二、私たちのソーラン節
◆ 二、私たちのソーラン節
五月の連休が明けて、久しぶりに登校すると、この前完成させた春の絵が、ろう下のかべに掲示されていた。
ひときわみんなの目を引いたのは、木田という男子が描いた、桜の木だった。画用紙の中央に大きく一本の木がそびえ、左側の枝にはピンクの花びらが、右側の枝には葉桜が生い茂っていた。題は『去りゆく春』と書かれていた。
私のゼラニウムは、一度完成させてから、さらに濃いピンクを花びらの真ん中に重ねて塗ることで、立体感を出すことに成功していた。自分でも、かなりよく描けたと思っている。題は、『決心』。かっこいいでしょ。
なぎさの菜の花は、少し暗い黄色や緑が重ねられ、最初に見たときよりもトーンダウンした印象だ。なんていうか、「フツーに上手い絵」になっていた。題も、『まっすぐ伸びる菜の花』と、何のひねりもないものだった。
連休明け、最初の授業は学級活動だった。今月末の土曜日に行われる運動会の、役割決めだ。
杉山小の五年生が参加するのは、徒競走、六年生と合同で行う騎馬戦、そしてソーラン節だ。その他、採点や審判、アナウンスなどの様々な役割を、一人一役で行うことになる。
矢田先生が、必要な役割を黒板に次々と書いていく。私はもう、どの役割に立候補するか決めていた。
「じゃあ、まずはソーラン節の実行委員を三人決めたいと思います。学年の演技を成功させるために、明日から始まる練習のリードをしてもらいます。そして、演技のフィナーレで、クラスごとに作る円の中心で三人タワーをやる、とても大切な役目です」
「はいっ!」
私は、矢田先生が話し終えるのと同時に手を挙げていた。ずっと、このソーラン節の実行委員がやりたかったのだ。
正確には、フィナーレで行う三人タワーを、ずっとやりたいと思っていた。四年前、私がまだ一年生だったころ、当時五年生のお兄ちゃんがタワーの中心をやっていたのを見た時からだ。五年生のソーラン節は、杉山小伝統の演技だ。スカイブルーの法被を身にまとい、力強い踊りをする。午前の部の最後のプログラムであり、運動会の見せ場でもある。「ヤー」という叫び声に合わせて、クラスの円の中心で拳を天に突き上げた瞬間、割れんばかりの拍手が会場からわき上がるのだ。
「尾崎―、お前はタワーがやりたいだけだろー」
お調子者の吉田のツッコミに、少し笑いが起きる。
「いいのっ。ちゃんと練習でもみんなのことを引っ張っていくからっ」
「じゃあ、私もやろうかな」
そう言って手を挙げたのは、村木さんだ。村木さんは、女子だけど背が高くて、運動神経もバツグンにいい。
「おおー、村木がやれば百人力だ。もう、タワーじゃなくて肩車でいけるよ」
「うるさい吉田っ」
村木さんが一喝する。よかった、村木さんならリーダーシップも発揮できるし、練習もみんなしっかりやってくれる。
「あと一人、誰かやってくれる人はいないですか」
矢田先生がみんなに呼びかけるも、手を挙げる人は誰もいない。
三人タワーは、土台となる二人の片膝に、上になる一人が片足ずつを乗せ、その足を土台の二人が腕でつかんで支える。女子が二人立候補しているので、男子は立候補しにくい。
少しざわざわしていたさっきまでとは打って変わって、教室は静かになり、みんな目でお互いをけん制し合っている。
そんな中、一人、そうっと手を挙げた。
「…私、やってもいいかなって思ってます」
「なぎさっ」
意外だった。なぎさは、みんなの先頭に立って引っ張っていくタイプじゃないし、三人タワーを組めるようなパワーがあるようには思えない。
「ちょっと不安で、上手くいかないかもしれないけど、迷惑をかけないようにがんばろうと思います」
教室に大きな拍手が起きた。ありがとう、なぎさ。運動会、絶対に成功させようね。
翌日から、学年合同での運動会練習が始まった。五年生、約九十名が体育館に集まり、ソーラン節の振り付けを覚えていく。
メインで指導するのは、二組担任の高木先生だ。背の高さと、ひげの生えた見た目、そして声の大きさから、五年生の背筋は自然と伸びる。
「ソーラン節っていうのは、北海道のニシン漁が元になっているんだ。網を引いたり、ニシンをすくったりする動作が、振り付けになっている。ポイントは三つ。腰を低く落とすこと、大きく動くこと、かけ声を腹から出すことだ」
高木先生の話を聞きながら、去年の五年生、つまり今の六年生が、一年前の運動会で踊っていたソーラン節を思い出す。迫力のある動き、速やかな隊形移動、そしてグラウンドに響き渡る、「ドッコイショー、ドッコイショー」「ソーラン、ソーラン」のかけ声。
今度は、私たちの番だ。
