戦いの後に
開店前から「フェニックスゲート」の給湯室では、蛍光灯が切れてひと騒動になった。
懐中電灯で中を照らしながら、店長は僕をこき使う。
「ああ、その脚立そこに置いて……ああ、そのてっぺん、またいじゃいけないよ。そうそう、ゆっくり、丁寧に。落として割らないように」
足元が暗いのにびくびくしながら床まで下りると、蛍光灯をどこに捨てるか議論になった。
「だって店長、モールのマニュアルに書いてあったじゃないですか、こういうの捨てる場所……」
カウンターの引き出しをひっかき回して、テナントへの諸注意をやっと見つけ出す。
机の上で開いたマニュアルの周りは、書類やら何やらが散々にとっ散らかっている。
指示された場所に蛍光灯を捨てに行こうとすると、店長に呼び止められた。
「ああ、蛍光灯切れてるから買ってきて!」
代金を手渡されたが、足りない。
「もうLEDしか売ってませんよ!」
モールの電器屋のホームページをネットで調べて、小銭が追加される。
「じゃあ、開店までに、大至急!」
店の外の廃棄物置き場に蛍光灯を置いて、電器屋に急ぐ。
自動ドアが開くと、休日だけに行き交う客は多い。
店内に流れているのは、吹き抜けの巨大なディスプレイに映った、アイドル歌手の新曲だ。
胸に抱いてた 小さな夢
ずっと見てた あなたの姿
ひとりで泣いた夜も 強さに変えて
ここまで来たよ もう戻れない
デビューしてから1ヵ月半、破竹の快進撃を遂げている新人だった。
その名は、「HILDE」。
アルファレイドの〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のテーマソングで頭角を現したかと思うと、一気にヒットチャートを駆け上がった。
もちろん、金も人も、その数から出どころまで及ぶものがないところが後押しするのだから、そこそこ売れないわけがない。
追いかけてた あなたの背中
遠くても もう負けない
揺れる未来 もう迷わない
だが、人気を爆発的に押し上げることができた要因は、他でもない。
世界的インフルエンサーであるフィービー・マイケルスと、そのフォロワーたちが配信した、地下……というか海面下コンサートの映像だ。
すでに話題になっていたところでのデビューだから、注目度は地球規模だったのだ。
ゲーセンのしがないバイトにすぎない僕も、確か、一応は当事者だ。
Shine over me
もっと輝きたいから この声が届く場所まで来て
Shine over me
私を見つけて 光の中で笑ってる私
ここから始まる 本当の夢
電器屋に向かう道すがら、ディスプレイの前で足を止める人々の会話が、聞くともなしに耳に入ってくる。
「あれ? もう歌ってないの? ああいう……何かそういう感じの」
そっちの方に進もうとしている高校3年生としては、何だかイヤな言い方だ。
……仕方ないか。
あのとき板野さんが着ていた、赤と黒のドレスはそのままデビュー後もコスチュームに使われていた。
マイクを仕込んだ大剣も、キャラクター商品化されていた気がする。
一応、関係者ではあるから、なんだかこっ恥ずかしい。
Shine over me
強くなりたいから 涙も私の力
Shine over me
この瞬間だけは 誰の代わりでもない私で
光の中で あなたを抱きしめたい
答えるほうも答えるほうで、冷めた物言いをした。
「ああ、キャンペーンも終わったんだろ。そろそろ、切り替えどきなんじゃないの? メジャー路線に」
そういうものなのだろうと思う。
最初はコスプレゲーマーとしてバラエティー番組に出ていたが、少しずつ、歌番組が増えてきたようだ。
そのうち、新曲に合わせてコスチュームも変えて、イメチェンが完成した。
もう、そこには板野さんの面影はない。
Shine over me
まだ見ぬ景色へ 飛び立つよ
Shine over me
私と声を重ねて 私を照らして
もっと輝くから
電器量販店「Meihan」にたどりつくと、足早に照明コーナーに向かう。
その間にはゲーム売り場があって、しっかり〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉も家庭用ゲーム機に移植されていた。
店内の大きなディスプレイでは、デモ画面でジークフリートがバルムンクを振るっている。
戦う相手は、「雲の絶え間姫」。
歌舞伎の市川家で、十八番に数えられる演目『鳴神』のヒロインだ。
「竜神解放!」
背後に巨大な竜神の幻影が現れたかと思うと、豪雨と雷がジークフリートを襲う。
