勝利の後の天罰
インカムの向こうから、板野さんの息遣いが聞こえた。
僕の息も荒い。
お互い、口には出さないで冗談を言い合っているが、気力も体力も限界なのだ。
それを分かりあえるのは、ぎりぎりのところで踏みとどまって戦っている僕と板野さんだけだ。
……もういいだろ? 板野さん。
息をするのもやっとなのだから、声なんか出るわけがない。
心が心でつながるものなら、板野さんが何を考えているのか知りたかった。
それが叶わないのなら……。
……これで分かってくれ!
第3ラウンドが始まる。
シラノの姿が、クリームヒルトの前から再び消えた。
「月からの墜落!」
クリームヒルトの頭上に、月から逆さに落ちたかのようなシラノの剣が降ってくる。
……勝って、君を自由にする!
板野さんの息が苦しいのを狙った不意打ちだった。
だが、これで倒せるクリームヒルトではない。
「復讐の盾!」
黒い炎に包まれた盾が、レイピアをはじき返す。
シラノは再生したマントを翻して、クリームヒルトの前に舞い降りた。
ようやくのことで吐き出したといった感じで、板野さんのかすれた声がきこえた。
「……同じ手は2度も食わないから」
読まれていた。
シラノが消える技は、もう一つある。
さっき使った、「亡霊なんか怖くない」だ。
クリームヒルトは攻撃に出ていないから、シラノはカウンター技を使ってはいないことになる。
板野さんが見た技のうち、残るのは一つしかない。
簡単な引き算だ。
……やられた。
ちょっと悔しかったが、嬉しかった。
この駆け引きを通じて、僕と板野さんはつながっている。
……紫衣里には悪いけど。
同じときに、同じ場所で、同じ痛みを感じている者だけの世界があるのだ。
そこで、気持ちが別の方向へそれた。
……じゃあ、僕と紫衣里は?
この1ヵ月、いろんなことがあった。
笑ったり、怒ったり、空腹で身動きもできなくなったり。
だが、紫衣里が背負ってきたものは、もっと重くて、もっと長い時間にわたる。
あの銀のスプーンを、人間の業ともいうべき欲望から、今まで、そして、これからも守り続けなければならない。
……女の子を産んでまで。
せめて、その相手は僕でありたい。
だから、今、僕は戦っている。
己と剣のみを信じる「無頼漢」、シラノと共に。
その相手は、復讐の女王、クリームヒルトだ。
……板野さんは?
これから、アルファレイドのお人形さんを続けるのだろうか?
こんなコスプレをして、オタクの欲望に晒されて。
……だから、僕は勝つ。
アルファレイドと対等の立場で、板野さんの自由も要求してやる。
今だって、インカムから聞こえる息はこんなに弾んでいる。
僕も苦しい。
……飲み込んだガラスの玉が、のどにつっかえているみたいだ。
だが、女王クリームヒルトには容赦というものがない。
決断したら最後、行く手を阻む者は誰であろうと生かしてはおかない。
何者も恐れることのない悠然とした歩みで、しかし反応を許さない速さで、シラノとの間を詰める。
手に提げた大剣が銀色の長い髪の上でくるりと舞うと、その勢いは地獄の煙を呼び寄せる。
復讐の刃が、弧をを描いて振り下ろされた。
「黒炎斬!」
その刃をレイピアが食い止める。
尾を引く黒炎がシラノの身体を焼くかと見えたが、それは水でもかけられたかのようにしぼんで消えた。
かわりに、空中に大きく浮かんだものがある。
「ま」。
「ぬ」。
「け」。
「まぬけの3文字」だ。
以前に、フィービーの操る「十三妹」の服を切り裂いて丸裸にしたアレだ。
レバーを下から攻撃方向に跳ね上げて「中」ボタンを押すだけが、カウンター技として決まればダメージは大きい。
相手が男性キャラクターやゴーレム系の無生物なら、三枚に下ろされる。
もっとも、ここで切り刻まれたのは、クリームヒルトの鎧だった。
ゲルマンの美女が、肌も露わに手で身体を隠して横たわる。
その姿は、美術館の額に守られた芸術作品のようだった。
気になるのは、客席の反応だ。
……フィービーのときは、賛否あったけど。
フィービーのフォロワーたちが口笛を吹いて冷やかす中、本人の悲鳴はしっかり聞こえた。
「ノー! ハセオ!」
またか、というニュアンスが感じられるのは、フィービーの使うキャラクターではないからなのだろう。
だが、それでは済まなかった。
「尊い!」
「ちょっと、これセクハラじゃない?」
「やめろおおお!!」
「見るなああ!!」
男性陣の感動と女性陣の非難と、オタクの悲鳴が会場いっぱいにこだまする。
思い出したのは、「覗きのトム」の伝説だ。
11世紀のイングランド。
民に重税をかける領主を戒めるため、信仰厚い妻は素肌を長い髪で覆っただけの姿で、馬に乗って街を駆け抜けた。
恩義を感じた街の人たちは家の窓を残らず閉めたが、仕立て屋のトムだけは物陰からこれを覗き見た。
領主は税を免じたが、トムの目は天罰によって潰れてしまったという。
ちらと眼下を眺めると、見上げる紫衣里のまなざしは、やはり冷たかった。
僕にとっては天罰にも等しい。
……しょうがないだろ。
スクリーンに目を戻すと、気力ゲージはほとんどないが、体力ゲージは残っている。
クリームヒルトが立ち上がれば、鎧は何事もなかったかのように再生するはずだ。
だが、その白い身体は大理石の彫刻のような脚を投げ出したまま、まだ横たわっている。
その姿の痛々しさに、オタクたちはどこから取り出したのか、横断幕まで掲げてサポーター活動を展開する。
「Schützt die Königin!」(女王を守れ!)
「Ehre der Königin!」(女王に栄光あれ!!)
インカムから聞こえてくる息も荒い。
それが落ち着くまでは、僕も休ませてもらうことにした。
クリームヒルトが斬り込んできたら、受けて立つ。
また、口三味線の囁きを交わしながら。
ここはコスプレ……じゃない、フォーコンプレには感謝するところだろう。
僕たちには、支えあう声が必要だ。
だから、ちょっとからかってみた。
「……こう来るとは思わなかったろ?」
この声は、きっと聞こえているはずだ。
……佐藤にも。
運営だから試合中は黙っているのだろうが、聞きたければ、僕たちの囁きあいにいくらでも耳を傾けるがいい。
……紫衣里を追いかけまわして、何もかも知り尽くした変質者め。
そう思うと、闘志がわいてきた。
やがて、インカムの向こうから返事があった。
「……そんな人だとは思わなかった」
ふふ、と笑う声は、もとの板野さんだった。
クリームヒルトが立ち上がると、再び鎧が装着される。
会場いっぱいに歓声が沸き起こった。
……もう一勝負だ、板野さん!
だが、躍る心は耳を貫く音に縮み上がった。
心臓が締め付けられるような気がしたが、やがて慣れた。
それでも微かに震える身体をなだめながら、深く呼吸する。
ようやく、頭は疑問を感じられるくらいには晴れ上がった。
……何だ? これは?




