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運命の12万円

 ふたり並んで、傍目から見れば彼氏彼女の関係にしか見えない様子でゲームセンターを出てから数分後のことだった。

 すぐ目の前に座った紫衣里は、期待にあふれた、きらきらした目で見つめ返していた。

 限度を超えたプレッシャーに気後れしながら、答える言葉はこれしかない。

「あ……どうぞ、お先に」

うまい具合に、もう昼食時間だった。

僕たちの周りには、ハンバーガーやらラーメンやら、ファーストフードをトレイに載せた人々が行き来している。

いつか見た光景に、なんだかものすごく長い時間が経ったような気がする。

その、例のフードコートで、僕は紫衣里と差し向かいで軽い食事を取った。

何だか、かしこまった感じで、すごく照れ臭い。

でも、敢えてここを選んだのには、わけがある。

 そうしないと、間がもたなかったのだ。

 急いで席を選んで場所取りを紫衣里に頼んで、ナンパされないように目を光らせながら、食券を買って店の前に並ぶ。

 番号を呼ばれて、やはり周りの男どもを警戒しながら席に戻る。

 そんな苦労をして買ってきた、目の前のヤキソバ1杯が、僕と紫衣里の時間を保証してくれている。

「いただきま~す!」

 因みに、その紫衣里のは大盛りで。

 長いお預けの反動か、紫衣里はすさまじい勢いでヤキソバにむしゃぶりつく。

 百年の恋もいっぺんに醒めようかというほどの食らいつきようだった。

 僕はというと、ああいう話の後では、たかがヤキソバ1杯でも食欲が湧かない。

 使い捨ての紙皿を前に、背中を丸めて考え込むしかない。

 それは本来なら、僕には全く関係ない問題だった。

「修学旅行か……」

 ありがたいことに、そのひとりごとは、食べることに夢中の紫衣里には、たぶん、聞こえていない。

 実は、僕には板野さんを救う手段があった。それを使うか使うまいか、僕は悩んでいたのだ。

 果たして、それを申し出ていいものか。

 それとも、大きなお節介だと割り切って、知らん顔をするか。

 結論の出ないことを頭の中で行きつ戻りつしているうちに、あっと言う間に一皿平らげた紫衣里が、不意に口を開く。 

「それ、もらっていい?」

 行儀の悪いことに、揃えた箸で僕の分のヤキソバを指している。

 もともと、その辺りを指摘する気はないし、今もその気力はない。

「どうぞ……」

 恭しく、掌を裏返してみせたりもする。

 紫衣里は満面の笑顔を浮かべて、甲高い声を上げた。

「ありがと~!」

 言うが早いか、手が動く。

 まるで、テーブル越しに飛びつかんばかりの勢いだった。

 僕の皿を手元に引き寄せると、ものすごい勢いで麺を啜る。 

 思わず、溜息が出る。

 それは呆れたのを通り越して、感動といってもいいものだった。

(それにしても……よく食うな)

 こんなふうに臆面もなく、食べたいものを食べたいように食べられたら、これ以上の幸せはないだろう。

 もっとも、経済的な制約さえなければ、の話だ。

 現実逃避したい気持ちもあって、僕は腹の中であの老人に八つ当たりした。

(本当は厄介払いしたかっただけじゃないのか、あの爺さん!)

 よく考えてみれば、自宅からバイト先へ歩いて往復するだけの生活で紫衣里はこれだけ食うのだ。

 ましてや、一緒に旅から旅を続けるとなると、交通費もかかるだろう。

 どういう事情があったか知らないが、これだけ食う娘を連れて歩くというのは並大抵のことではできない。

 そんな俺の想像など知る由もない紫衣里は、俺の分のヤキソバまでぺろりと平らげて手を合わせた。

「ごちそうさま」

 それだけ言って、紫衣里は食器を返しに行く。

 これは、食べた分を返しているつもりなのだろう。

 出費からすると物の数ではないのだが、僕は社交辞令を返すしかなかった。

「いえいえ、お粗末さま……」

 何ということもない彼女の言葉は、僕の耳には非難にも聞こえたからだ。

 紫衣里が二皿目のヤキソバを夢中になって食べている間に、僕が考えていた恩着せがましいこと。

それを見透かされていて、こう言われた気がしたのだ。

 (……キミ、温いよ)

