8話 異世界ぬいぐるみのターン、もう終わり?
「フェリシアァァァァッ!助けろォォォォォォォッ!!」
突然呼ばれた自分の名前に、フェリシアはビクリと身を震わせる。見上げた先にはジェラルドの木人達と、片腕の欠損した俺の必死の形相──ぬいぐるみだが。自分から言い出した物事の結果としては最悪の光景。
──何とかしないと。
わかっていても体が、魂が、動かない。手を伸ばして俺を救おうとしても、その手がガラス細工の脆さでしかない事をフェリシアはわかっている。力が無い、足りない。
──でも、どうやって?
強者に屈する立場に慣れすぎたフェリシアは、眼前の敵に対抗する術を持たなかった。あったとしても、明確に敵意として叩き付けることなど出来るはずもなかった。
──ごめんなさいシュート。
地面に目を落とすフェリシアは、それでも余力を振り絞って、手元にあった小枝を握る。そっと宙に浮かばせたソレを、差し向けたのはまさに今、絶体絶命の俺の方。
──せめて、逃げて。私なんかに関わらせて、ごめんなさい。……ごめんなさい。
群青色の光の文字列が小枝から溢れ跳ね、一瞬で収束する。そして、
「──『一灯』。逃げて、シュートぉぉぉっ!!」
フェリシアの手にした小枝から、爆発的な群青色の光の放射が始まった。それはまるで野球場の大型ライトが光度最大のまま、突然目の前に現れたかのような明るさと熱を孕んで、視界を焼き尽くす。これがフェリシアの出来得るせめてもの全力だったのか。その真意はわからない。だが、この一瞬の隙を、濁流の様な光の放射の海で、右も左もわからない状態を俺が利用しない手は無い。
まずは自身の居る位置の認識。そしてジェラルドとの距離。いずれ戻るであろう視界の眼前に、ヤツが居れば御の字だ。出来るなら、このまま杖を折ってしまえばどれだけ良いか──。
群青色の光の中、俺は見据えた方向に駆け出した。最悪、激突しても良い。とにかく、ジェラルドに接近出来れば──。
ガシッと。
「ヴッ」
掴まれた。いや、捕まれた。この、ざらついた指の感覚は?あの木人の……まさか、なんで、見えるはずも……。
「……まさに児戯。フェリシア。自分が魔力の感知を見誤るとでも?笑わせるな。その浅はかな慢心、素首磨り潰してもまだ足りない。五体を断裂し、潰し上げ、血袋にしてステラに赦しを請おう。……この他力本願の《《グズ》》が」
魔力感知。それは山小屋を出る前にフェリシアが危惧していたものだ。感知と言うからには、それを放つものを感知出来るのであろう。そしてそれは、この俺も例外ではなかったのだ。これだけの光量の嵐の中、見誤らず、正確に俺の胴体を鷲掴みにした。ジェラルドには見えているのだ。俺の決死の突撃も、フェリシアの底の浅い全力も。すべて、彼の実力の前では子供の遊び程度の抗いに過ぎなかったのだ。
「ひっ……うぅ……」
声だけ聞こえるフェリシアの情けない嗚咽に、俺はまたか、と内心溜め息を漏らしてしまう。結局、どれだけ意気込んでいても、現実という壁はいつでも目の前に現れてとおせんぼをする。結果を出す人間というものは、こんな時その壁をぶち壊す努力が出来る人間なのだろう。俺は、どうだ?
「こぉんの……!くそがっ離せ!」
抗える。それでも俺は抗える。もう俺は日本人、柊木柊人じゃあないんだ。異世界ぬいぐるみ、シュートなんだ。だから、せめてこの異世界最初の壁くらい、ぶち壊せなくてどうする。
「フェリシアァァァッ!立て!次だ!まだ俺は、戦える!」
魂の叫びだった。本音を言うと、話の流れでこの場の窮地に行き着いたに過ぎない俺が、ここまで本気でムキになる必要は無い。彼女の事も、それを取り巻く関係も、そもそも世界の事さえ、満足に俺は未だ知らない。だが、だからこそ俺はこの場を自分の思った結果に導かねばならないと決心する。ここで折れていては何も変わらない。不意に墜ちた穴の先で待っていた自分が決めた決意に、恥じない様に。決めた、決めた、決めたんだ。俺は。俺はもう、誰かの下で指示を仰ぐ事も無い。俺は、自由なんだ!なのに。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
なんでだ。お前が俺に持ち掛けた話しじゃあないか。張本人のお前がそれで、俺はどうする。まったく、揃いも揃って異世界人というヤツは。
木人に捕まれた体勢のまま、薄っすらと浮かび上がるのは地面に突っ伏し震えながら怯える栗毛色の少女。もはやフェリシアの魔法など意図にも介さないジェラルドが既に彼女の眼前に迫り、その手に持つ杖を振り上げ、紫紺色の文字列を荒ぶらせていた。
「……貴様はただ一般庶民を演じていれば良かったのだ。自らを否定しながらも、どこかで偉大な母を胸に秘めた自分を持ち、考えを改めなかった。──傲慢な娘よ」
