第一話 先生が学級担任
――話は少しさかのぼる。
二週間前の四月八日、始業式の日。
前日の七日は入学式で、二四〇名の新入生が姫咲高校に入学してきた。
今日は着任式と離任式が同時に行われる。
今朝、体育館に貼り出されたクラス替えの一覧を見た。
この学校はAからFクラスまであり、各教室四〇名前後で構成される。
一年生のときはA組だったが、今回はD組のようだ。
クラス替えに成績順を取り入れる学校もあると言うが、うちの場合完全にランダムと聞いている。
「お! 俺、今年も咲耶と同じクラスじゃん!」
「亮とまた同じか……」
岩永亮は同じ町に住む幼稚園からの友人のひとりだ。
一八〇センチの長身で鍛えこまれた体躯は時折女子の注目の的になる。
「なんかイヤそうな顔しただろ?」
「去年お前と歩いているとき何回カップルに間違えられた?」
「ああ、そんなこともあったな。気にすんなって!」
制服を着ているときは問題ない。
スラックスを穿いているということは、間違いなく男子だということだ。
問題は体育のジャージである。男女共通のデザインだ。
学年ごとに色が違うだけで、入学時のカラーを三年間使用する。
僕らの学年のカラーはえんじ色、赤の彩度を落としたような色だ。
昨年、ジャージ姿で二度、私服姿で三度、女の子に間違えられている。
いずれも比較対象となる亮が隣りにいるときだ。
男らしい見た目の亮と小柄な僕が並んで歩いているとカップルに見えるらしい。
始業式は始まると生徒たちはクラス替えの票に順番に並ぶ。
亮と僕は二年D組の列に並んで長ったらしい校長の話を聞き流していた。
(あれが新しい先生か……)
三名、体育館右脇に並んでいる。いずれも昨年度見なかった顔ぶれだ。
その中でひときわ男子の目を引く人物がいる。
三名の真ん中、若い男性教諭と中年のベテラン教諭の間に立つ女性教諭。
黒いスーツとスカート、黒髪は後ろでひとつに束ねている。
「なあ、咲耶。あの新しい先生すごい美人じゃね?」
「教育実習生じゃないの?」
「それはないな。両側に並ぶ二人はどう見ても教師経験者だ」
「新人ってことなのかな……」
「だとしたら、ちょっと前まで女子大生だぞ咲耶」
校長の話が終わり、二年生の生徒会長が新学期の挨拶を始める。
同学年でトップクラスの成績、三年生を押しのけて当選する人気者だ。
涼やかな美人で、登壇すると男子がざわめくが……
緊張した面持ちで壇上を見つめる若い先生が気になってしかたない。
「次はこの春から本校に着任される先生方にご挨拶をしていただきます」
進行役の生徒会長が右脇に控える三名に軽く会釈をする。
一番最初に登壇したのは若い女の先生だった。
こういうときは若い者順なのだろうか。
「はじめまして皆さん。この春から姫咲高校に着任することになりました火野美咲です。受け持つ教科は二年生D組からF組の現国です。新入生の皆さんと同じ、教師の一年生ですが精一杯努力しようと思っています。新人ながらこの度、二年D組の担任という大役をいただきました。未熟な点も多々ありますが、皆さんと共に頑張っていきたいです。よろしくお願いします」
火野先生が深々とお辞儀をすると男子からどよめきと歓声が起こった。
特に担任と聞いた瞬間、うちのクラスの男子は気色悪い小躍りをする者までいる。
「亮……その変な小躍りやめてくれ」
「いやー、嬉しいじゃないか! 担任の先生だぞ!」
「担任って最初と最後のホームルームぐらいしか会わないよ」
「現国もあるじゃないか! 咲耶は嬉しくないのか!?」
「うん。嬉しいよ。でも、どう喜んでいいのか――」
「ああ……うん。大丈夫だ。お前の分まで俺が喜んでやる!」
幼なじみとも言える亮は僕の発達障害について知っている。
たぶん、コイツのことだから難しい専門知識はないはずだ。
笑わないならいつか笑わせてやるとか考えているのだと思う。
着任式で三名の先生が挨拶を済ませ、離任式が進行している。
今回、離任するのは七〇歳になる伊豆高彦先生。定年退職である。
昨年度まで二年の現国を受け持っていた。
物腰柔らかで教え方もうまく、伊豆先生の授業で騒ぐ者はいなかったと言う。
離任の挨拶の口調もハキハキとして年齢を感じさせない。
ふと火野先生のほうへ視線を移すと……
(え!?)
