天よ、女王を嘉したまえ
血と闇の色に染まった花嫁衣装が眩いばかりの光に包まれた。
クリームヒルトは目まぐるしい速さで姿を変える。
刺繡の赤い糸が胸元からほどけていった。
その下から現れたのは、プラチナのコルセットだ。
袖は赤紫の涙模様が消え、透明に近い白い薄布に変わる。
それが揺らめくたびに、光の粒子がこぼれた。
天上からまっすぐに降ってきたかのような、澄み切った音が響き渡る。
……ハープシコードの一番高いキーを叩いたら、こんな音がするだろうか。
スカートのグラデーションは、赤から淡い金色のグラデーションへと変わっていく。
その足元からは光が波紋となって広がる。
シラノを襲った引き裾が舞い上げるのは赤紫色の霧ではなく、煌めく粒子だった。
婚礼衣装というより喪服に近かった黒いヴェールは、ほとんど無色に透き通り、風もないのに揺れる。
それを光の粒子が滑り落ちていく先には、涙の形をした透明な宝石が輝いていた。
……もしかすると、板野さんの心の色?
チョーカーの色も、紫から純白に変わる。
その真ん中の赤黒い宝石は、淡い青白に変わった。
ジークフリートから贈られた指輪も赤黒い濁りが消え、純白の光を放つ。
背中にこびりついていた黒い霧の翼は、神々しいオーラに変わった。
……アルファレイドから、解放された?
そう期待したとき、インカムから板野さんの声が、かすかに聞こえた。
「ここで決めて……!」
息を弾ませながら、いきなり言われても、何のことだか分からない。
それよりも、その苦しそうな声が心配だった。
「もういいだろ! ……佐藤さん、タオル!」
言ってしまってから。通じたか同課が気になった。
ボクシングのルールに則るのだから、その表現でいいかと思い直す。
だが、佐藤はうんともすんとも言わない。
裏事情を伝えてしまったら、あくまでも運営の立場で通すつもりなのだろう。
インカムから聞こえてくるのは、板野さんの荒い呼吸だけだ。
その中から、ようやく聞き取れるくらいのかすれた声が聞こえた。
「……言ってほしかったの、私に、いっぺんでいいから」
これ以上、しゃべらせてはいけないと思いながらも聞いてしまった。
「……何を?」
しばしの沈黙があったのは、息が苦しかったからなのか、それとも、他に理由があったのか。
なんとか聞こえたのは、最後のつぶやきだけだった。
「……って」
肝心のひと言は、何だったのか。
すっ、という、かすれた音しか思い出せない。
……何か言おうとして、つっかえたような。
だが、考える間もなかった。
クリームヒルトが、大剣を振りかざして袈裟懸けに斬り込んでくる。
「勇士よ天へ!!」
体力が残っていない状態で、気力ゲージ「浄化」は最高潮に達している。
勝負を賭けに来たのだ。
……ごめんよ、板野さん。
シラノが、流星のような突きを目まぐるしい速さで繰り出す。
「百人相手の決闘!」
それでも、大振りの大剣を弾いて流すのがやっとだ。
外れた斬撃は、シラノの足元から逆袈裟に跳ね上がってくる。
独楽のように回転して薙ぎ払い、ようやくのことで刃の軌道をそらすことができた。
だが、今度は横一線の眩しい閃光が走る。
……三角斬りか!
レイピアを振り下ろして叩き落そうとしたが、シラノのほうが吹き飛ばされる。
ダメージがないのが幸いだった。
このまま画面端に追い詰められれば、防御に徹しても、体力ゲージをひと削りされて終わる。
……足を止めるしかない。
クリームヒルトが次の攻撃にかかる直前に、シラノが剣を掲げて決めポーズを取る。
「3つ数えろ!」
スクリーン上に「UN」「DEUX」の文字が浮かぶ。
だが、観客席からカウントの声は上がらない。
誰もが、息もつかせぬ戦いに見入っているのだ。
フィービーも、そのサポーターも。
板野さん……いや、HILDEのオタクなサポーターたちも。
アルファレイドのVIPも、佐藤も。
そして。
……紫衣里も。
シラノが「TROIS」を数え終わる。
だが、その剣の一閃で放たれた衝撃波を受け止めたのは、クリームヒルトではなかった。
金色の鎧をまとった偉丈夫の姿が、粉々になって消える。
……ジークフリート?
クリームヒルトが、シラノの背後から大剣を振り下ろす。
「英雄の影!」
……間に合うか?
なるべく、コマンドの手数が少ない技でなければ、最後の一撃を受けるのはシラノだ。
上方向で溜めたレバーを横に払って、「強」ボタンを叩く。
「月からの墜落!」
大剣は空を切る。
クリームヒルトの頭上はガラ空きだ。
高々と舞って逆さに急降下するシラノが、そこへレイピアの切っ先を突き出す。
だが、跳躍の分、クリームヒルトにも回避するだけの余裕はあった。
もちろん、こんな小手先のトリックで勝てるとは思っていない。
着地の瞬間、すぐ出せる技で速攻をかける。
反対方向に振って溜めたレバーを攻撃方向に戻して、「強」ボタンを叩く。
「アラス野の疾走!」
反撃だ。
高速突進で、画面端まで押し返す。
さっきクリームヒルトに仕掛けられたことを、そっくりそのままお返ししてやるのだ。
シラノが連続突きを放つのはその後だから、「|裏切りの刃返し《フェアラート・クリンゲ・ゲーゲンシュラーク》」は意味がない。
クリームヒルトの手数は、限られている。
……隠している技がなければ、の話だが。
それは、お互い様だ。
僕にも、使おうにも使えなかった技はある。
クリームヒルトの打った手は、その条件を満たしてはいなかった。
「復讐の盾!」
シラノの突進が食い止められる。
地味だが、堅実な手だった。
体力を削られることなく、相手の技を封じる。
……お見事。
プリンスの真似をして、心の中でつぶやいてみる。
再び、観客席から大歓声が上がった。
だが、さっきのような熱狂と興奮はない。
誰もが、クリームヒルトの健闘を称えていた。
「ヒルティーーー!!」
「ケーニギン!!」
「HILDE! HILDE!」
「行けぇぇぇぇ!!」
「天へ導けーー!!」
「浄化の女王だ!!」
「ヘルト・ツム・ヒンメル!!」
「勇士を天へ返せーー!!」
攻撃を完全無効化されたシラノは軽くのけぞったが、ここで負ける気はない。
声援は再び、会場全体を震わせた。
「行け!」
「シラノも負けるな!」
「女王に栄光あれ!」
その間にも、次に打つ手が、頭の中を凄まじい速さで駆け巡る。
会場中に仕込まれたアンプで増幅された、音の風のように。
……「故郷の魂」か?
ぎりぎりの体力を残して勝てるが、もともと相討ち覚悟の技だ。
リスクが高すぎる。
……「亡霊なんかこわくない《マルグレ・レ・ファントメ》」?
一度だけ、あらゆる相手の攻撃を「完全無効化」できる。
だが、そこでまた「英雄の影」を使われるおそれがある。
今度こそ、クリームヒルトの大剣を背後から浴びることになるだろう。
……やはり、「男のやせ我慢」か。
まさに死ぬか生きるかの賭けだが、最後の一撃を食らった瞬間、反撃が保証される。
……それにしても、息が詰まる!
疲労の限界にきているところへ持ってきて、即断即決を迫られれば、脳も酸欠を起こそうというものだ。
思考が停止しかかったとき、インカムの向こうから微かな喘ぎ声が聞こえた。
「いやだ……」




