伊達男と美男子と
佐藤は、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉の筐体へと歩いていく。
エキシビジョンマッチ以来、順番待ちの多い人気のゲームになっているが、その切れ目を縫って、器用にシートを確保する。
「その先は、私に勝ったらお聞かせしましょう」
100円玉を放り込んで、シートに座る。
スクリーンに、キャラクターの細かいアイコンがびっしり並んだ選択画面が現れた。
あの軌道エレベーターの地下……いや、海面下で見た、あの画面だ。
……できれば、思い出したくない。
エキシビジョンマッチの後も腕を磨くためには、これを毎日のようにプレイしなければならなかった。
最初のうちは、紫衣里の姿が目の前にちらついて、胸の痛みにしばしば手が止まった。
それも今ではかなり癒えたが、筐体に向かうたびに、心の深いところがどこか疼くのだった。
佐藤が、あの営業スマイルを浮かべる。
「別に知りたくないとおっしゃるなら、どうぞご覧になってください」
僕がなんとも答えない間に、佐藤はキャラクターを選択する。
スクリーン上に、深い藍色の衣を着けた道術師が剣と鏡を手に現れた。
朝鮮半島の伝説に語られる道士、田禹治だ。
もう一方の筐体で順番待ちをしていた客が選んだのは、アイルランドのシェリダン・レ・ファニュが描いた女吸血鬼カーミラだった。
冷たい月光の中、氷上を滑るかのような歩みで間合いを詰めたかと思うと、三連の斬撃を放ってくる。
「月影の連舞!」
美貌の女吸血鬼が振るう高速の短剣を軽く受け流す剣の軌跡と、鏡の光が陰陽一体となる。
「剣鑑双影!」
それは空を斬る刃となって、カーミラを脳天から真っ二つにした。
続くラウンドでは、カーミラが薙ぎ払った短剣の軌跡から、黒猫が飛び出して襲い掛かる。
「黒猫の影よ跳べ!」
だが、田禹治は召喚の護符を天へと放り投げた。
「天狐降臨!」
黒猫は、天から降りた狐に食われて消える。
その瞬間、画面の端から端まで駆けぬけた田禹治によって、カーミラは横一文字に斬り払われて倒れた。
10分と経たないうちに敗れた客は、呆然と佐藤を見つめながら、次の客に席を譲る。
結果はそれほど変わらなかった。
佐藤は挑戦者を次から次へと葬り去る。
やがて、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉の周りには人だかりができたが、挑戦者は誰もいなくなった。
では、と佐藤はシートから立ち上がる。
「お望みでないなら、お話はこれまでです」
AIが選んだキャラクターとの対戦は始まっていた。
『水滸伝』の「武松」が、虎を瞬殺するほどの膝蹴りの連打で田禹治をノックアウトする。
店の出入り口に向かって歩き出そうとする背後で、僕は自前の100円玉を筐体に放り込んだ。
背中を向けたままの佐藤に声をかける。
「これでも惜しいんです……タイトル返上しちゃったので」
そこで選んだのは、もちろん、「シラノ・ド・ベルジュラック」だ。
無抵抗の相手をぶちのめすのは気がとがめる。
それでも新たな挑戦者として、プレイヤーのいない田禹治をゲームオーバーに追い込んだ。
空いたシートに座れば僕と対戦できるが、そんな客はこの店にはいない。
外へ出るところだった佐藤は肩をすくめると、再び僕の隣へ戻ってきた。
再び100円使って新しいキャラクターを選ぶ。
「だから、言わんこっちゃない」
こうして、スクリーンには新たなステージが映し出された。
修道院の庭で、ふたりの男が対峙する。
シラノ・ド・ベルジュラック。
クリスチャン・ド・ヌーヴィレット。
大きな鼻を持つ、羽根飾りの帽子をかぶった伊達男を選んだ僕は、思わず感嘆の息を漏らした。
「そう来るか……」
これから剣を交えることになるのは、熱い心と蛮勇とを併せ持つ美貌の剣士だ。
エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』に登場する、主人公の親友。
その恋い慕う相手は、シラノが愛と誠と純情を捧げる美女ロクサーヌだ。
愛する女性を前にすると臆病で不器用になる親友のために、シラノは自らの恋を犠牲にして、命懸けの仲立ちを務めることになる。
隣の筐体に向かう佐藤は、僕を横目で眺めると、あの営業スマイルを見せる。
「真の勝者への、最大の礼儀です」
そこには、一種の皮肉もあるのだろうと思った。
ワールドタイトルマッチとエキシビジョンマッチ。
二つの勝者の地位と名誉を、僕は返上した。