「じゃあ、各クラスの実行委員は前に出て」
よし、がんばろう。
各クラス三名ずつ、計九名のソーラン節実行委員が、体育座りをして並ぶ五年生の前に、横一列になって立つ。二組と三組の実行委員は、全員男子だった。
「今月末の運動会では、みんなが最高の演技をして、学年として大きく成長してほしいと思っている。その中心となっていくのが、この実行委員だ。約三週間の練習、先生がやるのは振り付けを教えるだけだ。みんなの士気を高めたり、上手く踊れていない人のサポートをしたりするのは、実行委員の役目だ。五年生のみんなは、この九人を信頼して、付いていってほしい」
五年生、みんなの視線が、私たちに集まる。心臓が、どくどくと音を立てる。私、本当にできるのかな。となりに立っているなぎさはどんな顔をしているんだろう。見る余裕もない。
「じゃあ、練習開始のあいさつをしようか。今日は、一組の実行委員、頼む」
私となぎさ、村木さんがお互いに目を合わせる。
「今日は私が言うね」
と言ったのは、村木さんだった。
「五年生の皆さん。このソーラン節は、杉山小学校の伝統の演技です。私たちが、その伝統を受け継ぎ、よりよいものにしていけるように、一回一回の練習を、集中してやりましょう」
体育館の天井まで届く、堂々とした声だった。村木さんの言葉に「はい!」と返事をした五年生のみんなは、一体感に包まれた。
すごい。私も頑張らないと…。私となぎさは、なんとなく取り残された気持ちになった。同じ実行委員なんだから、私たちもしっかりとみんなを引っ張っていかないと。
準備運動を終えると、すぐに練習に入った。高木先生が振り付けの手本を見せ、それを私たちが見て、踊り、振り付けを覚えていく。
基本の動きを覚えたところで、授業の終わりの時刻が来た。
終わりのあいさつをするとき、村木さん、私、なぎさが一言ずつみんなに話すことになった。やはり、先陣を切るのは村木さんだ。
「今日は、初めての練習でした。今日覚えた振り付けを、次回忘れていては意味がないので、しっかりと個人やクラスで復習するようにしてください」
声に芯があり、体育館にも、横にいる私たちの耳にも、みんなの心にも響いている気がする。
続けて、私となぎさも話す。
「全校のみんなを笑顔にできるように、まずは私たちが楽しんで、杉山小の運動会を盛り上げていきましょう」
「村木さんが言ったように一人一人の努力が大切だし、尾崎さんが言ったように楽しみながら練習をして行くことも大切だと思います。運動会当日だけでなく、それに向かって頑張っていく今も、すてきな思い出にできるように頑張りましょう」
私の話は置いといて…、なぎさが話し始めたとき、下を向いていた人たちも、すっと顔を上げて聞き始めた。決して村木さんのようなパワーのある声ではなかったけど、列の後ろの人までしっかり届く、ハリのある声だった。また、あらかじめ決めていた言葉をそのまま言うのではなく、村木さんと、私の話を聞きながら考えたことを話していた。
なぎさって、けっこう頭がいいんだ。それも、なぎさのすてきなところだな。
それから二週間が経った。何度か学年での練習を重ねていくうちに、五年生はみんな基本の振り付け、隊形移動を一通り覚えることができた。ただ、腕の振りが小さかったり、声が出ていなかったり、演技のクオリティは決して高いとは言えない。なにより、一人ひとりの動きが、バラバラだ。高木先生が言うには、「三年生でもできるレベル」らしい
私たちは、「最高のソーラン節を踊れるようになろう」と、休み時間に練習するように五年一組のメンバーに声をかけた。五年生の教室がある四階の端には、多目的室がある。そこに、五年一組のメンバーが十名ほど集まって、ソーラン節の練習をする。
「男子、もっと腰を落として!」
「俺たち男子は体がかたいんだよー」
「そうだよ。そんなことより、女子はもっと大きい声出せよ」
蒸し暑い部屋の中、イライラしながら練習を続ける。だんだん、雰囲気が悪くなってきたな…。
「よし、じゃああと一回だけ、みんなで集中して踊ったら、今日は終わりにしよう。男子はしっかり腰を落として、女子はしっかり声を出して」
村木さんの提案に、みんな賛成した。さすが、村木さん。実行委員になってくれて、本当によかった。
「構えっ!」
額に汗を光らせながら、右手を開いて前に突き出し、脚を開いて腰を落とす。床の木目を見つめ、ラジカセから流れてくるイントロに耳をすます。
もう聴きなれた音が流れてくる…、十六呼間数える…、波の動きを右手から…、次は左手…、網を巻きあげ…、腕を回し…、膝を曲げて…、かけ声とともに右手を天に突き出す!
