5話 最期に貴方をごみ捨て場に出すのも、私がやってあげるよ
──早朝。窓から射し込む白々しい陽の光が、一睡も出来なかった俺のガラス玉の瞳に反射する。
「んん~~……フニャッ」
一睡も出来なかった理由としては二つ有る。一つは無防備に毛布をはね除け、ネグリジェを着崩しに着崩した概ね寝相は悪いと言って良い姿で、俺の顔面を抱き潰したまま夢の国へ旅立っているフェリシアだ。
「…………」
「うぎゅ~~……」
今年で三十。女っ気も無く青春も冬春とでも呼べる様な日々を過ごしてきた俺にとって、異世界人とはいえ女性のベッドでその持ち主と一夜を共にするなど、考えられない出来事。さらに言うとその肉々しい胸の膨らみが半ば強制的に俺の頭部を柔らかく包む。暖かい。なんて暖かいのだろう。
「板垣よ。そっちじゃなんの面白味も無い人生だった俺だが、わからん。人生わからんものだ。──願わくば、この至福の時が永遠に続かん事を──」
もう、なされるがままにされない。俺は、掴める、この肉饅頭の様な夢を。この手で!
ぐっと力の入る両手で、俺は目の前の絶対に柔らかいと確信出来る感触のソレを──彼女らが俺にそうしてきた様に──鷲掴みにした。
「…………」
「……っっ」
しようとした。
「……おはよう、シュート」
「……ぬいぐるみだから……もはや性別ないんだから……お前……やめろ、そんな目付き……!」
「……おじさん、だねぇ?前世じゃ付き合ってる人とかいなかったの?シュートおじさん?」
「うるさい。俺は仕事一筋だったんだ。って!勘違いするな!なんだ!やめろ!やめてくれ!俺は、俺は……!」
絡み付く様に俺の揚げ足を取るフェリシアの言い回しに、俺は身の潔白の為に彼女から離れようとする。……離さない。フェリシアは目が覚めたタイミングから、俺を抱き締める事を一向にやめなかった。
「……いいんだよ?私のお願いをちゃんと叶えてくれたら、シュートのお願いもなんでも聞いたげる。だから、今日はよろしくね?」
「なんでもってお前……そんないい方しなくても、乗り掛かった船だ。事は納めるまで、付き合ってやるよ」
「それがお願い?」
「!?」
ズリズリとフェリシアの胸に圧迫される顔を無理矢理引きずり出すと、そこにはまるで大好物のハンバーグ・カレーを夕食に出された子供の様な、欲しかった玩具を与えられた子供の様な、喜色満面な面持ちのフェリシアの笑顔があった。そんな彼女の表情は、女性との接点などほとんど皆無に近かった俺にでさえ、その奥底に秘めるまったく色の違う、思惑が別な、チグハグな色気の騙しとでも言うべきか、女の怖さを見た。
「いいよ?今回の事も含めて、私の力になってくれるのなら。私はシュートの傍にずっと居てあげてもいい。最期に貴方をごみ捨て場に出すのも、私がやってあげるよ」
「……そりゃどうも。ただお前……大丈夫かよ?」
「何が?」
そう言ってにこやかに首を傾けるフェリシアの栗毛色の髪が俺の顔面を覆う。……俺、たぶん日本でキャバクラとか行ってたら、風俗狂いになってたんだろうな。言うて、女性というモノに耐性が無さすぎる。ステラはガキだが、フェリシアは違う。仮に現代日本で見掛けたら、俺でも振り向いてその美貌に一瞥を置くだろう。そのどこか二次元めいた彼女の読めない笑顔に、俺の男心は完全に傾いてしまっていた。
「いや、単純な意味での大丈夫か、だ。……本当に俺が、お前の力になれるのか?」
「えっ?大丈夫だよ。シュートが私の味方になってくれてるんだから。……きっと、全部上手くいく。……絶対」
「そう、か」
これが、ワンナイトラヴ、というやつなのか。この体で、そういう行為など出来得ることなどありもしないが、一夜を共に過ごした中身は男女の二人だ。俺はたった一日にも満たないフェリシアとの時間で、彼女を完全に信じきってしまっている。彼女の為に何かをしたい。力になりたい。
当初は年長者としての気遣いがフェリシアに対する気持ちの成分の大部分を占めていたが、今は違う。
「──私の騎士になってくれる?シュート」
「くさい事言うなよ。言っただろうが。乗り掛かった船だ。無事に向こう岸に着くまで、同伴してやるよ」
「そう。ありがとう、柊人さん」
フェリシアが恍惚に近い、頬を上気させた笑みを俺に向けてくる。シュートでもシュートさんでもなく、音程は日本で聞き慣れた俺の呼び名のソレそのもの。彼女は、《《俺》》に言っているのだ。誰かに本気で頼りにされるというのは、打算抜きで心地好いものがあった。その結果として得られる信用は俺の生きた証しにもなる。まさか異世界の地で、板垣にも過去にあった窮地に手を差し伸べる様な出来事に遭遇する事になるとは。しかも相手はあの細長キツネ目の優男ではない。れきっとした女性なのだ。もうぬいぐるみになって何でもござれな気分の俺だ。いくらでもやってやる。突き進んでやる。
「俺に任せろ。俺に出来る事はやってやる」
「嬉しい。じゃあシュート。まずは」
俺に引き付けた顔をちぎれた輪ゴムの様に一瞬で離して、彼女は明後日の方向、いや、昨夜のダイニングの方に目線を向けて、細めた瞼に数学のテストと対峙する中学生の様な小難しい皺を寄せて絞り出す様な声音で言った。
