勝負の終わり(END OF THE GAME)
格闘ゲームのキャラクターとはいえ、人間が操る以上は、わずかな動きにも変化の予兆はある。
このクリスチャンも、例外ではない。
膝をついたまま剣を持ち上げる仕草に、僕は警戒した。
……通常技の動きじゃない!
その勘の正しさは、クリスチャンが剣を胸に当てたことで証明された。
震える声で、何かつぶやいたのが聞こえる。
……「愛している」
佐藤ではない。
ということは、画面上のクリスチャンの動きだ。
……イベント発生?
気力ゲージ「純愛」が最高潮に達する。
剣が眩い白光に包まれ、クリスチャンの全身を覆う。
それは、かなりの大技であることを意味した。
迂闊な必殺技コマンドを入力すれば、読みが外れたときのダメージは計り知れない。
焦る気持ちをぐっと抑えて、僕は確実な技を放つためのタイミングを待った。
だが、この目を引いたのは、クリスチャンの剣とは別のものだった。
……誰だ? これは。
背景に浮かんだ白いドレスの女性のイメージに、紫衣里の笑顔を思い出す。
夏の太陽の下や、朝日を浴びた畳の部屋で、僕は何度それに心を和ませてきただろうか。
……いや、違う。
ツンとすました感じの、気の強そうな美女だ。
紫衣里のイメージではない。
だが、フランス語と思しき無数の単語が浮かぶ中、僕はその名を思いだした。
……ロクサアヌ!
飛び交い始めた言葉という言葉は、不器用なクリスチャンが胸に秘めていた思いだったのだろう。
やがて、クリスチャンの身体が光に包まれていく。
その手の中のレイピアにも、その光が分け与えられる。
やがて、それが一条の光となって、画面を切り裂くような突きをもたらす。
「告白の一撃!」
クリスチャンが初めて放つ絶叫だった。
閃光と共に、シラノが吹き飛んだ。
その身体を、言葉という言葉が渦のように網のように、取り囲んで打ちのめす。
シラノの体力ゲージが、急激に下がっていった。
だが、これで動じる僕ではない。
あの夏のひととき、シラノと共にどれだけの修羅場をくぐってきたことか。
紫衣里の「ジャンヌ・ダルク」に「魔女ジョアン」。
鬼の目をした老人の「ほら男爵」。
この佐藤が操った「ダルタニャン」。
フィービーの操る「十三妹」。
フォーコンプレの「弁天小僧菊之助」。
プリンス……エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世。
そして……疑似スプーンに操られた板野さんの「クリームヒルト」。
確かにアルファレイドのオーダーで、ジークフリートを操って戦ってはきた。
だが、その相手となったキャラクターにはない、生身の相手がいる恐ろしさがあったのだ。
そして、今、アルファレイドの手先が再び、僕に勝負を挑んできている。
……負けるわけには、いかない!
紫衣里のスプーンがなくても、僕は迷わず次のコマンドを選び取っていた。
下から攻撃方向へ2度跳ね上げて、「強」ボタン。
「亡霊の撃破!」
シラノがレイピアをひと薙ぎすると、そこから白い衝撃波が広がった。
言葉という言葉が全て砕け散り、クリスチャンへと流れ込む。
引き抜かれたレイピアがシラノの踏み込みと共に一閃すると、ロクサアヌの幻影までもが消滅した。
体力ゲージが急激に落ち込む。
だが、クリスチャンもシラノも、まだ倒れない。
佐藤が微かな笑い声を立てた。
「流石ですね……チャンピオン」
僕も口元を歪めてみせる。
「そちらこそ……往生際の悪いことで」
それは我が身にも言えることだった。
お互いに満身創痍の状態に陥ったとき、競り勝つ方法はひとつだけだ。
……動いてはいけない。
コマンドは、右向きで左・下・ 右・左・下・右・右上+「強」攻撃。
シラノがクリスチャンに捧げる言葉が、画面上に浮かぶ。
「友よ、わが魂を君に」
もともと、クリスチャンを召喚する技だ。
だが、本人は目の前にいる。
すると、出現させるべき人物はひとりしかない。
そこでクリスチャンもまた、同じ言葉を口にしていた。
「友よ、わが魂を君に」
ダルタニャンと戦ったときのことが、頭の片隅で閃いた。
……同じ技をぶつけてきた?