「ハッ!」
多目的室の天井に、私たちの声が反響する。
「ドッコイショー、ドッコイショー!」
「ソーラン、ソーラン!」
流れる汗も気にしない。ただ、大きく、力強く、みんなと心を一つに踊ることに集中する。あっという間に、四分間が終わり、「ヤー!」と最後のポーズを決めて、練習を終えた。
「はあー、疲れたー」
「あちー」
みんな、ぐったりしているけど、充実感に満ちた顔をしている。運動会まであと八日、これなら大丈夫そうだ。
「よし、じゃあ今日の一組の練習は終わり。残りの休み時間は、みんなしっかり休んでね」
村木さんの声で、みんな多目的室を後にし、教室に戻っていく。多目的室は、村木さん、なぎさ、私の三人だけになった。
「じゃ、やろっか」
私たちは、ソーラン節のフィナーレで行う、三人タワーの練習をすることになっていた。
「はーいっ。私が上でいい?」
「いいよ。だってそのために実行委員になったんでしょ」
実際にやる前に、高木先生に教えてもらったやり方を確認する。安全に行うために、土台となる二人の太ももに、一人が片足ずつ乗り、乗った人の足を土台の二人が腕でしっかりと支えるやり方で、三人タワーを行うことになっていた。
まず、私が村木さんの左ももに右足を乗せる。次に、「せーの」の合図で、なぎさの右ももに左足を乗せる。タイミングよく、私のひざを二人が両脇から腕で押さえ、私が体をまっすぐ伸ばし、腕を天に突き上げる。一組のメンバーが、その私に向かって、「ヤー!」とポーズを決める。
「よし、やってみよう」
村木さんの肩をつかみながら、右足を乗せる。この時点で、ちょっと怖い。
「せーのっ」
ふっ、と体を持ち上げ、左足をなぎさの右ももに乗せた。
「きゃあっ」
タワーは左側から崩れ、私はしりもちをついた。
「ごめん、花、大丈夫?」
なぎさがあわててかけよる。
「うん、平気、平気。もう一回やろっ」
その後、もう一度やってみるも、結果は同じだった。なぎさが、私を支えることができないのだ。私が乗った瞬間に、踏ん張ることができず、崩れてしまう。
なぎさは、体が小さく、線も細い。私は太っているわけじゃないけど、私の体重を支えるのが難しいのかもしれない。
数回チャレンジしても上手くいかず、休み時間の終わりのチャイムが鳴った。
「ごめん、私に力がなくて…」
「ちがうの、私の体重が重いだけだよっ」
うつむくなぎさに、明るく声をかける、
「まあ、来週、また練習しよう」
村木さんも、連日の練習で疲れているのか、少し元気がなかった。
今日は金曜日で、運動会は来週の土曜日だから、来週いっぱいは練習できる。毎日やれば、なんとかなるだろう。
翌週、月曜日の一、二時間目に学年の運動会練習があった。五年生、約九十名が校庭に集まっていた。
ここ数日、晴天が続いていたのだが、今日は曇り空だった。半そでだと、少し肌寒いくらいだ。
先週の金曜日の帰りに、一人ひとりに法被が配られていた。スカイブルーの法被は、思ったよりもなめらかな肌ざわりで、軽い素材でできていた。
「今日は、ソーラン節を、最初からフィナーレまで通す。」
高木先生の声に、緊張感が高まる。
全て通して踊るのは今日が初めてだ。しかも、体育館よりも広い校庭では、隣の人との間隔も広く、一人ひとりの動きが余計に際立つ。また、校庭には天井がないので、かけ声も大きな声を出さなくてはならない。
ん、フィナーレまで? 三人タワーは…。
「実行委員のタワーは、できそうだったらやってみよう。いきなりだから、難しいかな」
高木先生の提案に、私となぎさ、村木さんは目を合わせる。
「どうする?」
なぎさは不安げだ。
「失敗してもいいから、とりあえずやってみようか」
村木さんの言葉に、私たちはうなずく。
よし、やってやろうじゃん。
「いよいよ、今週の土曜日が運動会です。堂々とした演技と、大きなかけ声で、僕たち五年生の最高の演技を見せられるように頑張りましょう」
二組の実行委員、久田くんのあいさつで練習が始まった。演技の最初に「構え」の合図をするのも、彼だ。
九十人が校庭に広がる。実行委員は、列の先頭で踊ることになっている。後ろを振り返ると、スカイブルーの法被をまとった五年生が、整然と並んでいた。
「よし、じゃあ行くぞ」
ドクン、と心臓が跳ねる。あれ、最初どうするんだっけ。ま、いいや、体が覚えてるでしょっ。
