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悪役退場

 シートにもたれて、僕はふう、と息をついた。

 しばらく天井を眺めていると、ぱらぱらと拍手の音が聞こえた。

 やがてそれは、店内を揺るがす大合唱に変わっていく。


「ハセオ! ハセオ!」

「シラノ! シラノ!」


 我に返って辺りを見渡すと、客が総立ちで手拍子を打っている。

 呼んでいるのが僕とシラノ・ド・ベルジュラックの名前だと分かるのには、また少し時間がかかった。

 声に釣られて店にやってくる客の姿も、ちらほらと見える。

 あっと気づいて掌を開いてみると、汗でびっしょり濡れていた。


 ……ええと、スティックすぐ拭いてアルコール消毒して、と。


 次の客のためにすることを考えているうちに、頭の中はすっかり冷えていった。

 考えてみれば、エキシビジョンマッチからせいぜい40日かそこらしか経っていない。

 それなのに、<リタレスティック・バウト>での戦いの数々が、遠い昔の、いや、別世界のことのような気がするのだ。

 佐藤はというと、シートから降りることもできずに、オタクっぽい少年たちに取り囲まれていた。

 ときどき白い歯を見せては、あの営業スマイルで巧みに笑いを取りながら、何やら話し込んでいる。

 給湯室から雑巾とアルコール噴霧器を取って戻ると、佐藤はようやく帰り支度を始めたところだった。

 激闘の中でわずかに曲がってしまったネクタイをまっすぐ直しながら、あの慇懃無礼な口調で軽く挨拶する。

「では、私はこれで」

 ええ、と答えそうになったところで、はたと思い出した。

 佐藤に突き出した両手を振りながら、引き留めに掛かる。

「あっと、そうだ、そもそも、何か用があったんじゃ」

 ゲームに熱くなってすっかり忘れていたが、何か条件を付けられていた気がする。

 佐藤はちょっと首を傾げて、さらりと答えた。

「いえ、ついでに寄っただけですから」

 そうか、とつい思ってしまったが、頭の中で何かが手綱を引いている感じがする。

 それが何なのか言葉にできないまま、僕は必死で佐藤を止めた。

「あ、ちょっと待ってください」

「何か他に御用でも?」

 眉間に軽く皺を寄せる佐藤に、僕は困り果てた。

 自分の眉の間をこすって、必死で考える。

「ええと……」

 喉元まで出かかっているものが、言葉にならない。

 佐藤は例の営業スマイルを浮かべて、やんわりと僕をなだめた。

「思い出せないなら、大したことではないんでしょう」

 そう言いながら踵を返そうとするのを、その顔の前に回り込んで押しとどめる。

「いや、自分のことじゃなかった気が」

 佐藤はちょっと考えてから、ぽんと手を叩いた。

「板野さんの修学旅行のことなら」

 その件は、経費をアルファレイドが持つことになっていたはずだ。

 奨学金の設置時期から考えると、つじつまの合わないことはあるが。

 もっとも、1週間とはいえ、エキシビジョンマッチのためのアイドル活動に板野さんを酷使したのだ。

 その訓練(洗脳か?)に使った疑似スプーンの存在が暴露されることを考えたら、150万円の示談金は安いものだろう。

 だから、それはもう、ケリがついた問題だった。

 僕は子供のように手をばたばたさせて、どこへもっていけばいいのか分からない話の軌道修正を図る。

「いや、そうじゃなくて」

 佐藤は佐藤で、僕の目の前に手を付き出して視界を遮りながら、なだめに掛かる。

「紫衣里さんにも、他のスプーンの守り手にも、アルファレイドは手を出しません」

「それも分かってます」

 今、この瞬間にも、プリンスがオーナーになった軌道エレベーターは急ピッチで、しかし時間をかけて解体されている。

 その振動音で人類を能力的に覚醒させ、また依存させる銀のスプーンは、もう必要ない。

 佐藤は、アルファレイドの社員にしては安物っぽい腕時計を見ながら尋ねた。

「じゃあ、誰のことなんです?」

 京都人なら、自分のではなく相手の時計を見て、こう言うところだろう。


 ……「ええ時計してはりまんなあ」。


 お前の時計を見ながら話せ、つまり、「話が長い」という意味だ。

 そこまで考えて、ようやく思い出した。

 他の誰でもない、佐藤自身のことだ。

 ようやく、話が本題にたどりついた。

「えっと……いいんですか、こんなとこであんな話をして」

 板野さんを無理に「ゲーマー系アイドル」に仕立て上げてまでぶつけてきた理由。

 それは、僕に本気を出させるためだったらしい。 

 そんなことを思いつかせたのは、客のひとりがネットに流した、板野さんとの対戦動画だったという。 

 佐藤は、その勝負がアルファレイドによって汚されかかっていることを、客の前でわざと話してネット上に流させたのだった。

 結果として、それがフィービーを動かしたから、あんな大騒動になったのだが……。

 それが分かっていて、そんな話を再びここで持ち出すのは、佐藤にしては不用心すぎる。

 何かあると思わないではいられなかったのだが、明らかに矛盾する答えが堂々と返ってきた。

「当事者しか理解できませんから」

「だったら噂にならないはずじゃ」

 僕もそう言いながら辺りを見渡してみた。

 〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉の周りには、順番待ちや観戦の客がひしめき合っている。

 その中で、また誰が聞いてないないとも限らない。

 だが、佐藤は平然としたものだった。

「たとえなったとしても、噂は噂です。内部告発しない限りは……」

 その割には、佐藤も僕も、かなり言葉を省いている。

 「軌道エレベーター」に「人類覚醒装置」、傍目には正気を疑われそうなものばかりだ。

 僕は一高校生に過ぎないが、佐藤にはそれなりの社会的立場があるはずだ。

 確かに、紫衣里や板野さんへの仕打ちを考えると、到底、許すことはできない。 

 それでも僕は、尋ねないではいられなかった。

「バレたらタダじゃすまないんじゃ……」

 深刻な話をしたつもだったのだが、佐藤の答えは平然としたものだった。

「私はもう、アルファレイドの職員ではありませんので」


 ……え?