それを繰り上げで回されたのがプリンス……エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世だ。
賞金3000万円はすぐにでも口座に送れるだろうが、優勝カップはそうはいくまい。
誇り高い貴公子に、僕が時給を稼ぐアルバイト先まで地球を半周させた代物だ、
わざわざ9月1日という日付を口にしたのは、翌日届いたのを強調するためだろう。
……これもまた、プリンス一流の皮肉か。
もっとも、佐藤の手際の良さにも恐れ入る。
相当の無理を伴う、余計な仕事だったことだろうが、恨み節のひとつも返したくなるのが人情というものだ。
だから、僕も、精一杯の礼儀で応える。
「全力で、お相手いたします」
相手がクリスチャンだったら、それはそれで面白い。
このゲームには、それを想定したイベントは準備されている。
〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉ではどう演出されるかが楽しみだ。
戦いの場所は、エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』でも描かれた、アラス野の要塞だ。
スペイン軍に包囲される中で、フランスの「ガスコン青年隊」は飢えに苦しみながらも弱音は吐かない。
士気を高めようというのか、シラノとクリスチャンが、胸の前で互いに剣を構えて礼を取る。
その切っ先を親友同士が向けあうと、第1ラウンドの開始だ。
お互いに二度、三度と剣を繰り出しては、間合いと呼吸を図る。
クリスチャンの気力ゲージは《純愛》だ。
それは、美女ロクサアヌへの不器用な思いを意味している。
剣と剣がぶつかりあうたびに、シラノの気力ゲージ「武勲」と競うかのように上昇していく。
やがて、ゲージは共に最高潮へと達する。
先手必勝とばかりに、僕はシラノは必殺技を放つ。
「百人相手の決闘!」
目にもとまらぬ速さで繰り出される剣先が、上段、中段、下段と、あらゆる方向を斬り払う。
下手に斬り込めば、凄まじいダメージを食らった末に、画面端へ叩きつけられる。
だが、本来なら吹き飛ばされるはずのクリスチャンには当たらない。
悠然と歩み寄って、シラノの長い鼻の先に剣を突き付けるだけだ。
「鼻でのあしらい」
空振りに終わった剣の乱舞を平然とすり抜けられたシラノの怒りが沸騰する。
気力ゲージ《武勲》が頂点に達する。
だが、クリスチャンは警戒した様子もない。
シラノの大きな鼻の先で、剣を立てて構える。
「勇気の受け太刀」
それでもシラノの剣は止まらない。
クリスチャンの刃に絶え間なく叩きつけられた剣が、火花を散らす。
その、ある一瞬間のことだった。
レイピアを大振りに薙ぎ払って伸びきった、シラノの腕をクリスチャンが抱え込んだ。
鮮やかな一本背負いで、高々と投げ飛ばす。
だが、それは大きな隙を生んだ。
画面端で着地したシラノは、猛反撃に出た。
「アラス野の疾走!」
一方のクリスチャンは、胸に手を当てる。
その剣がプラチナの色に淡く輝いたかと思うと、その光は胸の鼓動のように明滅する。
だが、高速で突進するシラノに押されて、クリスチャンは画面端まで押し返された。
それ以上は引くに引けなくなったところで、高速の連続突きが浴びせられる。
体力ゲージが急激に下がっていく。
だが、クリスチャンも光り輝く剣で、渾身の突きを放っていた。
「真心の突剣」
5回の踏み込みで、5通りの突き。
そのひとつひとつが描く文字は、要塞の床に落ちてくだけ散る。
A・M・O・U・R
AMOUR、つまり、(愛)だ。
一撃ごとに、胸を突かれたシラノが心臓の辺りを抑えてのけぞる。
もっとも、そこで簡単に倒されたわけではなかった。
不意に、その姿は画面上から消えた。
「月からの墜落!」
シラノはマントを翻して、高々と跳躍する。
くるりと宙返りを打ってみせると、剣を突き出したまま、まっすぐ落下した。
クリスチャンは、正面への渾身の突きを連続で放っていた分、頭の上はガラ空きだ。
そのてっぺんに、シラノの剣は今にも突き刺ろうとしている。
……もらった!
しかし、クリスチャンの反応も素早かった。
「情熱の連撃」
そのレイピアが、真っ逆さまの剣を弾く。
さらに、その刃は真っ赤な軌跡を筆記体のように描きながら、眼前に着地するシラノに向かって斬りつけられる。
無防備のところで一撃を食らった羽根飾りの伊達男は、瀕死のダメージに足をふらつかせた。。
……しまった。
僕はスティックを回転させて立ち直りを図ったが、もう遅い。
深紅の曳光と共に、クリスチャンの剣はシラノの胸を貫いていた。