目頭を白いハンカチで抑えている。鼻をすする音も微かに聞こえてくる。
退職する伊豆先生の挨拶に感動しているのだろうか。
あれこれ頭の中で思考を巡らせているうちに挨拶が終わっていた。
「火野先生って涙もろい人なのかな?」
前に並ぶ亮に問い掛ける。
コイツ、本来なら出席番号があいうえお順で一番前のはずなのだ。
まだ誰とも自己紹介をしていないことを利用して僕の前に並んでいる。
「ん? 誰の髪がもろいって?」
「なんでもない……」
体育館の右脇におりて行く伊豆先生。
その近くには三名の着任したばかりの先生が並ぶ。
中心にいるのが火野美咲先生。今日からクラスの担任となる。
***
始業式が終わり各々教室へ戻ると、出席番号順に左奥から着席していく。
亮は岩永という姓の宿命なのか、いつも一番か二番である。
今回は出席番号一番で左奥の最前列に着席した。
「えっと……僕の席は……」
ひとりの女子と目が合った。
左の窓際から二列目最後尾の席を指差している。
「咲君くんと亮のバカもまたいっしょだね」
「水早ちゃん! 同じクラスだったの!?」
「亮の前に並んでたんですけど!!」
「ごめん。亮が変なとこ並ぶから……」
「その前にクラス替えの表を見て気付きなさいよ」
蔵水早は、これまた同町で育った昔からの顔なじみだ。
背は僕より低い一五六センチ、細身で小柄だが水泳部のエースとして活躍している。
確か文化部も掛け持ちで入部していると亮から聞いたことがある。
「でも、よかった。知ってる人が前の席にいて」
「何人かは一年のときいっしょだった子もいるじゃない」
そう言われて辺りを見回すと、知っている顔も多いような気がする。
同じ中学校出身の生徒も何人かいるようだ。
「あ。先生きたみたい」
「亮が好きそうなタイプよね」
「ええっ!? あいつ年上好みなのかなぁ……」
教室のドアが開き、火野先生が入ってくると男子はざわめき始める。
先生は気にすることなく、淡々と黒板に自分の名前を縦書きする。
「今年度、このクラスを受け持つ火野美咲です。皆さんよろしくお願いします」
窓辺から差し込む光に照らされた先生は神秘的な魅力を放っていた。
教室中の男子は火野先生の顔やブラウスの胸元から目が離せない。
女子はざわめく男子を面白がったり呆れたり、反応が様々だ。
「この雰囲気……疲れる」
「咲君はああいうのタイプじゃないの?」
「うーん……よくわからない」
その場しのぎの嘘をついた。
水早ちゃんは小さくてカワイイタイプ。先生は長身で大人っぽい和風美人。
僕はカッコイイよりカワイイと言われるタイプの男子だ。
自分にない魅力を持つ火野先生が気になってしまう。
「みんな静かに! 出席番号順に自己紹介してもらおうかな?
名前、部活、趣味とか自己アピールなんでもオッケー」
「うわっ! 俺からかよ!」
左の最前列に座る亮が立ち上がった。
「出席番号一番は……岩永君ね」
「岩永亮です。部活はやってません。趣味はジム通い。結構スケベ人間です!!」
ドッと教室中が笑いに包まれる。
僕や水早ちゃんはこのくだりを小学校の頃から聞かされている。
小学生の頃の自己紹介はちょっとスケベ小僧、中学生でなかなかスケベ少年。
ちゃんと高校でグレードアップしているのだ。
「へぇ! 岩永君はスケベニンゲンなの?」
「はい! 堂々たるスケベ人間であります!!」
再び教室中が笑いの渦に包まれる。僕も口元を緩ませているんだろう。
亮が面白くて、おかしいのだけど……
それを外に向かって表現できないもどかしさがあとに残る。
「岩永君って日本人顔なのにオランダ系が入ってるのね」
「はい? え? どういうことっすか?」
トップバッターの自己紹介から教室の時間が止まったように全員が固まった。
僕の知る限り……岩永亮の家系に外国人はいない……はずだ。