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青い鳥と赤い鳥

 僕は、田岡への反抗の為だけにひとり違う飲み物をキッチンへ取りに行った。

 一般家庭に必要のないサイズの業務用冷蔵庫を開けると田岡が言っていた通りガラスピッチャーにアイスティーが入っている。

 自分は、ダージリンだアールグレイだ茶葉の味など分からない人だが、田岡のことだから、間違いなく、アイスティー向きの茶葉を選んでいれている気がした。

 そういう男なのだ。


 グラスを持って部屋に戻ると、田岡は僕に向かって視線を送り「さっさと椅子に座れ」と目で指示してくる。これ以上往生際悪く無視を決め込むのも大人気ない気がして渋々用意された席に座った。

 席へついた時、さっきからチラチラと視界に入ってくる絵について、やっと口に出す決心がついた。黙殺するにしても主張が強すぎだった。

 先週この部屋へやって来た時にはなかったものだった。

 これが、例えばレプリカだとしてもゴッホのひまわりであれば、この屋敷の雰囲気にも季節にもあっていて特に気にも留めなかった。

 ドラキュラ城。もとい田岡邸は舞踏会でも開かれそうな趣をしているが、先に述べた通り、住んでいるのは田岡一人なので、何か様子がおかしいところがあれば、少なからずこの家主である田岡が手を加えなければ何も変わったりはしない。

 つまり意図的に田岡がこの一週間の間に飾ったということだ。

「あの絵、なんだ?」

「せっかくお客様がくるというのに、殺風景なのもどうかと思って」

「それが、どうして愛鳥週間なんだ」

 そのまま気にせず話を始めても良かったが、なにぶん自分の視界に入って気が散ったために聞いてしまった。

 おそらく大昔に田岡が夏休みの宿題で描いたものだ。青い鳥が書かれたポスターが絵の中身に釣り合わない金縁の豪華な額に仰々しく飾られている。

「夏だし、大人が夏休みに思いをはせるのもいいじゃないか」

「絵を飾るなら、お前の家にはもっと良い絵があるだろう」

「これも中々良い絵だと私は思っているよ、今日という日には相応しい絵だ」

「そうか?」

 僕は眉を顰めた。

 お世辞にも上手いとは言えなかった。

 小学生らしくなく、塗りだけが職人技のように整っていた。

 それが逆に気持ちが悪い。シュールレアリズムを感じる田岡の絵は見ているこっちを不安定な気分にさせる代物だ。

「懐かしいですね、私も小学生の時に描きましたよ。税の作文に愛鳥週間、夏休みの絵の宿題って私は苦手でしたけど」

「実は、本当は青い鳥じゃなくて、赤い鳥だったんですよ。ただ、気分が変わって上から塗り直して青い鳥に描き直したんです」

 小学生の田岡が、どうして赤い鳥を青い鳥に変えたかなんて理由は知らないが、きっと言葉の通り、本当に気まぐれで塗り直したのかもしれない。

 自分なら一度赤い鳥で描いてしまったものをあとから青に変えようなんて端から思わない。第一、下の色が滲んできて紫の鳥になる危険の方が高いからだ。

「十年以上経ってもこうやって赤い鳥は見えず、青いまま。そういう意味ではよく出来た絵だと私は思っています。私がこうやって説明しない限り、誰も青い鳥の下に赤い鳥がいるなんて気づきませんから」

 田岡は、そう意味深な言葉を述べると、絵に向けていた視線を水谷に戻した。

「さて、お話を伺いましょう」

「えっと、森島君には、昨日話したんですが、私の友人が、事故にあった理由を私に隠す訳を知りたいんです」

「事故にあった理由、ですか。隠したいから、隠した。ではいけませんか?」

 普段は、田岡の言葉には一言一句として同意したくはないが、水谷の話を聞いた時に自分も同じように思っていた。

 僕がそう思うのは、他人に深く関わりたくないからで、おそらく田岡は、興味がないからだろう。

 意見は同じでも理由は、少し違っていた。

「あと話の前にもう一つ。水谷さんは、その理由を知ってどうしたいか、いや。どうするかを、もう決めていますか?」

 田岡は、水谷の目をまっすぐにみると、そう前置きする。

「そう……ですね。友達ですから、もし、彼女が何か苦しんでいるんだとしたら、助けてあげたいと思っています」

「助けて、あげる、ですか」

「はい」

「まぁ、いいでしょう、では続けてください」

 そう言うと、田岡は水谷の話を最後まで止めることなく黙って聞いていた。


 内容は、会社で僕が聞いたことと同じだった。

 休日に喫茶店で水谷と桐原は今度の旅行の話をする為に会ったこと。

 少し遅れてやってきた桐原は怪我をしていたが、その怪我について水谷に何も言わなかった。

 しばらくして、桐原にかかってきた電話の会話内容から、事故にあったのかもしれないと思った水谷が心配して彼女に尋ねたところ、桐原は「そうだ」と答えたのに、なぜか不自然な形で話は無理やり切り替えられた。