「構えっ!」
久田くんの声が聞こえる。思った通り、体が勝手に動き、私は「構え」の姿勢になる。
イントロが聞こえる…、三味線の音に合わせ…、まず波の動きをして…、太鼓の音が聴こえたら…、網を巻く動きをして…。
スピーカーから流れる音に合わせて、体が動く。先頭に踊るからには完ぺきに踊らないといけないと思い、家で何度も練習してきた。自分で言うのもなんだけど、踊りに関してはもうばっちりだった。
「艪漕ぎ」という、船をこぐための長いオールのようなものを、こぐ動作がある。艪漕ぎをするときに、後ろを振り返る瞬間がある。その時に、学年のみんなが踊る姿が一瞬だけ見えた。一組が、一番大きな動きで、しかもみんなの息が合っているような気がした。
前半が終わり、後半の演技が始まる。
基本の動きは同じだが、列ごとに互い違いの動きをする。立体感を出すように、下への動きはなるべく低く、上への動きはなるべく高く行う。
「ドッコイショー、ドッコイショー」
「ソーラン、ソーラン」
ちょっと疲れてきたのか、次の動きが不安なのか、みんなの声が少し小さくなってきた。盛り上げようと、私は人一倍大きな声を出す。
さあ、いよいよフィナーレだ。手足を開き、地面を鳴らしながら両手を天に掲げる、「大漁」のポーズをしながら、隊形を変え、大きな円の形に移動していく。私、なぎさ、村木さんは、円の中央に行く。
ハイハイハイ! ハイハイハイ!
このかけ声が聞こえたら、タワーを上げる準備だ。
「さ、行くよ」
村木さんが腰を落とし、片膝を曲げる。なぎさも同じようにする。
「せーのっ!」
私は、村木さんが支える右側に体重を傾けながら、なぎさの右ももに足を乗せる。
乗った! そう思って、右腕を突き出したとき、やはりタワーはバランスを崩し、私はあわてて着地した。
「ヤー!」というかけ声が聞こえたとき、私の視線の先には、二組と三組の実行委員が、いとも簡単にタワーを作り、その周りをクラスメイトが腰を落として、フィナーレのポーズを決めていた。
私たち一組の人たちは、崩れたタワーの周りを、同じポーズをして囲んでいた。
一組のタワー以外、全て完ぺきだった。
「ごめん…」
なぎさが申し訳なさそうな顔をする。
「いいのいいの、気にしないで。また練習しよっ」
ソーラン節のあとは、徒競走の練習があったけど、私は上の空だった。どうすればタワーを成功させられるかということで、頭がいっぱいだった。
曇り空も相まって、私たちは前向きな気持ちをどこかに置き忘れたかのように、静かに並び、静かに走った。いつの間にか、体育の時間は終わっていた。
「やっぱり花の体重が重いんじゃないの」
お母さんは、笑いながら言う。今日はお父さんも早く帰ってきてるから、お兄ちゃんもふくめ、家族四人での食事だ。
「もうー、それみんなに言われるよー。てか、私、太ってないしっ」
体育のあと、教室に戻ってから、吉田をはじめとするバカな男子たちに「もっとやせろ」っていじられた。まあ、いじりやすい私にそう言うことで、「支えられないなぎさは悪くない」って、なぎさをフォローしてるのかもしれないけど。
「今週の土曜日かあ。楽しみだな」
ビールが入ったコップを片手に、お父さんはつぶやく。
私は、足が速くないから、徒競走で活躍できないし、もちろんリレーの選手にも選ばれていない。ソーラン節が一番の見せ場だ。
「でも、どうしよう。最後のタワーで失敗したら…。今日、休み時間にも練習したんだけど、あまり上手くいかなかった。何とか支えられても、二、三秒くらいで崩れちゃう」
「じゃあ、そのなぎさって子に筋トレしてもらって鍛えればいいじゃん」
お兄ちゃんがスマホをいじりながらボソッとつぶやく。いや、筋トレしても、土曜日には間に合わないでしょ。
「でも、お兄ちゃんが五年生のときのソーラン節は、本当によかったよ。動きが本当に大きくて、迫力があったし、なによりかけ声に勢いがあった。タワーもかっこよかったけど、それまでの演技が素晴らしくて、ひきつけられたもの」
お母さんの言葉に、私はハッとする。そうだ、私たちが見せるのは、あくまでソーラン節だ。フィナーレの三人タワーじゃない。たしかに、そこが決まらなかったらちょっと残念だけど、あくまでメインはそれまでの演技だし、その前の踊りが完ぺきで、感動できるものじゃないと。タワーは大事だけど、大事じゃない。