 心の中に響いた言葉は、紫衣里がふと見せる横顔のように厳しく、冷たかった。

 そう、僕のやっていることは、板野さんに比べたら、かなり温い。

 僕が親に背いてe-スポーツのプロになるため、専門学校進学費用として貯めたのは、12万円。

 板野さんの修学旅行費用も、ちょうどその額らしい。

 確かに、ここのゲームセンターのバイトで働いて貯めれば済む話だ。

 でも、修学旅行に間に合うかどうかが問題だった。

 紫衣里が戻ってくるまでの間、そんなことを独りで考えて悶々としていると、結論の出ない堂々巡りが急に通せんぼされた。

「……ちょっと、よろしいですか?」

いきなり声をかけられて、僕はびくっとした

 あちこち視線を泳がせる。

 フードコートの白いドーム状の天井は、高い。

正面はガラス張りで、遠くの金華山が見える。

その前を行き来する人々は、まだ多い。

「……へ?」

 もしかすると、あの老人ではないかと思って、うろたえる。。 

 だが、目の前にいたのはスーツ姿の朗らかな青年だった。

 縁の細い眼鏡の向こうには、優しげな細い目がある。

 端整な顔立ちに微笑みを浮かべて、丁寧に話しかけてきた。

「長谷尾英輔さんですね? お願いしたいことがあるんですが……」

 まるで大手企業から思わぬ営業でもかけられたかのように、僕はかしこまる。

 言葉が、なかなか出てこない。

「え……と」

 紫衣里が行ってしまったほうを振り向いてみたが、その姿はどこにも見えなかった。

 ただ食うだけの居候も、こんなときにはいてくれないと心細い。

 そんな動揺を見透かしたように、青年は恭しく頭を下げてから、こういうときの決まり文句を口にした。

「私、こういう者です」

 そう言われたら、はあ、と答えるしかない。

 だが、差し出された名刺を見て、はっとした。

 ご丁寧に、青年は名前を読み上げてくれる。

「佐藤一郎と申します。どうぞよろしく」

 偽名にはもってこいの、いちばん平凡で、そして忘れやすい名前だった。

 これがサラリーマン同士の営業だったら、名刺はしまい込まれて、それっきり何の音沙汰もないだろう。

 だが、僕の目を引きつけたのは、そこではない。

 青年の肩書を見た瞬間、僕は息を呑んだ。

アルファレイド……ゲーム開発部門!

ここで会ったが百年目、じゃない、一世一代のチャンスだった。

返事次第で人生が変わると思うと、かえって言葉が出ない

その沈黙をどう取ったのか、青年はちょっと低めの声で念を押した。

「ご存知ですよね? 私どものことは」

 それは、知っていて当然、という口調だった。

 僕がe‐スポーツでプロを目指す対戦型ゲーム「リタレスティック・バウト」に関することは、巨大コングロマリット「アルファレイド」の下で運営されている。

 そして、この青年は、僕の名前を知っていた。

 つまり、プレイヤーとしての長谷尾英輔に声をかけてきたのだ。

だが、僕は緊張のあまり、ゲームセンターのアルバイトとしての言葉を口走っていた。

「あ、店長なら下に……」

 スポンサーがつくプロになりたい、という思いが奴隷根性を刺激したのだろうか。

 そそくさと、案内に立ち上がる。

 だが、そこで紫衣里がまだ戻っていないのに気が付いて慌てた。

 このまま、ここに放り出していくわけにはいかない。

 その振る舞いにせよ、ナンパの危険性にせよ、その両方にせよ。

 だが、青年はそれを忘れさせようとでもするかのように、僕に語りかけた。

「では、そちらでお相手していただけませんか……私と」

 身体が暑くなるのを感じて、聞き返す。

「……相手?」

 そこには、不敵な挑戦の響きがあった。

「リタレスティック・バウト」のプレイヤーとしての僕を奮い立たせるだけの。


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