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ひとつ屋根の下の彼女と、そのリスク

「連れていけって……そういう意味だとは」

 四畳半ワンルームのアパートで、僕はため息をつきながらへたりこんだ。 

 隣の空き地に陣取っている大きな木を前にしたベランダから、夕暮れ時の風が涼しく吹き込んでくる。

目の前にちょこんと正座しているのは、バイト先のゲームセンターから当然のようについてきた、長月紫衣里だ。

 彼女にとっては何でもなかったかもしれないが、下宿に着くまでの間、身体をすくめて歩いていたこっちはたまったものではない。

 肌に感じる、好奇と嫉妬の入り混じった視線は、血がにじむかと思うほど痛かった。

 それほどまでに、この白いワンピースを着た、長い黒髪の少女は可愛かったのだ。

 夕風に、その髪が微かに乱れて揺れる。

 まさか、この長月紫衣里とひとつ屋根の下で暮らす羽目になるとは思わなかった。

「よろしくね!」

 ガラスのように澄んだ目で見つめられると、もう沈黙するしかない。

 確かに僕は下宿生なので、親の目は関係ない。1人暮らしのアパートに2人住んでいるのを管理人が咎めなければ、別に問題はなかった。

 嫌も応もない……こんな美少女とひとつ屋根の下なんて。

「……こちらこそ」

 そう答えながらも、胸は緊張と興奮で高鳴っていたわけだが、それ以上に問題なのは、あの老人の出した条件だった。


(シエリの鳴らす銀のスプーンの音は、人の脳に働きかけ、潜在能力を100%引き出すことができる。だが、その力をあと1ヵ月の間、使ってはならない)


 そんなことは何でもなかった。

 普通に暮らせばいい。

 今まで通りバイトに行って、ときどき腕慣らしに客寄せのゲームやって、帰ってくれば紫衣里が待っている。手料理なんて贅沢を言うつもりはないので、せめて僕の下手なヤキソバを一緒に食べてもらえればそれでよかった。

 紫衣里の流れる黒髪と澄んだ瞳、人形のような白い肌にはどこか冷たいものが感じられる。それだけに、黙々とソースヤキソバの麺をすする姿は似つかわしくない。だが、そのおかげで、素性が彼女の口から語られることもなかった。


 ただ、分かったことは1つだけあった。

 次の日のことだ。

 夕食のテーブルの前で、僕は絶望のどん底にいた。

「……こういうことか」

 カレーにギョーザに野菜炒めに、そうめんと買ってきた天ぷら……手のかからない、しかし大量の料理を前江に、紫衣里は上機嫌で手を合わせる。

「いただきま~す!」

バイトが終わって、同じショッピングモールの食料品売り場へ行ったら、僕たちは注目の的になったのだった。その理由は、紫衣里が現実離れして可愛いかったということだけじゃなかった。