 あまりのことに、僕は口を開くこともできなかった。

 因みに店長はというと、店の隅でほうきと塵取りを手にしたまま振り返る店長が見えた。

 佐藤は佐藤で、きょとんとした顔で僕たちを見ていたが、やがて、ああそういうことかという具合に手を叩いた。

 立て板に水を流すように、さらさらと事情を簡潔に述べ立てる。

「秘密を洩らした咎で解雇されると分かっていたので、逆に企業を脅して退職金がわりに奨学金をせしめたんです、内部告発してやるぞって」

 そこで、僕の頭の中でもようやく、ひとつひとつの出来事や言葉が、それぞれに結びついていった。

「じゃあ、ついでってもしかして……」

 佐藤の口からは、もっともふさわしく、それだけに、最も似つかわしくない言葉が漏れた。

「就職活動です」

 この男なら何でもないことだろうが、それだけに、最も必要ないことのような気がした。

 だから、聞いてみないではいられなかった。

「いつから、そんなことを?」

 佐藤はスマホを背広の内ポケットから出した。

 スケジューラーを撫でているらしい仕草の後で答える。

「2週間くらい前からですかね」

 聞き方が悪かったのだろう。

 そうじゃなくて、と言おうとしたところで、横から口を挟まれた。

 店長だった。

「いや、あなたほどの人がすぐ決まらないなんて」

 佐藤も、わざとらしく頭を掻きながら困り果ててみせる。

「いや、それほどでもないと思うんですが、履歴書見せると、なぜか皆さん、青くなるんです」

 ちょっと言葉に詰まってから、店長は遠慮がちに、それでいて佐藤の顔を覗き込みながら尋ねた。

「何か……もめたんですか?」

「いや、その辺はお互い、紳士的に」

 応える営業スマイルは、一瞬だけ苦笑いに変わっていた。

 佐藤に助け舟を出すつもりはなかったが、今度は僕が割って入る番だった。

「すみません、店長、ちょっと込み入った話なもんで」

 お邪魔しました、と愛想笑いで給湯室に引っ込む店長を見届けて、声を落とす。

「そうじゃなくて、いつからそんな……」

 続く言葉は、見つからなかった。

 ないこともないが、聞きようによっては悪意にも取れる。

 それを察したのか、佐藤はそれを代わりに使ってくれた。

「いい人になったかって?」

 アルファレイドの走狗が、飼い主の手を噛むとは思ってもみなかったのだ。

 ただ、それをはっきり言うわけにもいかない。

「何と言っていいか、その」

 口ごもっていると、佐藤は思わぬ返事をした。

「あなたが、賞金代わりに板野さんの修学旅行費を負担しろとおっしゃったときから」

 だいたい、2ヵ月ほど前のことだ。

 そのときのやりとりを思い起こして、ようやく気付いた。

「もしかして……アルファレイド傘下の旅行会社っていうのは?」

 そういえばあのとき、僕の要求に応じる前に、少し間があった。

 板野さんの修学旅行について、ずっと引っかかっていたことがある。

 気にすることでもないが、その手掛かりは、ここにあったのだった。

 佐藤は深くうなずいてから、きっぱりと答えた。

「嘘です」

 あまりにも堂々とした態度に、返す言葉がなかった。

 佐藤はというと、息も継がせず、さらさらとまくし立てる。

「最初は自腹切ってでも、あなたと紫衣里さんをこっちへ引っ張り込むつもりだったんですが……」

