友人についての私的見解
僕は、田岡英一という男を、仕方なく誰かに紹介するときは、一言「占い師」と言うことにしている。
と、言っても彼はムカつくことに、僕のことを今まで一度も占ってくれたことがない。
だから、あくまで本人の申告を、僕が真に受けてそう言っているだけだ。
僕の性格は、田岡と違っていたって真面目で、正直なところが取り柄だ。
そんな素直で! 純朴で! 真面目な! 僕でも、最近は多少疑うことを覚えて、もしかしたら、彼は詐欺師かもしれないと思っている。
彼にくだらないことで騙されてばかりだった学生時代と比べて、僕はちょっとだけ成長した。
僕こと、森島和巳は、田岡のことを実は何も知らない。
何せ田岡は僕と違って不真面目でいい加減で、嘘ばかりつくからだ。けれど、その嘘のなかに本当があるから、大変に面倒臭い男だったりする。
全部嘘だったら、大学時代に知り合い、二十九まで奴に付き合ったりしていないだろう。
僕は、その嘘を注意深く観察して、本当を探すことに学生時代からとても苦労している。
驚いたことに、そんな風に正反対な、僕と田岡が実は友人らしいということをつい最近知った。
「二、三回話せば、友人なんだよね。君はちゃんと辞書を引け。好きか嫌いかなんて、そこには書いていないだろう? 馴染みがある人全てが私の友人だ」
その定義は調べる辞書によると思った。
田岡は、博愛主義者というわけではないが、この友人の定義の持論については崩さないつもりらしい。
そういう理由で、僕は、僕が田岡のことをどう思っていようと、彼の定義で友人になってしまっている。
僕には百年たっても田岡と同じ次元で会話ができるとは思えなかった。
――森島和巳は、田岡英一を未だかつて一度も友人だと紹介したことがない