無頼漢の反撃
僕の手は、緊張と怒りで震えていた。
……侮れない。
今の板野さんはもう、ショッピングモールのアルバイト先、「フェニックスゲート」で僕に挑戦してきた「長靴を履いた猫」ではない。
世界的な国際コングロマリットが僕に対抗させるために、1週間前に雇った「ゲーマー系アイドル」だ。
歌にダンスに、そして格闘ゲームの超絶テクニック。
これを完璧に習得するのは、パフォーマーであれ、ゲーマーであれ、1週間ではプロでも不可能だろう。
ただ、これを可能にする方法がたったひとつだけある。
……銀のスプーン。
僕の眼下遠く、観客席でエキシビジョンマッチを見ている長月紫衣里の胸元で淡い光を放っているのが、それだ。
その音は人間の脳と身体に働きかけ、潜在能力を100%発揮させる。
アルファレイドは、その金属にほぼ近いものを作り上げたらしい。
僕は、壁の冷たく暗い曲面に目を遣った。
……それが、この軌道エレベーターに使われている。
軌道エレベーターが完成すれば、地表から対流圏までの風速80㎞の風に晒されて、その音を地球上の人間の耳へと届ける。
能力を飛躍的に増大させた人類は、軌道エレベーターなしではいられなくなるだろう。
つまり、これを手にすれば、世界を思い通りにできることになる。
そこで、少し引っかかることがあった。
……え?
アルファレイドは軌道エレベーターを、いちばん高い値段をつける者に売りつけようとしていた。
フィービーがこのエキシビジョンマッチに乱入してこなかったら、プリンスといえども簡単には買い取れなかっただろう。
あまり考えたくないことが頭をもたげる。
……ということは?
今、世界はプリンス……エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世の手中にあることになる。
ぞっとしたところで、我に返る。
勝ち誇った板野さんの声が、インカムから聞こえた。
「……もらった!」
第2ラウンドが始まっていたのだった。
……それはないよ!
板野さんのために怒っていた僕の立場がない。
だが、それはまだ、余裕があることの証だった。
クリームヒルトの動きを、僕の目が追う。
次の攻撃技は、もう発動していた。
「英雄の影!」
その声と共にシラノの前へ現れた姿を見て、思わず息を呑んだ。
金色の鎧に身を包んだ偉丈夫。
その手には、赤く光る魔剣。
……ジークフリート?
見ただけで、背筋が凍った。
その重戦士系の技がいかに恐ろしいものかは、操ってきた僕がいちばんよく知っている。
なぜ、クリームヒルトの代わりに現れたのかは、ほとんど反射的に分かった。
〈リタレスティック・バウト〉には、別キャラクターを召喚して、共に戦う技がある。
……シラノの「友よ、わが魂を君に」と同じだ。
クリームヒルトが正面にいないのなら、することはひとつだ。
方向レバーを下から後ろに振って、防御ボタンを押す。
「亡霊なんか怖くない!」
背後からクリームヒルトが振り下ろす大剣が、ジークフリートの幻を斬った。
振り向いたところには、消えたはずのシラノがレイピアを構えている。
必殺技の効果が相殺されたのだった。
姿を消して、不意打ちしてくる相手に使うカウンター技だ。
クリームヒルトが背後に出現すると踏んだのが当たった。
以前には、あの鬼の目をした老人の「ほら男爵」に使っている。
僕に紫衣里を1ヵ月預けて試したが、今日がちょうどその期限だった。
目の前が、ちょっと明るくなった気がした
……この分なら、スプーンを鳴らされることはないな。
そう思うと、つい軽口も出る。
「……本当に、どんな手でも使うな」
深いため息が聞こえた。
怒りを抑えているのか、呆れているのかは分からない。
やがて、低く抑えた声が聞こえた。
「……口三味線よりマシです」
そう言われては、小細工抜きに、正々堂々たる戦い方を見せないわけにはいかない。
思い切って、必殺技抜きで仕掛けてみる。
細かい突きで牽制して、斬り込んで崩す。
クリームヒルトの大剣は、当たればダメージが大きいが、小回りが利かない。
隙ができたところで、大きく踏み込んで突く。
だが、そこでクリームヒルトの前に真っ赤な結界ができた。
「矜持の盾!」
不覚にもレイピアを取り落としたが、そこは投げ技を狙う。
掴みかかろうとしたところで、黒い炎を宿した手が飛んできた。
「悲嘆の掌!」
往復ビンタが来た。
吹っ飛ばされたところで、レイピアを拾って構える。
いいようにしてやられたが、何だか笑えてきた。
インカムで、ぼやいてみる。
「何か、ずるいな」
意地悪く笑う声が聞こえてきた。
「だから、さっきのお返し」
その割には敵意が感じられないので、ふと、気が緩んでこんなことを考えた。
……家庭用に移植されないかな。
どこかのワンルームで、コントローラーを手に、二人で仲良く兄妹のように肩を寄せあっている僕たちの姿が頭のどこかをよぎった。
……何考えてんだ!