どうすればいいのか、ひらめいた。いろんなことがひっくり返るけど、ここれが一番いい方法だと思った。曇っていた視界が、パッと開けた気がした。頭に浮かんだその考えは、同時に声となっていた。
「私、タワーの土台になる。なぎさを支える」
木曜日、最後の運動会練習があった。前回の月曜日とは打って変わって、よく晴れていた。気温は三十度近くまで上がるらしい。
私は、月曜日の夜にタワーの上に乗るのをやめ、なぎさにやってもらおうと決め、次の日の朝一番に、なぎさと村木さんに伝えていた。さっそくその場で、私が左側、村木さんが右側の土台になり、なぎさを太ももに乗せ、タワーを作ってみると、あっさり上手くいった。「軽っ」と村木さんが驚いていたので、「ちょっと、私が重いみたいじゃんっ」と言って笑い合った。
なぎさは、「でも、花に悪いよ…」と言って遠りょしていた。でも、私はもうタワーの上になることにこだわっていないし、みんなのためにそうするってことを伝えたら、引き受けてくれた。
クラスのみんなも驚いていたけど、「私が決めたことだから」って言ったら、納得してくれた。
「今日が、学年全員で行う、最後の練習になります。明後日の運動会で、最高の演技をして、悔いなく終えられるように、集中して踊りましょう」
三組の川原くんのあいさつで、練習が始まった。
「構えっ!」
聞きなれた久田くんの声で、ソーラン節が始まり、私たちは踊り始める。私は、指先まで意識を集中し、体全体で一つ一つの動きを表現する。「艪漕ぎ」で後ろを振り返ったとき、みんなの動きもキレがあり、タイミングもそろっているのが分かった。隊形移動も、前回よりもスムーズに、きれいにできた。声も出ている。
そして、フィナーレ。三人タワーは、あっさり成功した。「ヤー!」のかけ声とともに、校庭に三つの円ができ、その中心に、見事に三つのタワーが立った。
やったーっ! 心の中でさけんだ。村木さんも、なぎさも、ほっとしたような表情を浮かべていた。
ピーッ、という高木先生のホイッスルの合図で、タワーをくずし、退場する。
「やったねっ」
校庭の端に退場したところで、三人でハイタッチをして喜ぶ。
これなら、当日も安心だ。不安なく、本番を迎えられる。
最後の練習を終え、校庭の端の日陰に、五年生全員が整列して座る。その列の前に、実行委員の九人が一列に並んで立ち、一言ずつ話していく。
「この三週間で、みんなの演技が本当に上達してきました。この体育の時間だけじゃなくて、休み時間にも一生懸命に練習をしてきたことがすごく伝わります。明後日の土曜日は、その成果が無駄にならないように、全て出し切って、最高の演技をしましょう」
さすが、村木さんだ。ちゃんと学年全体の様子を見ている。本当に立派な「高学年」って感じだ。
「この三週間、たくさん練習をしてきて、大きく腕を動かしたり、腰を低くしたりできるようになってきました。当日は、大きな声を出して、運動会を盛り上げましょうっ」
私は、フツーの言葉しか言えない。でも、みんな「はい!」と返事をしてくれて、安心した。
「時には、男女で文句を言い合うこともあったけど、今週は誰もそういうことは言わずに、どうやったら最高のソーラン節ができるかを、一生懸命考えながら、踊ることができたと思います。運動会では、そんな私たちの成長が伝わるような、演技を披露しましょう」
なぎさも、さすがだ。みんなのことを見ている。二人とも、成長しているんだ。
私は、ついこの間まで、自分がタワーのてっぺんに立って、「かっこいい自分」になることしか考えていなかった。そんな自分を支えてくれた二人や、五年生のみんなのためにも、今までで一番いい踊りをして、声を出して、タワーも成功させないと。
私たちのソーラン節を、絶対に最高のものにするんだ。
目覚まし時計が鳴る前に、目覚める。始業式の日と同じだ。
ついさっき、眠りについたばかりのような気がする。今日の運動会が楽しみで、不安で、早く始まってほしくて、早く終わってほしくて…、胸がざわざわ、頭がぐるぐるするような、複雑な気持ちのせいで、夜中まで眠れずに布団にもぐっていた。
