再び海風の中へ
その後のことは、よく覚えていない。
思い出そうとすれば、世界中に配信された動画をスマホで確認するしかない。
フィービーが撮ったと思しき映像では、観客の反応も様々だった。
「勝ったあああああああ!!」
「やべぇ……鳥肌止まんねぇ……」
「WHAT WAS THAT!? OH MY GOD—!!!」(今の何だよ!? うおおおおおおお!!)
「……今の、何が起きたんだ?」
「これ、後世まで語られるやつだろ……」
「My hands won’t stop shaking! I can’t handle this!」(手が震えて止まんねぇ! 無理だこれ!!)
立って飛び跳ねている者、椅子にうずくまって泣いている者。
その誰もが、やがてまっすぐな姿勢で手を叩きはじめた。
ぱらぱらという拍手が、次第に大きなうねりに変わる。
スタンディングオベーションが、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉エキシビジョンマッチの会場を揺るがす。
とても、 世界的コングロマリット「アルファレイド」が建造しようとしていた軌道エレベーターとかいうものの、基盤部だとは思えない。
健闘を称える声が、あちこちから聞こえているらしかった。
「よくやった!」
「Amazing!」(すばらしい!)
「シラノ!」
「HILTY!」(ヒルティ!)
「ハセオ!」
「ヒルティ」がクリームヒルトのことなのか、プレイヤーのHILDEこと板野星美なのかはわからない。
恥ずかしい話、あの後、板野さんがどうなったのかも、よく知らないのだ。
僕は、自分の名前が呼ばれているのも聞こえてはいなかったのだから。
動画をよく見ると、一応、僕の声を拾ってはいる。
「下ろせ! 下ろせ!」
クレーンが客席へと下りたのは、佐藤の指示だろう。
対戦者席を立って手すりにしがみつく僕を、観客は両手を広げて迎える。
安全な高さまで下りられるまでがもどかしく、インカムをかなぐり捨てた僕は、客席を前後に分ける通路へと飛び降りた。
、
「痛っ!」
前の晩に挫いた足で着地してしまったのだ。
せっかく、紫衣里が中国4000年とマヤ文明2000年の叡知に支えられた整体術で治してくれたのに。
これでは、興奮してハグを求めてくる観客から逃げることもできない。
アルファレイドのVIPからHILDEのサポーターにまでもみくちゃにされている姿が、ズームインされる。
そこで急に自撮りに入ったらしく、画面にフィービーの顔が現れた。
「Hey hey heyyyy!! Can you guys hear me!? This is your girl, Phoebe Michaels!! And OMG, today’s Ritalistic Bout was absolutely insane!!」
(ヘイ、ヘイ、ヘーイ! みんな見てる? キミの可愛い、フィービー・マイケルスだよ! 今日の〈リタレスティック・バウト〉、マジでヤバかったでしょ!?」
再び、画面には人の群れを抜け出そうとしてあがく僕が映し出された。
「Oh! That’s Haseo—finally! Ughhh, those people are blocking the view! Move, move! Please, my followers, do something!」
(あ、ハセオだ……うわー、あいつらジャマ。どけて! お願い、あたしのフォロワー……)
フィービーのフォロワーが我に返って、僕の前の人だかりを押しのける。
足を引きずりながら近づいてくる僕の顔つきは、もう尋常ではなかった。
虚ろな目をして、ただ、シエリ、シエリとだけ繰り返している。
その声も、スマホに耳を近づけないと聞き取れないくらいかすれている。
フィービーも、僕に駆け寄ってアップで映すまでは、何と言っているか分からなかっただろう。
「Look! Haseo is totally gone right now… you okay, boy? Huh? Shieri? My Pretty Girl? Where is she?」
(見て! ハセオ、完全にイっちゃってる……大丈夫? え? 紫衣里? あたしのプリティガール? どこ?)
そこで、コメント欄は暴発した。
「Wait wait wait—why is he calling Shieri’s name like that!」(ちょ、ちょっと待って――なんであんな必死にシエリの名前呼んでるの!?)
「By the way, who’s Shieri?」(ところでシエリって誰?)
「That girl in the white dress?」(あの白いワンピースの子?)
「Oh—she’s the one who picked a fight with that prince, right?」(ああ、あのプリンスにケンカ売った?)
「Guys, check out this video! https://v.exmpl/s/4kH2pA」(おまいらこの動画見ろや)
暗い天井を見据えてプリンス……軌道エレベーターのオーナーとなったエセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世に啖呵を切る様子がアップロードされている。
「She’s seriously cute.」(かわいい)
「Is she an actress? An idol? A model?」(女優? アイドル? モデル?)
「Phoebe, tell us!! Are they dating or not!?」(フィービー、教えて!! 二人って付き合ってるの!? どうなの!?)
最初に煽っておいて、フィービーは急に火消しに走る。
「What? Are they dating? No no no, go ask them yourselves! I’m just a world‑famous influencer, okay? Not their relationship manager!」
(「え? 二人は付き合ってるのかって? No no no、そういうのは本人たちに聞きなさいよ! あたしはただの世界的インフルエンサー、ね? あの子らのマネージャーじゃないの!」
あとお願い(Take it from here)とセルフスティックをフォロワーに預けたらしいフィービーは、僕に肩を貸そうとしていた。
「He’s heavy…! Somebody help me! Help me out and I’ll give you a shoutout later!」
(重い……誰か手伝って! 手伝ってくれたら後で名前呼んであげる!)
こういうのは早い者勝ちで、山のように背負ったガジェットを別のフォロワーに任せたひとりが、一方の肩を支える。
僕の体重の半分も抱えきれないらしく、フィービーは身体に腕を回して抱え起こした。
フォロワーたちからブーイングが上がったのは、その豊かな胸を密着させたからだろう。
そんなことには構わず、フィービーは僕に囁きかけた。
「Your ankle’s twisted… and you still fought like that? I’m impressed. Don’t worry — your Shieri is right nearby.」
(挫いてるじゃない……そんな足で、よく戦ったね。尊敬するよ……大丈夫、君のシエリはすぐ近くにいるよ)
会場を出ると、斜めに降ってくる光が上り階段を微かに照らしている。
フィービーのセルフスティックを預かっているらしいフォロワーが、階段を上って行く僕たちの後ろ姿を映している。
励ましの声が、動画から字幕付きで聞こえてくる。
「There’s no way she could leave this place. Not unless she turned into sea foam and vanished… like the Little Mermaid.」
(ここから出られるわけがないんだから。海の泡になって消えない限り……人魚姫みたいに)
いったんはフィービーたちを締め出した張り出しへの入り口は、開放されたままだった。
スマホが光量を調整できなかったのか、画面が一瞬だけホワイトアウトする。
それがじんわりと収まった後には、そろそろ日の傾き始めた夏の空が映し出された。
画面が左右にパンするが、コロッセオの外壁と、日の光の陰った海があるだけで、人影は見えない。
そこで初めて、僕の声が聞こえた。
「ありがとう、もう、いいよ……ああ、と、Thank you、でいいかな」
フォロワーはすぐに離れたが、僕はフィービーをかなり強引にふりほどいたらしい。
あまり邪険に扱われたことがないらしく、美しい配信者はきょとんとしていた。
やがてセルフスティックを回収したのか、 コロッセオの反対側へとびっこを引いて去っていく、僕の背中に語りかける。
「Even if she doesn’t show up, we’ll find her for you……Everyone’s been watching Shieri, after all.」
(もし、見つからなくても、私たちが探してあげる……みんな、シエリを見てたんだから)




