復讐の女王の正体
それを遮ったのは、佐藤の声だ。
「1分経過」
仕方がない。
僕が頷くと、紫衣里は手を離した。
まっすぐな目で見上げる顔が、遠ざかっていく。
クレーンがさっきとは逆の軌道を通って、元の位置へと戻っていく。
いつまでも紫衣里の姿を見つめてはいられない。
僕は再び、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉エキシビジョンマッチの画面を眺めた。
ステージに上がった佐藤が、プロレスかプロボクシングの試合でも始めるかのような口調でコールした。
「では、改めて……本日のメインイベント」
赤コーナー、とは言わない。
代わりにスクリーンを満たしたのは、「VS」のロゴを挟んだ、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のキャラクターの顔だった。
そのアイコンの数、100人と100人。
この会場では、そのひとつひとつの見分けがつかない。
アーケードに移植したとき、これでいいんだろうかという気にさえなってくる。
そこで、佐藤が口を挟んだ。
「あ、どれでもボタン押してレバー上に入れてください……3回くらい」
慎重に、
言われたとおりにするとアイコンが拡大されていった。
50対50くらいから20対20。
10対10になると、ようやくアイコンの顔が判別できる。
佐藤は続いて解説する。
「ボタン押しながらレバー左右で、あとはアイコン選択、それでボタン」
レバー上下で拡大縮小、左右で前進後退ということだ。
慎重にレバーを動かして、操作方法を確認する。
佐藤が怪訝そうに尋ねた。
「……操作、分かりませんか? それとも、マシンに不具合でも?」
ステージからの目くばせひとつで、会場脇の扉からエンジニアと思しき人たちが駆け込んでくる。
クレーンが再び動き出したのは、結果的にいい判断だった。
1分間のインターバルは、指のケガの応急処置で使ってしまった。
そこで閃いたことがあったのだが、佐藤が司会を再開したものだから、考えが中断されてしまったのだ。
もっとも、何をすればいいかは分かっている。
まだ、決心がつかないだけだ。
……本当に勝てるのか?
ある程度の見通しがなければ、この勝負は本当にアルファレイドのシナリオ通りに進行する。
今日のゲームだけではない。
その後に現実が続く限り、ずっとだ。
……ここで勝たなければ、未来はない!
クレーンを本当に下ろしてしまったところで、エンジニアがちょっと調べれば、どこも故障していないことはすぐに分かる。
腹を括るための時間を少しでも稼ごうと、僕は最後の悪あがきに出た。
ステージを下りてエンジニアへと小走りに駆け寄ろうとする佐藤に、僕は対戦席のマイクで呼びかけた。
「あの……故障とかそういうんじゃないです」
指先で眼鏡をちょっと押し上げた佐藤が、手を掲げて何か合図する。
クレーンとエンジニアが戻っていくのを確かめた僕は、弾む息をこらえながら、できる限り重々しい口調で告げた。
「対戦相手の紹介が……まだです」
佐藤も、ステージに戻るまでの間、じっと足元を見つめてこらえていたが、舞台照明を浴びると、再び元の営業スマイルに戻った。
あの慇懃無礼な口調は、いつもよりちょっと駆け足気味だった。
「今日のメインゲストは、長谷尾さんおひとりで」
……それはどうも。
腹の内の皮肉を見せるわけにはいかない。
佐藤が息を継ぐ間を縫うようにして、思い切って畳みかける。
「相当のプレイヤーですよね?」
さっきまでのテクニックを見れば、素人でも分かることだ。
それほど返事に困ることでもないのに、一瞬、答えに詰まった感があった。
当たり障りのない答えが、白々しく返ってくる。
「まあ、うちの職員ですから」
実をいうと、正社員でもバイトでも、どっちでもいい。
僕のほうも、ちょっと白々しいかとは思いながら、できるだけ熱っぽく語りかけた。
「ぜひ、紹介してください」
別に、知りたくもない。
いやいや、と佐藤は顔の前で手を振った。
「テレビのバラエティーでADを紹介しますか?」
いや、ディレクターだって顔を出さないだろう。
このイベントの表から裏まで全部仕切っているであろう佐藤が、気の毒にさえ思える。
だが、そこでフィービーがツッコんだ。
フォロワーが何か始めたので、スマホを見てみる。