だが、そちらにもやはり、翼を広げた竜の幻影が現れて炎を吐く。
「竜殺しの英雄!」
燃える刃のバルムンクが、妖艶で知的な美少女の羽衣を貫いた。
ふたつの竜の幻影が爆散して震撼する画面に、小学生くらいの子供たちが食らいついている。
「すげえ!」
「絶対これ使う!」
僕があれだけ苦労してマスターした技だが、そんなはしゃぎ声をきいていると、つい、口元にも笑みが浮かぶ。
……まあ、頑張りたまえ。
次は君たちだと思いながら、店長の用事を思い出す。
左手で、ポケットの中の代金を探りながら、レジへ向かった。
店のロゴが入ったエプロンを着けたバイトの青年が、眼鏡をちょいと直して僕を見つめた。
「もしかして……長谷尾英輔さん?」
ええ、とだけ答えて、LED蛍光灯をカウンターの上に置く。
バーコードリーダーを当てながら、青年は小声で告げた。
「フィービーさんの配信、見てました。すごかったです……ジークフリートも、シラノも」
すでに治っている指の痛みを思い出しながら、小銭と紙幣をトレイの上に置いた。
「昔のことですから」
パッケージに購入済みのシールだけ張ってもらっていると、現品限りのテレビが目に留まった。
流れているのは、ドキュメンタリーだ。
「アルファレイド・軌道エレベーター破棄のすべて」
淡々としたナレーションで、その経緯が語られる。
「世界的コングロマリットとして知られるアルファレイドが、総力を挙げた軌道エレベーター計画。その基盤部が、今、解体されようとしている」
映っているのは、会場のコロッセオだ。
解体作業の責任者と思しき、黄色いヘルメットをかぶった初老の真面目そうな男が、インタビューに歯切れよく答える。
「そりゃあ、この10年ちょっとの間の、こいつのためだけに生きてきました。心血注いできたものを、そう簡単に壊せやしませんよ」
「構造上の重大な欠陥です。天まで届くこいつが、もし倒れたら……無用の長物を、海の上にいつまでも浮かべておくわけにはいきません」
どんな欠陥か、という問いには答えない。
これを決断したプリンスにとって、だんまりを通すくらい屈辱的なことはないだろう。
「若き貴公子の胸に全てを秘めたまま、人類の夢がひとつ、費える……」
ありがとうございました、と頭を下げた青年は、眉を寄せてつぶやいた。
「もったいない……あんな名勝負の聖地を」
僕は慌てて、顔の前で手を振る。
「いや、危ないところでした」
買った細長い箱を抱えると、背中を丸めてそそくさと退散した。
蛍光灯をLEDに代えた後、給湯室の流し台に落ちた天井の埃をあの臭い布巾で拭いていたら、店長が店との間にかかる暖簾から顔をのぞかせた。
「あ、悪いけど長谷尾君、クレーンゲームの景品、アームに引っかかっちゃったみたいでさ……」
〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のエキシビジョンマッチが終わって、この「フェニックスゲート」もいくばくかの恩恵は受けた。
配信された対戦を見たファンは次から次へとゲームに挑戦する。
さらに、ゲーマーは休憩時間の僕に挑んでくるので、シフトが入っているときのほうが気楽なくらいだった。
雑巾を持って給湯室を出ると、出入り口の自動ドア脇のガラス壁に、裏側からデカデカと、こう書いてある。
〈リタレスティック・バウト〉
〈ワールドタイトルマッチ エキシビジョンマッチ>
勝者 店内プレイヤーから出ました
見ないようにして、その手前にあるクレーンゲームに歩み寄った。
小さな男の子が、その傍らの父親と、筐体の中を眺めている。
僕に向かって、口を尖らせたまま、透明パネルの中のアームを指さした。
膝を屈めて、その子の目を見つめる。
「ごめんね、調子いいところで」
筐体の横にある管理パネルで、 アームの動作を一時停止する。
雑巾で拭いた透明パネルを開けて取ってやると、男の子は言った。
「もっかいやる」
僕は頷く。
「そうこなくちゃ」
景品を、次の1回か2回で取れるくらいの場所に置いてやった。
暗黙のサービスってやつだ。
コインの代わりのサービスクレジットを入れて、再開してやる。
深く頭を下げて、事情を説明する。
「お楽しみのところ、申し訳ありませんでした。お子さんの腕なら、間違いなく取れます。ごゆっくりお楽しみください」
父親に促されて、男の子も頭を下げてから言った。
「ありがとう、自分でちゃんと取るよ」
親指を立ててやりながら、次の作業に移る。
繁盛するようになると、モノの傷みも早い。
客が興奮してガタガタやるせいか、椅子がきしむようになっていた