 僕としては、何も気に掛かるところなどなかった。


「なるほど。で、森島君は、水谷さんの話を聞いてどう思ったんだい?」

 突然、外野である僕に話をを振られて、飲みかけていたアイスティーをこぼしそうになった。

「ど、どうって、別に僕の意見なんてどうでもいいだろう」

「まぁ、どうでもいいかどうかは、聞いてみないとわからないし、今後の参考までに」

「聞いてなんの参考になるんだ?」

「占いって、学問。言ってみれば統計学なんだよね」

「統計学?」

 田岡が、仕事について僕に話すのは、これが初めての気がした。何か心境の変化でもあったのだろうか。

「そう。摩訶不思議な力が突然私に降って湧いてきて、占えるようになった訳じゃない。センスはいるけれど、勉強すればある程度のことは誰でもできる。統計学なら、サンプルが多い方が、答えにより近くなるのは必然だ。別に今やっているのは占いじゃないけれど、似たようなことだね」

「へぇ」

「AIの話なら、食わせすぎた情報による過学習で、答えから遠ざかることもあるが、まぁ、そっちの分野は森島君の方が得意だろう」

「AIは門外漢だ、それに僕は印刷会社の社内SEだ」

 田岡が僕の仕事をどう考えているのか知らないが、エンジニアにも色々いる。全員が情報工学のスペシャリストな訳ではない。

 そういえば、僕自身も田岡に自分の仕事の話をしたことがないことに今更になって気が付いた。

「で、どう思った? 森島君」

「多分だけど、隠したのなら、それには理由があるから、僕なら態々聞き出して他人の面倒なことに関わりたくはない」

「なるほど、まぁ、君は、そうか」

「悪いか」

「悪いとは言っていないよ。けど、森島君が言うのは「他人」で水谷さんは「友達」なんだよね。そこが、根本的に違うから彼女と同じ結論にならないんだね」

「はぁ……」

 どうせ、僕には友達がいないと思ったが、口には出さなかった。隣に水谷がいる手前、なんだかそれを言うと子供染みている気がしたからだ。ただの見栄だ。

「それで、水谷さんは、どうして、彼女が、事故にあっていると思ったんですか?」

「それは、かかってきた電話で、彼女が「お金の件は大丈夫」みたいなことを言っているのが聞こえて」

「お金の件、ですか」

「ほら、事故にあったんだったら、色々お金かかるだろうし、保険会社とかかなぁと思って」

 田岡は、水谷の言葉から何か考えているようだった。

「森島君。事故にあった時、保険会社とか相手側からお金の件で電話ってくるものか?」

「対物か対人か、どういう状況かにもよるけど、警察に連絡して、多分保険会社には事後報告だろ。何か連絡があれば折り返し電話がくるかもしれないけど、正確には分からないな。僕も車は持っていないし」

「だよね」

 けれど、もし慰謝料や見舞金云々の話なんだとしたら「お金の件は大丈夫」というのは少し違和感を覚える。被害者でも加害者でも、相手が保険会社だとしたら、受け答えは承知しましたで済む話だ。言葉尻から考えると、電話の相手は知人か親しい間柄の人間と考えるのが妥当な気がする。

 例えば、身内だ。

 桐原さんは結婚しているのだから、事故の話だとしても、相手は保険会社というより、旦那さん相手と考えるのが自然な気がする。

「あと水谷さん、喫茶店で彼女と待ち合わせした時、彼女は遅れてきたって話でしたが、遅れてきたのは、その時初めてでしたか?」

「いえ、彼女はもともと時間にはきっちりしてて、けど。そうですね、ここ数年は、少し遅れることが多かったかもしれません」

「ということは、事故にあって待ち合わせに遅れた訳じゃないんですね」

「えぇ、多分ですけど。もし当日に事故にあったのだったら、お茶には来られないでしょうし」

 水谷の言うことはもっともだった。事故にあってその足で、友達と呑気にお茶なんてする気になれないだろう。

「だったら、その事故の話自体が、嘘かもしれないね」

「え、嘘?」

 田岡は「少なくても、事故の話は嘘で間違いない」ともう一度言い直した。


 嘘をつくことは悪いことだと、大人は子供にそう教える。

 けれど、大人になれば、上手に嘘をつくことが処世術なのだと気づく。それでも、つかなくて良いのなら、嘘なんてつかない方がいいに決まっている。

 僕は、そもそも上手に嘘がつけない人間だった。水谷は、田岡に嘘だと言われると少し傷ついたような目をした。

 外は、まだ雨が降って暗いままだった。

 僕は、やっぱり人の隠し事も、ついた嘘の理由も、知らない方が良い気がしていた。 


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