 そこで初めて、ガチガチに固められた営業スマイルが解けた。

 ようやく肩の荷が下りたといった顔で、佐藤は言葉を結ぶ。

「あの電話を切った瞬間、全てが頭の中でつながったんです」

 その説明はなかったが、こういうことだろうと見当がついた。

 

 奨学金という名目で、12万円は佐藤が肩代わりする。

 僕を〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉に参加させる。

 そこで勝っても負けても、内部告発をちらつかせて元を取るつもりだったのだ。


 だが、そこで、さらに分からないことがあった。

 では、と僕の脇をすり抜けていく佐藤を、再び呼び止める。

「もしかして……知ってるんじゃありませんか? 紫衣里がどこにいるか」

 本当に聞きたいのは、そこではなかった。

 長いこと聞いていなかった紫衣里の名前に、こんな問いが、つい口を突いて出てしまったのだ。

 しかし、返ってきたのは見当はずれの答えだった。

「そうそう、言い訳に聞こえるかもしれませんが……相手があなただと伝えたら、寝食も惜しんでレッスンに励んでいましたよ」

 胸がずきりと痛んだが、聞きたいのは板野さんの話ではなかった。

 店を出ようとする佐藤に、僕はしつこく追いすがる。

「僕は紫衣里の話をしてるんです」

 それでも、やはり話はかみ合わないままだった。

 佐藤は背中を向けたまま、歩き続ける。

「板野さんを動かしていたのは、アルファレイドでも、疑似スプーンでもありません……あなたと同じ地平に立ちたい、ただそれだけの気持ちです」

 店の出入り口までたどりついたところで、歩いてため息をついてみせる。

「ああ……」

 そこで何かつぶやいたが、日本語ではないので聞き取れなかった。

 ただ、ワールドタイトルマッチで会ったコスプレ……じゃない、フォーコンプレの言葉に似ているような気がしたばかりだ。

 問い詰めようとしたところで、再び口を挟んできた者がある。

 駆け寄ってきた店長だった。

「ああ、ちょっと待ってください!」

 振り向いた顔には、あの営業スマイルが貼り付けられている。

「何か?」

 いつになく大真面目な顔で、店長は用件を切り出した。

「職をお探しなら、とりあえず、うちで……」

 おいおい、と思った。

 確かに、バイト1人ではきつい。

 だが。


 ……こいつが入るなら、僕は辞める。


 佐藤は佐藤で、具体的な話を始めた。

「時給は?」

 店長は即答する。

「とりあえず、1500円」 

 待て。


 ……僕でも1,050円だぞ!


 佐藤は、遠慮がちに答えた。

「いえ、派遣契約でよそも回ったんですが……1800円くらいで」

 ある意味では納得できたが、別の意味では内心、首を傾げた。


 ……こいつのスキルから考えたら、安い。


 それでも店長は、考え込んでから切り出した。

「……ご希望は?」

「業務委託で2500円くらい……と思っていたんですが、そろそろ、その辺で妥協しようかなと」

 佐藤はぺらぺらと、しかし遠回しに断った。

 店長は深々と頭を下げる。 

「……ご健闘をお祈りします」

 その一礼は、ただ、その背中を見つめるだけの僕の代わりに、佐藤への見送りとなった。

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