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ひとつ屋根の下の彼女と、そのリスク

「連れていけって……そういう意味だとは」

 四畳半ワンルームのアパートで、僕はため息をつきながらへたりこんだ。 

 隣の空き地に陣取っている大きな木を前にしたベランダから、夕暮れ時の風が涼しく吹き込んでくる。

 夕風に、その髪が微かに乱れて揺れる。

 まさか、この長月紫衣里とひとつ屋根の下で暮らす羽目になるとは思わなかった。

「よろしくね!」

 ガラスのように澄んだ目で見つめられると、もう沈黙するしかない。

 確かに僕は下宿生なので、親の目は関係ない。1人暮らしのアパートに2人住んでいるのを管理人が咎めなければ、別に問題はなかった。

 嫌も応もない……こんな美少女とひとつ屋根の下なんて。

「……こちらこそ」

 そう答えながらも、胸は緊張と興奮で高鳴っていたわけだが、それ以上に問題なのは、あの老人の出した条件だった。


(シエリの鳴らす銀のスプーンの音は、人の脳に働きかけ、潜在能力を100%引き出すことができる。だが、その力をあと1ヵ月の間、使ってはならない)


 そんなことは何でもなかった。

 普通に暮らせばいい。

 ただ、分かったことは一つだけあった。

 次の日のことだ。

 夕食のテーブルの前で、僕は絶望のどん底にいた。

「……こういうことか」

 カレーにギョーザに野菜炒めに、そうめんと買ってきた天ぷら……手のかからない、しかし大量の料理を前に、紫衣里は上機嫌で手を合わせる。

「いただきま~す!」

 その華奢な身体つきからは信じられない勢いで皿を空けた紫衣里は、ふと口と手を止めて尋ねた。

「ねえ……食べないの?」

「いや、今、減量しててさ……e-スポーツって、太ると不利なんだよ」

 見るに堪えないくらい太っているヤツも、いないわけではない。

 実をいえば、もう食べるものがないのだった。

 もっとも、紫衣里はそんな話には耳を貸そうともしない。

 ありったけの食材を食いつくした紫衣里は、悪びれもせずに言ったものだ。

「明日は、ちゃんと食べてね!」

 そのためには、先立つものの心配をしなければならなかった。

 ふと目を遣ったのは、壁にかかっている制服だ。

 紫衣里もそっちを眺めて、何となく聞いてきた。

「ああ、高校生なんだ、まだ」

「ご両親は?」

 嫌われたくないと思いながらも、愛想のない物言いになる。

「もっと田舎」

 長良川の上流のほうだ。

 自分でも分かるくらい、目が遠くなる。


 ゲームセンターにオンラインもなく、ろくなプレイヤーもいない田舎が嫌だった。

 そんな土地に縛り付けられるのがいやで、少しで開けたところに出たいと親に強情を張って、こっちまで出てきたのだ。


 紫衣里の声で、我に返った。

「よく許してくれたね、e-スポーツ」

「そんなわけないだろ。本当なら、難関大学に合格するとか、大手に就職するとか……そのつもりだったんだ、最初は、本当に」

 面白くもなさそうに、紫衣里は答えた。

「普通なんだね、意外と」

「悪かったね」

 そう言いながらも、不思議に怒りはない。

 紫衣里が、興味津々といった顔つきで訪ねてきたからだ。

「いつから?」

「しょっぱなから」

 一つ間違えれば放蕩でしかないのに、僕は自分が選んだ道を自信たっぷりに語りはじめていた。

「調子に乗ってさ、つい、〈リタレスティック・バウト〉の大会に出ちゃったんだよ」

「勝った?」

 紫衣里は身を乗り出してきた。

「負けた」

 そうそう新参者に勝たせてくれはしない。

 紫衣里が、少し笑った。

「それでも?」

 僕がうなずいたのは、大会で初めて生きている気がしたからだ。

「高2になってすぐ、親に切り出した」


 ……e-スポーツのプロになりたい。


そこで、僕のスマホが鳴った。

 画面には、「実家」と表示されているのを見て、慌てて飛びついた。

 月にいっぺんの、「定時連絡」。

 出るには出るが、話すことは同じだ。

「そういうバクチはいかん」

 これは、可もなく不可もなく、地元企業で堅実に勤めてきた親父だ。

「お金は自分でなんとかしなさいね」

 これは、金に細かいが面子にこだわるオフクロだ。

 高校中退を恐れてか、仕送り(と修学旅行費の積み立て)停止だけを宣言している。

 いつもは二言三言、口答えをするところだが、今度ばかりに小声ではい、はい、と流しておく。

 

 紫衣里に首を突っ込まれたら、とんでもないことになる。

 ここは、一人住まいのアパートなのだ。

 女の子を連れ込んでいるのがバレたら、光熱費までも止められかねない。


 電話が切れたところで紫衣里の様子をうかがうと、その場で横になって寝息を立てていた。

 前髪が、かわいらしい額にかかっている。

 つい、掻き上げそうになって手が止まった。


 ……冗談抜きで、どうしようか。


 今のところ僕は、あちこちの大会に出て何度も優勝してみせているが、それでも親には認めてもらえない。

 そこで見つけたのが、「フェニックスゲート」のアルバイトだった。

 時給1,050円。

 交通費は別で、徒歩でもバス料金が出る。

 しかも働きながら、休憩時間には自前で〈リタレスティック・バウト〉に励むことができた。

 ときどき、大会で賞金が出ることもあるが、それも10万円以内だ。

 部屋の中を見渡せば、テレビと電話はあるが、ゲーム機はない。

 ゲームで食っていこうと思うようになってから、帰宅してまでやりたくなくなったので、中古屋に売ってしまったのだ。

 因みに、自転車も維持費がかかるが、高校も徒歩で通えるので、もともと持っていない。

 そんなこんなで、何とかやりくりして貯めた専門学校進学資金が、12万円。


 部屋の隅にある入学案内は、アルバイト先の親会社「アルファレイド」傘下のものだ。

 入学金は、きっちり12万円。


 これだけは、死守しなければならない。

 進学したら、身を粉にして学費を稼ぎださなければならなくなるだろう。

 浮世の悲哀など何も知らないかに見える寝顔を見つめながら、腹を決める。


 ……耐えるか、極貧生活に。


 美少女とひとつ屋根の下で暮らすというのは、こういうことなのだった。

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