いよいよ、本番だ。応援合戦、徒競走、騎馬戦…、いろいろあるけれど、やっぱりソーラン節が私にとって一番大切なプログラムだ。
ソーラン節は、午前の部の最後に行われる。今、朝の六時だから、あと五時間ちょっとしたら、たくさんの子どもたち、そしてそのお父さん、お母さん、地域の人達に囲まれながら、校庭の真ん中に立つ。そして、スカイブルーの法被をたなびかせ、伝統のソーラン節を踊る。
想像するだけで、心臓が波打つ。心と体がつながっていることを、改めて感じる。
そういえば、昨日、驚いたことが起きた。
休み時間に、多目的室でソーラン節の練習をしようと五年一組のみんなに呼びかけたら、なんと全員が参加してくれたのだ。
おととい、学年で最後の練習を終えて、もう本番まで踊ることはないと思っていたけど、五年一組だけで踊ることができた。みんな、ソーラン節を踊ること自体を楽しんでいるように見えた。
「花が言ったから、みんな来てくれたんだよ」ってなぎさや、沙希、幸奈たちも言ってくれて、うれしかった。
さ、今日はその成果を発揮する日だ。早く準備して、学校へ行こ。
「おはよーっ」
「あら、早いね。おはよう」
お母さんが、もう朝ご飯と、お弁当の準備をしていた。
「うん、あまり眠れなかった」
「大丈夫? 登校時間はいつも通りなんだから、ゆっくりしてなさい」
「うん。お父さんは?」
「ちょうど今、家を出たわよ。場所取りの列に並ぶって」
「そうなんだ、わかった」
私がタワーの上をやめて、なぎさに代わってもらうと言ったとき、もしかしたら、お父さんやお母さんが、がっかりするんじゃないかと思ったけど、全然そんなことなかった。むしろ、ほっとしたような、うれしそうな感じだった。
少しテレビを観てから、早めの朝ご飯を食べる。その後は、ゆっくりと時間をかけながら、朝の支度をする。春休みにショートカットにした髪が、少し伸びていることに気付く。
あっという間に出発の時間になり、私は家を出た。ランドセルじゃなく、リュックサックを背負って。
「おはよう、花」
いつも通り、美咲と合流して、学校に向かう。
「美咲、おはよー」
「なんか元気ないね。もしかして、緊張してる?」
「あっ、分かる?」
「うん、花って、わかりやすいよね」
美咲と笑いながら話していると、少し落ち着いてきた。
「一組は、みんなで団結してるって感じがしていいよね」
「えっ、やっぱりそうかな」
「うん、きっと花たちが、がんばったんだろうなーって思った」
美咲にほめられて、さらにうれしくなってきたし、自信がわいてきた。私、すごくがんばったんだ。今日も、きっとうまくいく。
「あっ、リレーでは白組に負けないからね」
美咲は、リレーの選手だ。
ちなみに、杉山小は全学年が三クラスなので、一組が白、二組が赤、三組が青の三色対抗で運動会を行う。ソーラン節のことばかり考えていて、勝ち負けのことなど、すっかり忘れていた。
学校に着くと、すぐに着替えをする。「土曜日に学校に来る」という非日常的な体験をしているせいか、みんなのテンションが少し高い。
「みんなー、おはようっ」
「おはよう。花、いつも以上に元気だね」
なぎさ、沙希、幸奈と、いつものように他愛のない話をして盛り上がる。
すぐに朝の会の時間になり、矢田先生が教室に入ってくる。先生も、いつもより少し興奮しているような気がした。下級生の応援をしっかりすること、委員会の仕事がある人は責任をもって取り組むこと、そして何よりソーラン節を楽しみにしているということ、内容は普通のことなんだけど、熱く語っているように見えた。
「よーし、白組、がんばるぞーっ」
「おーっ!」
お調子者の吉田のかけ声に、みんなが答える。ちっ、私がやろうと思っていたのに。
朝の会が終わると、いよいよ校庭に移動する。
校庭に降りると、白線で書かれたトラックを囲むように、ビニールシートが置かれていた。みんなの家の人が、頑張って場所取りをしたのだろう。
本当に、今日が来たんだ。
三週間前には、まだまだ先のことのように思えていたけど、それが今、現実になっている。そしてそれが、明日には過去になる。そのことが、とても不思議なことに感じる。
照りつける太陽の下、開会式が始まった。頭の中には、ソーラン節のイントロがぐるぐると流れていた。頭の中で、シミュレーションをする。ドッコイショー、ドッコイショー。ソーラン、ソーラン。最後の三人タワー、私と村木さんが、なぎさを支える。なぎさが右腕を天に突きさす。
