カップのエースの逆位置
「じゃあ、森島君。彼女は左手を怪我していない。けれど、隠さなければいけなかった。その、理由は?」
見栄が邪魔する。包帯で隠す。
それは、周りがそうさせるのか、本人の気持ちの問題か。
鶏が先か、卵が先かみたいなものだ。誰も悪くはない。
「そんなの……」
いつもそこにあるべきものが無かったからだ。幸せな結婚をしていた彼女。けれど、そうではなくなった。
美しく輝き、そこにあるのが当たり前だった月。その月が地に落ちた時、人々はどう思うのか。
周りに見せていた自分の「姿」がなくなることへの不安。
大切な友人であれば、本当のことが言えるはずだ。少なくても僕は、友人とはそういうものだと思っていた。
嘘なんかつかなくてもいい。一緒にいても苦しくない。一緒にいることが楽しい。そんな関係が「友人」だったはずだ。
現に水谷は、桐原が何か大変なことに巻き込まれているんじゃないかと思って心配していた。それは純粋に相手を思っている気持ちだ。何も間違ってはいない。
「結婚指輪、か」
「あぁ」
僕がそう答えると、田岡は水谷をまっすぐに見てそう頷いた。普段から当たり前にようにつけていた結婚指輪を外す理由なんて一つしかない。
「彼女、離婚、してたんですね」
水谷は、隠し事をされていたことについてショックを受けている様子もなかった。僕はそれがなんだか不思議だった。嘘をつかれても怒るつもりはないと言っていたのは水谷の本心だったらしい。
田岡は、真実を語ってもなお、タロットカードは続けるつもりらしい。真ん中のカードを手に取って。少し考えるとテーブルの上に戻した。
「現在の状況、カップのエースの逆位置。満たされた幸せ、純粋な気持ち。それの逆位置だから、もう貴方に気がありません、今この瞬間の冷めた感情ですね」
僕は、田岡の言葉を聞きながら、カードというのは都合よく出るものなのだなと感じていた。現在の状況にそのまま真実が出ているからだ。あまりにぴたりとあてはまるカードが出ているとなんだか逆に作られた嘘のようだ。
カードに描かれた、カップから溢れ出す水は、僕には雨のように見えた。誰にも受け止められることのない感情は行き場をなくしている。
水谷も、そして桐原も。
「彼女とは、学生時代からの長い付き合いで、大事な友達です。けど、そうですね。お互い働き出して、彼女は結婚して、疎遠という訳じゃないですけど、学生だった頃と比べると年々会う頻度は減ってきました。だから、きっと隠そうと思えば隠せるんですよね、離婚したこと」
学生の時のように、毎日顔を合わせている訳じゃない。わざわざ聞かない限りは、苗字が変わったことなんて気付かないだろう。
桐原がいつ離婚していたのかわからないが、きっと水谷に会うまでは、指輪を外していたことにも気づいていなかったのかもしれない。なくなったことが日常で、当たり前になっていたから水谷に会うまで忘れていた。
だから、焦って包帯で隠した。
いつかは、離婚したことを周りに話すつもりだったのかもしれない。けれど、あの場では言えなかった。けれど、その嘘を責める資格は誰にもない。
友人だというのなら、きっと、なおさら。