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シラノ・ド・ベルジュラック再臨

 僕の心に火が付いた。

 こんな経験は初めてだった。

 だから、こんな口を利いたのも。

「人の心を……金で買いやがったな」

 握りしめた拳が震える。

 こいつを、どこへもっていけばいいのか分からない。

 いや、分からなくてよかった。

 それが分かるのは、佐藤が目の前にいるときだけだ。

 シラノ・ド・ベルジュラックに言わせれば、こういうことになる。


 ……何でかって? そりゃあ、お前の首の上に飛ばす俺のビンタで張り倒すそのバカ面にはな。


 特に、こいつには意地とか誇りと見栄とか、そういう言葉はないらしい。

 だが、インカムの向こうで僕にそう思われようと、佐藤は気にするような男ではない。

 冷然と答える。

「人聞きの悪い……プロとして当然のことをしていただいただけですが?」

 この辺で収めてやろうと思っていたのに、くすぶりはじめた感情は抑えようがなかった。


 ……当然だと?

 ……1週間かけて、紫衣里のスプーンのまがい物で板野さんを洗脳することがか?


 息を何度も継ぎながら、低い声を吐き出す。

「インカムでしゃべってやってるんだ。感謝しろ」

 そこで、ちょっと会話が途切れた。

 この男、顔だけでも何を考えているかわからないのに、声まで聞こえなくなったら、これほど不気味なヤツはいない。

 やがて聞こえてきた声に、あの慇懃無礼さはなかった 

「あなたも覚悟を決めてください。勝てばプロ契約です」

 直球勝負の説得……いや、これはむしろ脅迫だった・

 だが、僕はそれほどプロになることには執着していなかった。

「それで脅したつもりか?」

 こんな連中の厄介になるくらいなら、戦っても負けたほうがマシだった。

 修学旅行向けの奨学金をなかったことにされて世間の晒しものになっても構わない。

 紫衣里のために高校も辞めて働いたほうがマシだった。

 だが、佐藤はそこを正面から突いてきた。

「それとも、紫衣里さんも働かせる気ですか? 生年月日も分からない、戸籍もない流浪の民を」

 即答できなかった。

 僕ひとりで養うと言い切れない自分が情けなかった。

 いちばん弱いところを見せたのに、佐藤はそこを追及してこなかった。

 いや、軽蔑さえしない。

 何の感情も見えない言葉を、淡々と述べただけだった。

「まあ、私は独身だから分かりませんけどね、あなたの気持ちは」

 

 ステージに現れた佐藤は、マイクを手に、再び司会進行に戻った。

「さあ、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉で選択できるキャラクターは、古今東西の文学作品から選び抜かれた100人! あ、著作権が生きているものはご勘弁を……」

 流暢に聞こえはするが、声は硬い。

 たぶん、台本通りのセリフなのだろう。

 それでも、VIP席や板野さん……いや、HILDEのサポーターだけでなく、フィービーのフォロワーからも笑いは取れていた。

 佐藤の声が聞こえているのかいないのか、その司会の間にも、板野さんはキャラクター選択のカーソルを動かす。

 クリームヒルトのアイコンは、100マスの中から一発で選び出された。

 スクリーンの中で、銀色の髪が冷たい横顔に揺れる。

 画面が一瞬、白くフラッシュすると、雪のような白い花びらが舞い落ちる中、ゲルマンの女王ががゆっくりと姿を現す。

 白と赤のドレスが風に揺れる。

 右肩には銀の肩当てが輝き、左腕には重厚なガントレットが鈍く光っている。

 大剣を逆さに地面へ立てると、足元に赤い光の紋章が広がった。

 クリームヒルトは微笑み、大剣を肩に担ぎながら、静かに告げる。


「――復讐の歌を、あなたに。」


 続けて、カメラ目線でウインクしながら、アイドル声でこう言った。


「HILDE、参ります。」


 さらに、大剣を両手で構えると、毅然として言い放つ。


「逃がしませんよ……最後まで。」


 そこには、クリームヒルトの「復讐の女王」としての威厳があった。

 ついでに言うと。ゲルマンの理想的な女性だから、大人のプロポーションを持っている。

 板野さんには悪いが、いくらコスプレしても、そのイメージじゃない。

 佐藤はそれでも、台本通りの煽り文句で声を張り上げる。

「来た! 復讐の女王、クリームヒルト! その大剣は、夫ジークフリートを殺した裏切り者を許さない!」

 その勢いで、僕にもコールがかかった。

「さあ、ワールドタイトルマッチ優勝者、長谷尾英輔! キャラクター選択をお願いします!」

 僕は、指が痛まないよう、レバーをゆっくり入れてアイコンを拡大する。

 10マスのひとつひとつをカーソルで追っていくと、やがてジークフリートが現れた。

 さっきまでの対戦のインパクトがまだ残っているのか、会場は大いに沸いた。


「ジークフリート!!」

「うおおおおおお!!」

「また見れるのか!?」

「ハセオのジークだ!!」

 