そこまで頭の中でイメージをしたところで、ちょうど開会式が終わった。校長先生が、一生懸命に話していたような気がするけど、どんな話をしていたか、全く覚えていない。
全校児童のみんなが、自分の座席に戻り、いよいよ運動会が始まった。
私は、他学年の白組の子を、必死に応援した。声と一緒に、緊張や不安も、飛んでいけばいいのに、そんなことを考えながら、「がんばれーっ」と声を出す。
一年生や二年生の様子を見ていると、とても幼く、かわいらしく思える。自分も、つい三、四年前までああいう風に見えたんだと思うと、少し不思議な気持ちになる。
五年生は、ソーラン節のほかに、徒競走と騎馬戦にも全員が参加することになっているが、どちらも午後の部のプログラムだった。つまり、午前の部の最後にあるソーラン節まで、ずっと出番がないのだ。
ふと、なぎさの顔を見る。少し眠そうに、とろんとした顔で、ぼうっと前を見つめていた。
「なぎさ?」
「う、うん。ちょっと、暑いなって」
たしかに、開会式のときから、気温がぐんぐん上がっているような気がした。
時折、「気温が高くなってきています。こまめに水分補給をしましょう」というアナウンスが、聞こえる。
「大丈夫? 熱中症じゃない?」
「ううん、平気」
「無理しないでね。しっかり水分取って」
「うん、ありがとう」
六年生の徒競走、三年生のダンス、二年生の大玉転がし…、次々とプログラムが進行していく。そろそろ十一時になるか、というとき、四年生の徒競走が始まった。このタイミングで、五年生は待機場所に集まることになっていた。
「さ、行こうか」
体操着の上に黒いシャツを着て、その上から法被を着る。暑い。でも、もう十分後には本番だ。大丈夫。
待機場所に移動する。最初は少しざわざわしていたけど、みんなの口数が明らかに減っていく。ついに、始まるんだ。自分でも、心臓の音が聞こえるのが分かった。
四年生の徒競走が終わった。「四年生のみなさん、すばらしい走りでしたね」という放送委員会のアナウンスが聞こえた。
待機場所には、サッカーゴールに紙製の花をたくさん付けて作られた、入場ゲートが置かれている。私たちは、そこからかけ足で入場し、最初の隊形に整列することになっている。一組から順番に入場をする。私は一組の先頭、つまり、五年生全員の先頭として入場するのだ。
入場ゲートから、校庭をながめる。全校児童、その家族、地域の人、先生たち…、たくさんの人に囲まれた校庭は、少し小さく見える。
まぶしい光が空から降り注ぐ。裸足になった足の裏から、砂の焼けるような熱が伝わってくる。
たくさんの人の声が聞こえる。それでも、なぜか「静か」な感じがする。極限まで集中したまま、私はただ前を、まっすぐ見つめていた。
「続いてのプログラムは、五年生による、ソーラン節です。杉山小伝統の法被を着て、力強く踊ります」
さあ、いよいよだ。
高木先生が、太鼓を勢いよくたたき始める。その音とともに、私は校庭に飛び出した。
ドッドッドッドッドッドッ…。
校庭をぐるりと一周しながら、最初の位置までかけ足で移動する。拍手がパラパラと聞こえる。法被がマントのようにはためく。
カーブを曲がるとき、ちらりと後ろを見る。なぎさは、きちんと付いてきていた。よかった、体調は大丈夫そうだ。
ドッドッドッドッドッドッ…、ドンッ。
太鼓の音が終わり、全員が位置に着いた。
校庭にいる人の、話し声がピタリとやんだ。静寂の中、全身を耳にして、「構え」の合図を待つ。頭上から、日光が照り付ける。太陽の光すらも、音として聞こえそうな気がするくらい、静かだ。
「構えっ!」
久田くんの声が聞こえた。今日も、体が勝手に動いて、私は構えの姿勢になっていた。そのことに、自分でも安心した。きっと、大丈夫。
いつものイントロが聞こえる。練習のときと違って、校庭の四方に置かれたスピーカーから音が流れ、校庭中に三味線と尺八の音が反響している。ソーラン節の音が、校庭だけじゃなく、地域にも聞こえているはずだ。なぜかそれだけで、気持ちがさらに高ぶる。
「ハッ!」
それに負けないくらい、大きな声が校庭に響いた。
「ドッコイショー、ドッコイショー!」