「Didn’t Japan do that back in the ’80s?」
(80年代にはあったんじゃない? 日本には)
コメント欄に、URLがずらずらと並んだ。
開いてみれば、テレビでときどき見るお笑い界の大御所が、髪も顔もつやつやと、バカなことをやっている。
そこは、佐藤も慌てたようだった。
「すみません、著作権の問題がありますので、動画の切り貼りは……」
確かに、そういう動画は海賊版がほとんどだ。
だが、その言葉は、向こうの対戦席からの冷ややかな一言で遮られた。
「構いません」
佐藤はきっぱりと言い切る。
「いえ、困ります」
クリームヒルトのプレイヤーは、ちょっと考えてから返答した。
「海賊版の話じゃありません」
佐藤の声が緩んだ。
それでも、早口には拍車がかかる。
「予定にないことは」
「もともと、そういう段取りだったんでしょう?」
冷たい声は悠然と答える。
さっさと話をおわらせたいか、佐藤はせかせかと説得にかかる。
「外部のカメラ入ってますから」
「どっちみち、顔は出るんですから」
切り返す声は、平然としたものだった。
言葉を選び始めたのか、佐藤は歯切れが悪くなってくる。
「マーケティング上……」
それは、末端で働く者には割とどうでもいい。
ゲーセンのバイトとしては、それが正直なところだ。
だが、声の主は、その辺のかけひきも心得たものだった。
「ここは見せないと、まずいんじゃないですか?」
佐藤の声が、急に低くなる。
ひとことひとこと、区切るようにたしなめた。
「そういう契約になってますから」
女王クリームヒルトのプレイヤーは、ため息混じりに引き下がった。
「契約と言われたんでは」
その気弱な声に、思いあたることがあった。
……まさか。
この声は、確かに聞いたことがある。
今は冷ややかだか、この張り詰めた感じは、何かつらいことをいつも我慢している人のものだ。
分からないのは、この口答えだ。
胸に秘めた思いを敢えて抑こんで、ぶっきらぼうな物言いで伝える、そんな人ではなかったはずだ。
だいたい、今日、いま、こんなところにいることは絶対にありえない。
だが、他の人は考えられなかった。
僕はマイクに口を寄せる。
「名乗っていただけませんか?」
「いいんですか?」
対戦相手は、ためらいがちに尋ねた。
もちろん、相手は、佐藤やアルファレイドだ。
……無視すればいい、そんなもの。
つい、声を荒らげてしまった。
「僕が聞いてるんです」
「長谷尾さんには聞いていません」
突き放す声の響きに、確信したことがあった。
今度は僕が佐藤に尋ねる。
「いいですよね?」
質問ではない。
確認だ。
それが佐藤にも通じたのか、しばしのためらいの後、精いっぱいの無難な答えが返ってきた。
「……私一人の判断ではいかんとも」
だが、クリームヒルトのプレイヤーは、そんなことはもう、聞いていなかった。
あの日、僕に勝負を挑んだ声で言い切る。
「ハンデは嫌なんです」
それは、佐藤に対するものか、僕に対するものかは分からない。
だが、続く言葉は間違いなく、僕へのものだった。
「あたしだって、ずっと見てました……長谷尾さんのこと」
あの日の対戦の記憶が、僕の頭の中で鮮明に蘇った。
僕の操るシラノを丸裸にした、長靴をはいた猫。
目に涙をいっぱい浮かべた、あの挑戦。
……板野星美さん。
でも、どうしても分からない。
……じゃあ、なんで、ここに?
その疑問は、ようやく落ち着いた佐藤の事務連絡で遮られた。
「オーナーのOK出ました」
プリンスのことだ。
なぜ、と思ったが、そういえばプリンスは、この軌道エレベーターの権利を今日のイベントごと買い取っていたのだった。
何億、いや何兆何京という規模の金額を左右できる立場だ。
……それで、ゲーセンのバイト娘ひとりの名前を明かすか明かさないかを判断させられるとは。
いい迷惑だっただろう、と思ったときだった。
板野さんが、対戦席のシートから立ち上がった。
頭から羽織った紺のパーカーは、脚まで隠れるくらい裾が長い。
それが、小柄な身体の背中をするりと滑って、シートの背もたれに落ちた。
初めて見る、遠目にも白い肌が露わになる。
僕は、思わず息を呑んだ。
……あれは!
眼下の紫衣里が気になって見下ろすと、身じろぎもせずに板野さんの姿を眺めている。