くるくる回してみて、油を挿したりする。
ふと、それが、紫衣里が座っていた椅子だと気づいた。
座ってスティックを弾いてみると、デモ画面ではジャンヌ・ダルクが必殺技を放っていた。
「オルレアンの復活!」
処刑台の炎に包まれたかのようなジャンヌが、白い光の中で彼女が蘇るように立ち上がる。
『西遊記』の牛魔王から受けたダメージを跳ね返す。
「殉教者の光!」
ジャンヌの背後に燃える十字架の幻影が立ち上がり、祈りの言葉とともに円形の聖炎が地面から噴き上がる。
「フランスの花!」
ジャンヌが旗を掲げると、空に浮かんだ百合の紋章から光の槍が降り注ぐ。
最後に巨大な1本が、牛魔王の巨体を貫いた。
「あ……」
食い入るように見ていた画面に、水滴が落ちた。
慌てて拭いたが、きりがない。
涙だと気づくのに、少し時間がかかった。
慌てて席を立つと、間の悪いことに店長が話しかけてくる。
「ああ、そういえば入試は?」
背中を向けて、手の甲で目の辺りをごしごしやる、
鼻が詰まるのごまかそうとして、口で息をしながら答えた。
「先週終わりました」
フガフガいいながらの返事を、店長は訝しむ様子もない。
受かって当然という、軽い口調で尋ねてくる。
「どうだった?」
看護ならともかく、昨今は専門学校の推薦入試で滑る人はそうそういない。
答えるのも面倒だったが、愛想笑いをしながら振り向いた。
「まあ、文化芸術系ですから」
もう、そんな季節だったのだ。
夏休みにあったことを思い出しても、それが自分のものかという気がする。
……紫衣里との出会い。
……このゲームセンターでの完敗。
……共に凌いだ極貧生活。
……〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉。
……紫衣里を探し回った、嵐の中。
……軌道エレベーターでの決戦。
何もかも、遠い昔に見た映画のようだった。
ぼんやりしていると、身を乗り出した店長の顔が目の前にある。
「何もタイトル返上しなくても」
元の生活に戻っただけなので、気にもしていなかった。
エキシビジョンマッチで勝てば、プロ契約……アルファレイドの公式アンバサダーになれるはずだった。
ワールドタイトルマッチで優勝しただけでも、専門学校の学費を肩代わりしてもらえる。
その特典を、僕は残らず返上したのだ。
店長は、自分のことのように深いため息をついた。
「後できっと思うよ、もらっとけばよかったって」
……夏目漱石『坊ちゃん』の、下宿のおかみさんじゃあるまいし。
ひとりでアパートに帰ったあの日のことだけは忘れられない。
月明かりの下、隣を歩いているはずの、白いワンピースの少女はいなかった。
ひと月の間、ふたりで暮らしたあの部屋にひとりで座り込んで、佐藤に電話した。
軌道エレベーターの基盤部から名古屋港へ戻る艀の上では、逃げ場がないので言わなかったことだ。
さすがに困ってはいたが、返事はあっさりしたものだった。
……では、あとのことはお任せになって、明日からの学校生活に勤しんでください。
あの慇懃無礼さを思い出すと、口調もつい、似てしまう。
「やっぱり、僕の人生ですから。自力でやらないと、肝心なところで他人に振り回されます」
月並みな答えだったが、得られた人生訓は、せいぜいこのくらいだった。
……自分の力で、プロゲーマーを目指す。
両親とも話をつけた。
オフクロは先々を考えろと機関銃のような勢いでまくしたてたが、僕は黙って聞くだけに徹した。
ここが正念場だと思ったのか、喜怒哀楽すべての感情表現を駆使して説得にかかる。
それを途中で止めたのは、親父だった。
ぼそりとつぶやく。
……選んだことには、責任を持て。
そんなわけで、あの12万円は入学金に使って、あとは仕送り一切なしの予定だ。
「もったいない」
店長はしきりに繰り返すが、そうでもないと思う。
因みに金3000万円はプリンスに渡り、修学旅行援助はアルファレイドが引き受ける。
あとは、こっちが大げさに驚いてみせるだけだ。
「危なかったんですよ、公式アンバサダーなんて」
本当は、自信がある
ただ、アルファレイドと関わりたくないだけだ。
……紫衣里のこと、思い出してしまうから。
話題を切り替えようとして、僕はポスターの貼り換えにかかる。
まずは、こいつからだ。
「梅仁丹から火星旅行まで」
店長が、床を吐きながらぼやいた。
「できるのかね、本当に……軌道エレベーターだってあんなんだし」
アルファレイドのキャッチコピーが変わった理由を、僕だけが知っている。