 だが、カーソルは素通りした。

 客席は、唖然として静まり返る。

 佐藤は、インカムではなく、マイクで僕に語りかけた。

「ああ、まだ操作に慣れませんか?」

 僕は答えない。

 カーソルが10マス目を通過すると、次のページの10マスが現れる。

 さすがに、客席もざわつきはじめた。


「……あれ? 決定押さない?」

「迷ってる……?」

「もしかして……違う?」


 違う。

 僕は、画面上のあるアイコンでカーソルを止めた。

 客席のざわつきも、止まる。

 スクリーンが完全に暗くなると、静寂の中で満月がゆっくりと浮かび上がる。

 風が吹き、舞台の床に落ちた紙片が舞い上がる。

 月光の下、遠くの坂道にずらりと並ぶのは、刺客たちの影だ。

 その前には、シラノが月を背にして立っている。

 鍔広の帽子に長い羽根飾り。

 マントが風で大きく揺れると、抜き放ったレイピアの刃に沿って月光が走る。

 刺客たちの影が一斉に後ずさった。

 シラノはマントを大きく翻して、月光を浴びながら高らかに名乗る。


「天下無双の伊達男、月よりまかり越して候!」


 刺客の影が左右に道を開けると、シラノはその間を悠々と歩み去る。

 後には、その声だけが残った。


「さて……舞台の始まりだ」


 スクリーンが白くフラッシュすると、そこには対戦ステージとなる劇場の舞台があった。

 インカムから、佐藤の声がした。

「長谷尾さん……話が違います」

 いつになく冷たく張り詰めた声だったが、そう来ることは百も承知だった。

 紫衣里との将来を考えれば腹を括ったとは言い難いが、考えはまとまっている。

 板野さんがあんな姿を晒されているのを見せられたのが、こっちの時間稼ぎになったというのは皮肉な話だ。

 僕はきっぱりと言い切った。

「いいえ、条件どおりです。ワールドタイトルマッチの後に示された」

 わずかな間を置いて、抑揚のない問い返しが聞こえた。

「おっしゃってみてください。お互いに、誤解がないかどうか」

 目の前にいない佐藤に突きつけるように、握りしめていた拳から、人差し指を立てる。から薬指まで順に立ててみせる。

「ひとつ、このエキシビジョンマッチで勝つこと」

 中指を立てる。

「使うキャラクターはジークフリート」

 薬指を立てる。

「勝てば、アルファレイドをスポンサーとしてプロ契約を結ぶ」

 佐藤は、あの慇懃無礼な口調で答えた。

「おっしゃるとおりです」

 そこで僕は手のひらを裏返して、すべての指を開いた。

「ジークフリートで全勝しろ、とは言われていません」

 お互いに、黙り込むしかないようだった。

 佐藤にしてみれば、まさか僕がそんな屁理屈をこねるとは思っていなかったのだろう。

 フィービーとの再会のおかげだ。

 佐藤との口論を見ていなかったら、こんなことは思いつかなかっただろう。

 もし、この会話を聞かせることができたら、Vサインくらいはしてみせるかもしれない。

 やがて、ゆっくりと言い聞かせるような反論が聞こえてきた。

「確かに契約書を交わしてはいませんが、そこは信義則の問題で……」

 アルファレイドと佐藤には言われたくない。

 みなまで言い終わらないうちに、言葉のコンボを叩きつける。

竜殺しの英雄(ドラッヘンシュラーク)も使いました。プロモーションとしては充分かと思いますが」

 そこで、佐藤は囁き声をさらにひそめて、変則技を放った。

「ここだけの話なんですが……ジークフリートに比べて、シラノは扱いやすい分、必殺技のスペックが低いんです……勝てますか?」

 そんなことは、情報を漏洩リークされるまでもなく、シラノで戦ってきた身体が知っている。

 僕は自信をもって答えた。

「そんな確信はありません。今までも、これからも。ただ……」

 勿体をつけると、佐藤も乗ってきた。

 押し隠した不安よりも、好奇心のほうが見て取れた。

「ただ……何ですか?」 

「まだ使ったことのない必殺技もあります……開発者なら、心当たりがありますよね?」

 佐藤は再び押し黙ったが、忍耐とも諦めともつかないため息をついて答えた。

「口約束とはいえ、契約の前提に認識の違いがあったようです。いわゆる動機の錯誤にあたるかと思いますので、顧問弁護士に……」

 ひと息にまくし立てるのを、僕は遮った。

 弁護士なんぞに、屁理屈だと一蹴されてはかなわない。

 紫衣里がそばにいれば、そのまなざしを参考にできたかもしれないが、今は無理だし、する気もない。

 僕はビジネスヤクザにでもなったかのような気持ちで、声に精一杯のドスを利かせた。

「ここで棄権したらどうなると思う?」

 実をいうと、内心、びくついてはいた。

 法律のことはよくわからない。

 だいたい、世界的なコングロマリット「アルファレイド」にとって、一介の高校生の棄権がどれほどのものか。

 分かるのは、棄権しても非難や軽蔑は僕ひとりが耐えれば済むということだ。

 会場も、静まり返っている。


 ……当然だよな。


 あのプリンスにも匹敵する、クリームヒルトの超絶テクニックを見せられた後なのだ。

 そこで竜殺しの英雄(ドラッヘンシュラーク)を放ったジークフリートの姿を見たら、次に期待することは一つ。

 ゲルマンの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公対決だ。

 プロモーション的にも、最強のカードだろう。

 観客席の向こうの、対戦者席を眺めてみる。


 ……板野さんは?


 たぶん、インカムはつけていることだろう。

 考えてみれば、僕と佐藤さんのやりとりも、聞いていたはずだ。


 ……僕の声は、届いていただろうか?


 何も言ってこないのは、アルファレイドの洗脳のせいだろうか?

 いや、微かな声が聞こえる。

「……長谷尾さんの勝ちです」

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