だけ残った。
「やったー!」
「いいなー、おめでとうっ」
ちょっとした遊びだったけど、ちょっとだけ体力が回復した気がする。
しばらくして、私たちは山のふもとまで降りた。
再び自然の家に戻り、お昼ご飯のカレーを食べた。あっという間の一泊二日だった。五年生のみんなは、カレーを食べて元気を取り戻したのか、ワイワイ話しながら昼食を食べていた。きっと、帰りのバスは、みんな寝るんだろうな。
荷物をまとめ、宿舎から出る。ふと、昨日見つけた花が目に入った。
「見て、なぎさ」
「えっ、どれ?」
花だんの中で、ゼラニウムが咲いている。来たときは、私たちを迎えてくれたような気がしたけど、今は学校へ戻る私たちを見送ってくれているような気がする。
「これね、ゼラニウムって花なの。私が前に絵を描いた花」
「そうなんだ、花びらの形がかわいいね」
「うん、しかもね、色によって花言葉が違うんだよ。ピンクが『決心』で、赤が『君がいるから幸せ』、たしかこの色が濃い深紅が『憂うつ』。赤と深紅なんて、かなり近い色なのに、意味が全然違うの」
「そうなんだ。さすが『花』って名前だけあって、くわしいね」
「まあねっ」
私は、得意げな気持ちになる。勉強はあまり得意じゃないけど、なぎさに披露できる知識を持っていてよかった。
「なぎさ、この手前のやつ、赤かな、深紅かなあ。微妙だよね」
「うーん、たしかに微妙だね」
二人で話していると、矢田先生が私たちを呼ぶ声が聞こえた。
「尾崎さん、加賀さん、みんな待ってるよー」
「あっ、ごめんなさい。今行きまーす」
私たちはあわててかけ出し、バスに乗り込んだ。
そこに花があるから、見とれていたんだ、って思った。