後ろから、みんなの声が聞こえる。
「ソーラン、ソーラン!」
なぎさ、村木さん、沙希、幸奈、私の友達も、そうじゃない人も、女子も男子も、みんな一緒だ。きっと、同じ気持ちで踊っている。
前半の演技が終わり、後半の演技が始まる。
「ドッコイショー、ドッコイショー!」
「ソーラン、ソーラン!」
かけ声の一回一回に、気持ちを込めて声を出す。私の声に、みんなの声が重なる。みんなの声に、私の声が乗っていく。
砂ぼこりの舞う空気の中に、私たちの声を刻み込んでいく。
「ドッコイショー、ドッコイショー!」
「ソーラン、ソーラン!」
列ごとに、互い違いの動きをする。列によって高くなったり、低くなったりして、全体が立体的に見えるように、大きく踊る。
あと、数十秒後にはタワーだ。絶対に、絶対に、うまくいく。大丈夫。
「ドッコイショー、ドッコイショー!」
「ソーラン、ソーラン!」
大漁のポーズをしながら、フィナーレの位置に移動する。靴をはいていない裸足の両足で、地面を鳴らす。みんながぐっと集まり、円を作っていく。
私、なぎさ、村木さんが円の中央に集まる。三人で、目を合わせる。みんな、額には大粒の汗が浮かんでいる。
(きっと、大丈夫)
心の中で、つぶやく。
「ハイハイハイ! ハイハイハイ!」
膝を落とし、なぎさが私の太ももに足を乗せる。
「せーのっ!」
「ヤー!」
かけ声とともに、校庭に割れんばかりの拍手が響いた。
みんなの家族の、先生たちの、五年生以外の子どもたちの、拍手が聞こえる。
タワーは、成功した。
二組と三組も、成功していた。寸分のくるいもない、完ぺきなソーラン節を踊り、見せることができた。
なぎさの顔を、下からちらりと見る。なぎさは、右手を天に突き上げながら、前を真っ直ぐ見つめていた。一体、どんな景色が見えているのだろう。
本当は、私が見たかった景色だ。きっと、私の分も、目に焼き付けてくれているのだと思う。
ピーッ、高木先生のホイッスルが鳴る。五年生は全員、その場で起立する。私たちもタワーを崩し、一組の円の中心で、まっすぐ立つ。
あれ、私ってこんなに小さかったっけ。
違う、みんなが大きく見えるんだ。五年生のみんなが、昨日よりも身長が五センチくらい高くなっているような気がする。
「五年生、退場!」
私たちは、再び起きた大きな拍手の中を、かけ足で退場した。
退場してすぐになぎさにかけよった。
「やったーっ…!」
なぎさを抱きしめようとしたその時、なぎさは膝からくずれ落ち、その場にうずくまった。
なぎさは、すぐに先生たちに抱えられ、保健室へ運ばれた。熱中症になっていたらしい。やはり、ソーラン節が始まる前から、体調がよくなかったそうだ。
それでも、無理をして踊ったんだ。そのことを知って、私は胸が苦しくなる。私は、なぎさに無理をさせていたのかな。追い込んでいたのかな。
私はお昼ご飯を後回しにして、ベッドに横になるなぎさに付き添う。
すると、なぎさのお母さんが保健室に入ってきた。保健室の先生と話している。どうやら、一緒に早退するそうだ。
「こんにちは。私、なぎさの友達の尾崎花です」
「花ちゃん、初めまして。いつも、なぎさから話を聞いています。」
すごく上品で、きれいな人だ。なぎさと、どこか雰囲気が似ている。
なぎさは、お母さんの手をつかんでベッドから起き上がる。
「花、本当にありがとう」
「ううん、なぎさが、私と一緒に実行委員を引き受けてくれて、本当によかった。こちらこそ、ありがとう」
なぎさを見送ると、私は家族と合流し、お弁当を食べる。お母さんもお父さんも、ソーラン節を見て、本当に感動したと言ってくれた。お母さんは、久しぶりに涙ぐんでしまったと言っていた。お兄ちゃんは、自分たちの代に比べたらまだまだだな、って言ってたけど。
運動会は、あっという間に終わった。午後の部では、徒競走や騎馬戦に参加したけど、あまり覚えていない。
ただ、今日踊ったソーラン節は、これからも忘れることはないと思う。暑い日差し、砂のにおい、たなびく法被…。これから、運動会の季節になるたびに、思い出すと思う。
上手く踊れるようになったこと、大きな声を出せるようになったこと、三人タワーが成功したこと…、私の成長はそれだけじゃない。もっと、大切なものを手に入れたような気がする。多分、だけど。