仲間じゃないのに仲間はずれにされた気分だ
「昨日、君が突然会社の同僚を連れて行くだなんて言うから、私は雨が降るかもしれないなんて強がりの冗談を言ってみたんだよね」
「強がり?」
僕は、電話の向こうで田岡が強がっているだなんて少しも感じなかった。
「普通という言葉は、あまり使いたくないのだけれど、同僚を友人の家に連れてくるなんて電話がきたら、まず、婚約発表を考える。三十を目前にして、普通を普通に生きている君だから、そんなことがあってもおかしくはない、友人に先を越されたら誰だって寂しいものだろう?」
結婚願望など、一ミクロンも持っていない男の芝居掛かった冗談はツンドラのように寒かった。実際、ツンドラどころか東京より寒い地域に行ったことがないけれど。
僕も水谷も居た堪れない雰囲気になる話題をあえて選ぶところが田岡ゆえんなのだ。
何も考えていない。
僕が、昔から田岡の隣に居たくないと思うのは、こんな風に何も考えなしに思ったことを片っ端から口にするからだ。その言葉で焦ったり、尻拭いをさせられるのは大体周囲の人間になる。当の本人は周りの空気を全く気にしていないのだから、痛い目にもあっていない。
「それは、ご期待に添えず、悪かったな」
「いや、逆だ。婚約発表じゃない上に今日は雨だ。一人寂しく涙を流す必要がなくなった。やっぱり森島君は私の期待を裏切らない」
「人の婚約発表で泣くような柄でもないだろう」
「それはその時になってみないと分からないが。テレビの天気予報が外れて私が言った雨予報が当たったのは純粋に嬉しい」
そう言って笑うとじっと僕の顔を見る。
田岡はこうやって嫌がらせをするのが好きなのだ。僕は、こんな風にバカにされたような顔で見られると本当に、この場から帰ってしまいたくなる。
けれど、それをしないのは負けを認めるようで嫌だったからだ。
自分から縁を切ることは、負けることだと思っている。だから、こんな時は、精一杯の平常心で周りの空気など読まずにさっさとその場の話を流してしまうことにしていた。
「あっそ。あぁ、こちら電話で言った同僚の水谷あかりさん、奇特な方で、お前に是非占って欲しいんだって」
「いつも、森島君がお世話になってます。どうぞ、お掛けになってください」
田岡は僕に対して何目線か分からない、おかしな挨拶をすると水谷に椅子を勧めた。
「い、いえ、突然無理を言って押しかけてすみません。テレビで田岡さんを知って、以前から是非占っていただきたいと思ってまして、森島君が知り合いと聞いて居てもたってもいられず」
あらかじめ、田岡が変人だということは、上司である谷垣と僕が何度も言っておいたけれど、田岡の顔を見るなり、ぼんやりとして毒気にやられているようだった。
漫画やアニメに出てくるような造形をしている男のどこがいいのか僕や谷垣には分からなかったけれど、多分身近に居なければ被害はないのだから、こういう反応になるのかもしれない。
異性としての興味がなかったとしても本人を目の前にすれば、そのオーラに気圧される。
少なくても、田岡が言った寒い冗談の婚約発表の話をスルーするくらいには。
田岡を前にして、ケーキスタンドを囲み僕の隣に座れば本当に婚約を友人に報告に来たシーンに見えなくもない。
にも関わらず、その話に水谷が一切触れないということは、脈はないのだろう。
分かっていた。
「せっかくですから、お茶でも飲みながら、話しませんか? このレモンケーキ、自分でもよくできていると思うんです、どうぞ召し上がってください」
「え、これ全て、ご自分で……」
「はい。これでも、料理は好きな方なので」
料理など一切やらなそうに見える反面、付き合いの長い僕からすれば、田岡ができないことといえば、人付き合いくらいだと思った。友人がいるなど聞いたことがなかった。
僕は友人ではないので含んではいない。
僕は、そうやって水谷と田岡が座っている間にも、勝手知ったる田岡の家で造り付けのアンティーク書棚の前に勝手にカバンやら置いて本を取り出して読み始めた。
あくまで、僕は田岡に水谷を紹介するためだけにここにいる。仲良くティーセットを囲んでお茶をするつもりはなかった。
そもそも、水谷の占いに僕は関係がない。
「森島君。紅茶は?」
「あとで、自分で入れるから、放っておいてくれていい」
「君は、一体何を拗ねているのやら、さて、水谷さんお仕事の依頼ということですが」
「はい」
「構いませんよ。仕事ということなら、規定の価格でお受けします」
僕は田岡に拗ねていると言われて、一瞬何のことを言われたのか分からなかった。けれど、次の瞬間、田岡が言った言葉の意味を理解していた。
僕は、過去に占って欲しいと言って田岡に断られたことを恨んでいたらしい。小さな小さな本当にくだらない恨みだった。僕自身が恨んでいることに気づいていなかったのだから。
ムカついたけれど、別に心から田岡に占って欲しかったわけじゃなかった。だから、それはその時だけの軽い気持ちだと思っていた。
友人だと言うその口で、田岡は、自分の仕事については一切僕に話そうとしない。
そのくせ、こんな風に田岡の隣にいつも僕がいる。そして、いつも僕より外野の方が田岡に詳しいし、興味を持って「占い師田岡英一」に接している。
それなら、僕も「占い師田岡英一」に興味を持てば良いのにプライドが許さない。
心のどこかで、正規のルートの依頼ではない占いなど田岡は断るだろうと思っていたのかもしれない。
「ありがとうございます。と言っても、本当にくだらない話で申し訳ないのですが」
話しかけた水谷を田岡は制した。
「待ってください。水谷さん、私は「仕事なら」と言いました。あなたは別に私に星占いやタロット占いをして欲しくて来たわけではないのでしょう? それなら話は別です」
「では、どうして」
それなら、ここへくる前に電話で断っておけば良い話なのに、わざわざ招待したのだから、てっきり占いの仕事を受けるのだと思っていた。
「おい、田岡。彼女をここまで連れて来て、断るなんて」
我関せずで居ようと思っていた僕だったが、さすがに話に割って入った。
「君たちは何か知りたいことがあるんだろう? 別に、それを当てることは占いではないし。だったら楽しくお茶でもしながらでいいだろう? そのために今朝からアフタヌーンティーセットを準備したんだから」
「えっと……」
そういって戸惑う水谷に、田岡は頬杖をついて優しげに微笑んだ。
僕は、そんな田岡の顔を見ていると背中がぞくぞくとして寒くなった。吐き気がする。
「だから、森島君もそんなところにいないで、私が入れた紅茶でも飲みながら水谷さんの隣で好きに話してくれればいい、そうすれば、水谷さんの悩みもすぐに解決するよ、ね?」
「……アイスティーが良いから、勝手に持ってくる」
この暑い日に、気が利かないと言うと田岡は、冷蔵庫に作って入れてると答えた。
僕は、田岡のそういうところがやっぱり気に食わなかった。