「……わかってるよ……私はどうしようも、ない……。でも、でも!私は……!」
「黙れ!不遜な!お前は所詮ステラに望みを託した、愚かな寄生虫だ!──百年を生きた魔女なら、お前の立つ瀬をなんとかしてくれるとでも思ったか。異界人を口ほどき侍らせ、その体たらく。もはや貴様は生きるに値しない。すべてを他者のせいにして擦り付け、自らの立ち位置すら理解しない。そんなお前の最期には、三重魔法は豪勢過ぎる」
振り上げた杖に紫紺の文字列が纏う。それは木人達を産み出した時よりも遥かに少なく、単純に一つの効果を得られる程度の規模の魔法を放つ準備行動だと、わかる。
「──?」
同時に、木人の握力による拘束力がゼロになっている事にも気付いた。それでも、俺の体を締め上げる手首の形は強く引き締まって固い。今の俺が足掻いたところで、腕一本引き抜ける気がしない。
「──その身を焼いて、大魔女二柱に詫びろ。『蠱毒』」
ジェラルドのなにもかもなげうった様な蔑みの言葉と、振り下ろされる杖と腕。動けない俺から見ればその光景はもはやどうしようもない。相変わらず震え怯えるだけのフェリシアに、これ以上の期待も出来ない。縛り付けられる様に固定される俺にも、何が出来る訳でも無い。だが、それでも俺は。
「……同情するぞ異界人。災難だったな」
これで終わった。そう言いたげなジェラルドの流し目に、俺は、俺は。
──俺の刺々しいささくれだった木肌の体は。
「うるせえ」
──土を掻き分ける様に乱雑に獣の様に。
「見下すなよ」
──陸に上がった魚の様なみっともなさで。
「この、異世界人が!!」
──振り上げた樹皮の握り拳が、
「ぐぅぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
──白髪痩身の男のどてっぱらを、打ち抜いていた。
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──金縛りにあった事はあるだろうか。俺はある。新プロジェクトの営業やらでドサ回りをした日の夜など、遭遇率が高い気がするのはソレが疲労からくるものだからだろうか。
具体的に俺の金縛りの体験談としては、寝ようと床に着き眠気の微睡みが徐々に意識を奪っていく中で、始まる。
まず意識はある程度鮮明だ。横たわるベッドからは自由に辺りを見回す事が出来る。だが体は動かない。声も出せない。ただただ《《動けない》》だけで起きているのとあまり変わらないのだ。そしてこれ程の恐怖が日常のワンシーンに潜んでいるのは、億劫ではないか。
意識が無いのに動けない。これは植物状態とも、それこそ死んでいるのと何の違いがあるのであろう。朦朧とした思考の中で、恐怖に支配された俺はいつも《《無理矢理》》動けないのに動こうと試みる。すると、不思議な事に目線だけは自在に動かせる様になる時があるのだ。肉体を動かした感覚も無いのに、意識と視界だけがベッドを降りて玄関のドアを開けようとする。だがそれ以上先に、いつの夜でも進む事は出来なかった。
これが幽体離脱だとすれば、戻れる保証も無いだろう。ただの浅い眠りの夢だとしても、実感の無い微睡みの意識のまま外の世界に出るのは目を瞑ったまま出かける事にも等しい恐怖感が強い。俺はいつでも、そこで引き返し本体が眠る姿勢に目線を戻して、目が覚める。
仮に幽体離脱の状態のまま、ドアを開けて外に出たら、どうなってしまうのか。
──多分、今の俺の様な気分になっているに違いないと、何故だか理解が出来た。
それ程までにこの《《体》》への移り変わりは薄い一筋の意識の線で繋ぎ止められている様に希薄で、曖昧で、どこか夢見心地と言っていい寝惚けた感覚に俺を落とし込んでいる。
「……シュート、なの?」
恐る恐る顔を上げるフェリシアの視線は、その刺々しい木肌のささくれ立つ木人の左手に握られたうさぎのぬいぐるみの俺、ではなく。
「……んなぁ?なんだこりゃ……」
ジェラルドを殴り飛ばした形のまま、固まっていた木人そのものの、おおよそ頭部と言える部分の木の出っ張りに向けて、発せられたのだ。
「……異世界ぬいぐるみのターン、もう終わり?」
──見紛う事も無い。今、俺の目線の高さは2メートル以上の高さがあるだろう。見下げるフェリシアの小ささ、そして左手のうさぎのぬいぐるみ。ソレを見ることが出来るとうことは、つまり。
どうやら俺は、ジェラルドの作り出した木人に乗り移ってしまったらしい。この場合、成り代わったとも言うのか?どうでも良いが、こうして見ると俺の最初の体だったぬいぐるみ、結構可愛かったんだな。
──しみじみとして、俺はは少しだけ現実逃避をすることにした。