これは、僕と紫衣里、板野さんと同じ境遇の高校生たち、ひいては世界の命運を背負った真剣勝負なのだ。
文字通り、指先ひとつの誤りが、悲惨な結果を招きかねない。
再び慎重になって、レバーを引く。
指の痛みはない。
思い切って下から半月形に回した。
いける、と判断して「強」ボタンを叩く。
シラノが凄まじい速さのフットワークで、高速の剣を繰り出した。
「百人相手の決闘!」
上段から下段、前から後ろ、まさに百人を相手取るかのようなレイピアの乱舞が、スクリーン狭しと斬り払う。
クリームヒルトは大剣を立てたが、なかなか反撃に転じられず、とうとう画面端まで追い詰められてしまった。
だが、必殺技はいつまでも続かない。
コマンドの効果が切れた瞬間、シラノの身体は突然、踏み込んできた女王の腕に抱き寄せられた。
「婚礼の呪縛!」
ナントカは人生のナンタラというが、シラノにも災難が及んだ。
身動きもできないまま、画面端まで投げ落とされる。
あっという間に、シラノの体力が一気に危険領域に突入した。
板野さんの冷ややかな声が聞こえた。
「何、考えてたの?」
別に、とだけ答えた。
……やましいことは。
頭を軽く振ったのは、僕もシラノも同じことだった。
そこへ疾走してくるクリームヒルトの、「復讐」のゲージが上がっていく。
シラノが立ち上がろうとするところで、再び地面から炎が噴き上がる。
「火葬の儀式!」
だが、そう簡単に焼き払われはしない。
火だるまになる前に、コマンドを入れる余裕はある。
「3つ数えろ!」
再び、3カウントを取る声が観客席いっぱいに響き渡った。
沈黙しているのは、HILDEのサポーターくらいだ。
「UN!」
「DEUX!」
シラノの身体が、火柱に変わる。
だが、スクリーン上と観客席のカウントは止まらない。
「武勲」ゲージが最高潮に達する。
そして、最後の一言が会場中を包み込んだ。
「TROIS!
シラノの剣が一閃する。
放たれた衝撃波が炎を吹き払い、防御も後退もしようともしなかったクリームヒルトを襲う。
弧を描いて吹き飛んだ女王が地面に打ち付けられたところで、僕はゲームに負けてぐずる幼い妹をたしなめるように言った。
「……お返しだよ」
インカムの向こうからは、何も聞こえない。
……本当に、すねちゃったかな?
板野さんを気遣っている間はなかった。
シラノもクリームヒルトも、あと一撃で倒れるまでにダメージを受けていた。
間違いのない一撃を加えれば、僕の勝ちだ。
あと1ラウンド残っている。
使う技を間違えれば、そこで僕の負けだ。
……先に動いてはいけない。
板野さんも、同じことを考えているだろう。
すると、動かないで済む技を放ってくるはずだ。
潘金蓮や王女メディアとの戦いを思い出しながら、僕は次の手を読んだ。
……「復讐の炎」。燃え盛りる怒りの炎。
……「女王の血の裁き」。血のような赤黒い光の中に相手を呑み込む。
……それとも。
クリームヒルトが叫んだ。
「ニーベルンゲンの帰還!」
戦いに倒れた騎士たちの亡霊が、音もなく現れた。
怒りも怨念もなく、ただ、虚無そのものが鎧をまとった者たちが、シラノを取り囲んだ。
立ち尽くすシラノは、逃げる術もない。
盾や剣で押し包まれて、がっくりと膝をついた。
体力ゲージが下がっていく中、一瞬だけ、身体が跳ね上がる。
その瞬間、シラノの首をクリームヒルトの大剣が斬り飛ばした。
……かに見えるだけだ。
騎士たちの袋叩きに遭っている間は、反撃のコマンドを入力するのに充分だった。
「武勲」ゲージがMAXに達する。
下から右にレバーを跳ね上げて、「強」ボタンを叩く。
こうすれば、体力がゼロになる攻撃を受けても一度だけ耐え、反撃の構えに入ることができるのだ。
シラノが高らかに告げる。
「男のやせ我慢!」
ニーベルンゲンの騎士たちの亡霊が、月光の中に消え失せた。
クリームヒルトの大剣が空を切る。
毅然として立ち上がったシラノが、その鎧をレイピアで貫いた。
崩れ落ちる女王の髪を、戦場の風が撫でていく。
……危なかった。
息が詰まるような緊張が解ける。
ほっとしたところで、ずっと黙っていた板野さんが不満を垂れた。
「ずるい……今まで見せてくれなかった、そんなの」
確かに、アルバイト先では使ったことがない。
難易度を最高にしても、余裕で勝っていたからだ。
仕事をしながらも手元を見ていてくれたのを思うと、板野さんには悪い気がした。
しなくてもいい言い訳をする。
「……わざとじゃないからね」
よほど追い詰められないと、こんな技はそうそう使えるものじゃない。