ひとりしかいない人物が、対峙するふたりの前に現れる。
「もう、何もおっしゃらないで!」
本来なら相手を牽制するために召喚するキャラクターが、双方の足を止める。
……ロクサアヌだ。
この技が同時に発動されると、こうなるのだ。
僕も、〈リタレスティック・バウト〉を研究してずいぶん経ったが、めったに出くわさないケースだ。
中には、出現頻度が低い「ロマン技」の中には、まだまだ知らない技もある。
もちろん、佐藤はこれを知っていたのだろう。
開発者のひとりとして。
悪態のひとつくらい、罰は当たらないと思った。
「チートもいいところですね」
あの、慇懃無礼な口調で佐藤も答えた。
「それはお互い様です……それに、ご覧なさい」
言われるままに画面へ目を遣ると、次のイベントが発生していた。
白いドレスのロクサアヌが、シラノとクリスチャンの間で、両手を高々と差し上げる。
「愛しています……だから、生きて!」
双方の体力ゲージが、生きているぎりぎりのレベルで揃えらえれた。
気力ゲージ「武勲」と「純愛」が極限値で燃え上がる。
それを見届けたかのように、ロクサアヌの姿が消えた。
お互い、最終奥義を使うなら今だ。
それが僅かに早かったのか、先に動いたのはクリスチャンのほうだった。
ガードを下げ、胸に手を当てる。
画面上に、その言葉がカットインされた。
「Pour toi, ma sincérité.(私の真心を、あなたに)」
それは、ロクサアヌへのものか。
……それとも。
プラチナの光を全身にまとったクリスチャンが、それをレイピアに託して渾身の突きを放つ。
「真実の告白!」
純粋な真心を込めた光が、どこまでも続く刃となって伸びていく。
その輝きは、神々しくさえ思われた。
一瞬だけ出遅れたシラノは、このガード不能級の技を食らって吹き飛んだ。
わずかに残った体力ゲージが消滅する。
だが、ゲームは終わらなかった。
イベント発生の分、僕はコマンド入力の時間を稼ぐことができたのだ。
ひらりと着地したシラノは、すぐさま反撃に転じる。
「男のやせ我慢!」
対クリームヒルト戦で使った、起死回生の技だった
本来なら体力をゼロにできる攻撃を受けても、反撃のために1回だけ、なかったことにできるのだ。
大技を外して無防備になったクリスチャンに、シラノはレイピアの一突きを見舞う。
最後に残ったわずかな体力は、ここで尽きた。
……終わった。
本当に決闘で親友を手に掛けたかのような悲しみと痛みが、安堵で緩んだ身体を浸し。
……え?
そうになった。
クリスチャンは倒されてはいなかった。
背景が一瞬だけ、赤黒く閃いた。
そこには、重ね合わされた無数の槍の影が映っている。
アラスの要塞を包囲した、スペイン軍をイメージしたものだろうか。
林立する無数の影を縫うかのように、クリスチャンは疾走する。
シラノにロクサアヌへの恋を告白させるために、クリスチャンは要塞の外へ飛び出したときのように。
……『シラノ・ド・ベルジュラック』の第4幕9場。
身体をレンガの床とほとんど平行にして、突進してくる。
「皆の様子を見てくる」という見え透いた言い訳を残して戦場を駆けるクリスチャンは、まさにそんな姿をしていたことだろう。
「|恋ゆえの突撃《クール・ア・ラ・シャルジュ!》
間合いを詰めながら、レイピアを次々に繰り出してくる。
上段・中段・下段。
超高速の多段突進が、シラノを襲った。
……こっちも無敵技かよ!
つまり、これも起死回生の「ロマン技」だ。
発動条件は、体力が極限状態に落ち込んだところで、必殺技を連続して3つ以上、しかもロクサアヌ召喚といったところか。
条件が厳しい分、ダメージも大きいはずだ。
おそらく、これもガード不能級だ。
正面から食らったら、わずかに残った命の灯が消え失せる。
……グリムの『死神の名付け親』みたいに。
シラノが背にした冥府の入り口の向こうでは、死の風が吹き荒れていることだろう。
逃げ道は、ない。
受けて立つしかなかった。
命懸けで来る分、クリスチャンの動きは速い。
あまり大掛かりなコマンドは間に合わない。
しかも、シラノの前から突然、クリスチャンの姿は消えていた。
……そんな技、あったか?
直情径行の熱血美青年に、そんなものがあるはずはない。
画面の上端を超えて跳躍したクリスチャンが、剣を手にしたまま稲妻のような跳び蹴りを放ってくる。
だが、着地したところにシラノの姿はなかった。
「亡霊なんかこわくない!」
逃げても無駄だが、攻める手ならいくらでも残っていた。
スティックを下から後ろへ振って、「防御」を叩くことぐらいはできる。
跳び蹴りの後に決まるはずだった投げ技も空振りに終わって、クリスチャンは無様につんのめることになる。
その背後に現れたシラノは、悠々とレイピアを繰り出した。
……才のない奴ァ、この通りさ!
だが、クリスチャンのターンはまだ終わっていなかった。
ロマン技の無敵状態は生きていたのだ。
振り向きざまに斬り上げた渾身の剣から放たれた閃光が、画面を斜めに斬る。
そのときにはもう、僕はすでに次のコマンドを使っていた。
かなり大掛かりなヤツを。
反対側に振ったスティックを下から前へ、2回繰り返して「強」ボタン。
「伊達男の心意気!」
目もくらむばかりの光が収まると、シラノが差し違える覚悟で繰り出した剣は、クリスチャンの身体を貫いていた。
だが、羽根帽子の吹き飛んだ頭には、血染めの包帯が巻かれているのだ。
……どっちだ?
店中の客がゲームの手を止めて、<リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド>の画面を見つめている。
やがて、尼僧の姿をしたロクサアヌが、正面にある修道院の扉を開けて駆け込んでくる。
……愛する人の腕の中で、弔いを受けるのは?
シラノの身体が、ふらりと揺れる。
観客の中から、ああ、というため息が漏れた。
だが、天下無双の剣豪詩人は、軽いステップをひとつ踏んだだけだった。
ふわりふわりと落ちてきた羽根帽子を、ひょいと手にとって目深にかぶる。
背を向けた先で、がっくりと膝をついたのはクリスチャンだった。
その身体を抱きしめたロクサアヌを後に、シラノは画面上から歩み去る。
スクリーンの中央には大きく、勝負の終わりを告げる文字が浮かんだ。
勝者を告げる、「CYRANO WIN」ではない。
「GAME OVER」と。