「……ジェラルドに殺されない様に、私を守って」
「──はぁ?」
ポテン、と、枕元に転がされていた俺は、瞬時にあのいかつい武骨な老躯の男の眼光の鋭さを思い出して、無いはずの額の汗腺から汗が流れ出る錯覚に陥った。
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──一人と一体のぬいぐるみは、そろっと窓ガラスを開けて外へと足を伸ばしていた。
「一応、照明代わりに使われる術式魔法『灯』を残してきたから、ジェラルドの魔力感知を誤魔化せるとは思うんだけど」
「ああ、やっぱ魔法なのかアレ。ステラの瞬間移動とかもそうなのか?」
「そうだよ。瞬間移動なんて簡単に言うけど、あの術式を使いこなせる魔導士はかなりレアなんだよ。ステラ様は、その中でも更に稀有」
窓枠によじ登った俺の背後で、ぐるぐると群青色の光の螺旋が宙に浮いていた。部屋の中央の中空で、人の握り拳程の大きさのソレは、音も無く室内をミラーボールの様に不規則に照らし出している。
「なるほど。今さら驚きもしないが……じゃあお前も魔法使いって訳だ?」
「──その称号を持つ人間は、この世界では一人しか居ないよ。私は、魔導士見習いってところかな」
抱き抱える様に俺を支え、降ろすフェリシア。チョコンと着地した俺は、心の中で『あっ』と思わず呟いてしまっていた。
「あらためて……俺、すごいとこに来たんだなぁ……」
俺のガラス玉の瞳に映し出されたのは……眼下に広がる西洋風の街並み。遠目に見える、尖塔が並び立つ黒灰色の城壁が厳かな巨大な古城。古城の背景となっている小高い山々には──。
「なんだありゃ?──ロボット?マクロスかよ……でけぇ……」
300メートルはあるのではないのか?あまりハッキリと見える訳ではないが、山の斜面にもたれ掛かる様に仰向けに崩れ落ちているくすんだ黄金色の、巨大で長大な人形の機械部品の塊を見た。それは、スクラップ置き場に積み重なった中古の廃車の様に錆び付き、所々のパーツを欠損させた、ただの鉄屑という印象を俺に与えてくる。しかし、山岳地帯に並び立つ鉄塔にも似た存在感を発する異様な鉄の巨人に、俺の目は釘付けになっていた。
「『機械人形』……『絶滅戦争』の名残だね。シュートの世界にもあんなのあったの?」
「ああ……もっとピカピカでゴツくて、火器兵器満載の格好良いヤツだけどな。俺も何体か持ってた」
「嘘!?ソレってどんな世界観なの!?ニホンってやばいね!」
若干引き気味のフェリシアが想像しているのは、『機械人形』と呼ばれた巨人を並び立たせた俺の姿だろうか。実際立たせていたのは言わずもがなガンプラであった訳だが。サイズ差はあるが機械人形と言えば機械人形だろう。
「……しかし、ここはどこのファンタジー世界ですか。今日日あのサイズの城なんてテレビでも見ないだろ」
そもそもテレビ番組自体を視聴する機会が無くなっているのは置いておいて、奥の巨大機械もそうだが城の大きさも現代の高層ビルに負けず劣らずでかい。城を中心に広がる街並みは、赤味がかった焦げ茶色の屋根でほぼ統一され、俺の居る場所が高台だからかその全体像を把握出来るものの、やはり広大だ。この街、いや都市は、所謂王都というものなのだろう。
気付けば俺の立っている場所は都市から少し離れた山林の頂上らしい。緑の木々の合間から吹く風が、少し温い。気候的には、日本で言うところの五月といったところか。
「お城、珍しい?あそこは私達ローランの民の王様が住まう居城。その周りの街も含めたこの王都は、大陸随一の大きさなんだよ。シュートに来て欲しい所も、あの中にあるの」
「フェリシア。具体的に俺は何をすれば良いんだ?ただついて来いってだけじゃ、いざというとき対応出来んぞ」
「ん~~……それはシュートが異界人、というところから始まる話しなんだけど、長くなっちゃうから……私も本当はシュートを《《試したい》》んだけども、ここだと絶対ジェラルドにバレるから。それに今も、」
言葉を切ったフェリシアは、恐る恐る自身の放った魔法の効果を確める様に、未だにぐるぐると群青色の発光を放ちながら回転する物体を見やった。心なしか少し大きさが小さくなっているような。
「……気付かれているかもしれない。あの人だったら、寝ながら魔力感知ぐらいやってのけそうだもの。だからシュート。もし仮に、この山の道を下る道中で、ジェラルドが現れたら……貴方の力を見せてもらうからね」
両手で俺の頭部を挟み込んでむぎゅりと潰したフェリシアが、真剣な眼差しで俺の愛らしい黒目を見詰めた。だからフェリシア。その俺の中に秘める封印されたチャクラの様なモノに期待するのは構わないが、俺には未だにちんぷんかんぷん。彼女が覚悟を決めた表情をするのは良いが、俺は今一つ盛り上がりに欠けた返事しか出来なかった。
「ふぉう。ひゃれるほとはひゃってひゃるよ」
──おう。やれることはやってやるよ。
と言ったつもりだったのだが、フェリシアの両手に挟み込まれた口元からは、寝ぼけた様な言葉が抜けていくだけだった。
……そういえば俺、どこから喋ってるんだろ……。
今更ながら、我がぬいぐるみの体の七不思議の一つを、俺は自覚した。