だが、あまり思い出したくないので、あえて月並みなことを聞いてみる。

「そのカレー、おいしい?」

 紫衣里は眩しいくらいの満面の笑顔で答える。

「おいしいよ! ありがとう! 作ってくれて!」

 最後のひと言だけはこたえた。

 正直、肉とか野菜とかを切るのはめんどくさい。

 だが、まっすぐな眼差しの前では、見え透いた嘘をつくこともできなかった。

「いや、そんな、レトルトでよかったら、いくらでも……」

 口ごもりながら答えたのを気にした様子もなく、紫衣里はリクエストを繰り出す。

「あ、じゃあ、次はギョーザ!」

 その清楚な顔立ちと華奢な身体には、あまり似つかわしくない。

 居酒屋でのバイトは禁止なので見たことはないが、一杯やっているオッサンが肴を追加で頼むとこんな感じだろう。

 できれば、見たくない姿だった。

「ははは……凄い組み合わせだね。ニンニクの臭い、大丈夫?」

 カレーなら何でもトッピングできると勘違いしてる、どっかのチェーン店みたいだとは思いながら、気を遣いはする。

 僕としては、紫衣里のイメージを傷つけたくはなかったのだ。

 だが、そんな気持ちを見透かしたかのように、ちょっと不機嫌そうな声が返ってくる。

「細かいこと気にしないの!」


 ……仕方がない。

 居酒屋のオヤジのように、僕は台所へ向かった。

「あ、どうぞどうぞ……いくらでも焼くよ」

 白状すれば、僕はものぐさだった。

 フライパンとか油とか、使いたくはなかった。夏場に水餃子というのも、作るのは暑くていやだった。

 そう思ったところで、紫衣里は急にオーダーを変えてきた。

「あ、でもやっぱり臭うのやだから、ほら、そうめんをさ……」

 台所に立っていた僕は、真逆の料理に戸惑わないではいられなかった。

「……そうめん?」

 紫衣里は咄家のように豊かな身振り手振りで、食べたいものを口調も軽やかにアピールしてみせる。

「つゆにワサビいっぱい入れて、キューっと啜れば……」

 食い物へのこだわりにも限度ってものがある。

 できれば断りたいと思いながら、聞いてみる。

「今から茹でるの?」

 茹でる手間をかけるなら、後でちょっとでも涼しくなるのがいい。

 すると絶妙の間で、茶々が入る。

「そう、めん! なんちゃって……」

 無邪気な顔で僕を見つめてはいるが、明らかにリアクションを強要している。

 笑ってみせないと、それこそ妙な間に困ってしまう。

「あ、それ、面白いね、ははは……」

 くだらねえ、とは思ったが口には出さない。

 可愛いと何でも許されてしまうのは、間違っているかもしれないが仕方のない、世の仕組みのひとつだ。

 それでも受けないダジャレは自分でも分かるのか、紫衣里は話をそらす。

「それでさ、このつゆに天ぷらつけて食べるのも美味しいんだよ。あ、大根おろしも入れて」

 なるべく、話を弾ませたい。

 気を取り直して、僕もその場を取り繕う。

「へえ……。ウチで揚げたのじゃなくてごめんね、火の始末、結構怖くてさ……。あ、大根は今おろすね」

 これも、結構、体力がいる。

 だが、俺は全身全霊を挙げて、太い大根を摺り下ろした。

 こんなことで、喜んでもらえるのなら。


 ……飼い主の前で芸をする犬みたいなもんだよな。


 そうめんと、薬味の大根おろしが入った麺つゆをいそいそと目の前に並べたところで、紫衣里は遠慮がちに言った。

「ねえ……長谷尾くん」

 まだ何か、足りないものがあっただろうか。

 恐る恐る、顔色をうかがってみる。

「はい……?」

 紫衣里は、真顔で尋ねる。

「食べないの?」

 痛いところを突かれた。

 実をいえば、もう食べるものがないのだった。

「いや、今、減量しててさ……」

 精一杯の言い訳だった。

 変に気を使わせたくもない。

 それでも、紫衣里は納得してくれなかった。

「何で? スタイルいいと思うんだけど、英輔」

 そう言ってくれるのはありがたいが、事情が事情だった。

 こんな言い訳をするしかない。

「いや、その……e-スポーツって、太ると不利なんだよ」

 もちろん、ウソである。

 見るに堪えないくらい太っているヤツも、いないわけではない。

 もっとも、紫衣里は僕に聞くだけ聞いておいて、僕の話には耳を貸そうともしない。

「あ、それからねえ……」

 そうめんをすすって、天ぷらにかかりながら、次に食べたいものをリクエストしてくるのだが、きりがないので、このへんにしておく。


 ……話を振るだけ振っといて。


 そう、可愛い顔して、よく食べるのだ。この娘は。一緒に暮らすとなると、食費もかかる。

 この日もショッピングカートは食料品が山盛りだった。

 紫衣里の可愛さに加えて、こっちも恥ずかしいことに人目を引いて仕方がなかったのだ。

 だが、深刻なのは、ふたりの暮らしの問題だった。

 ありったけの食材を食いつくした紫衣里は、悪びれもせずに言ったものだ。

「明日は、ちゃんと食べてね!」

 そのためには、先立つものの心配をしなければならなかった。

 ふと目を遣ったのは、壁にかかっている制服だ。

 紫衣里もそっちを眺めて、何となく聞いてきた。

「ああ、高校生なんだ、まだ」

 通っているのは公立高校だから授業料はかからないが、親からの仕送りの一切は止まっていた。

 e-スポーツのプロになるのを反対されているからだ。

 人に言うことでもないので黙っていると、更にズカズカ踏み込んでくる。

「いや、ヒマそうに見えたから、何してる人かなと思ってたんだ」

 僕の事情が事情だけに、グサリと来る。

 あまつさえ、部屋をぐるりと見渡して、余計なことを言う。

「ご両親は?」

 嫌われたくないと思いながらも、愛想のない物言いになる。

「もっと田舎」

 長良川の上流のほうだ。

 自分でも分かるくらい、目が遠くなる。


 ゲームセンターにオンラインもなく、ろくなプレイヤーもいない田舎が嫌だった。

 そんな土地に縛り付けられるのがいやで、少しで開けたところに出たいと親に強情を張って、こっちまで出てきたのだ。

 難関大学に合格するとか、大手に就職するとか、結果を出さなければ、立場がない。

 

 ……本当に、そのつもりだった。


 高1のとき、初めて触れた街中の空気に浮かれて、つい、〈リタレスティック・バウト〉の大会に出てしまったのだ。

 もちろん、そうそう新参者に勝たせてくれはしない。

 だが、僕は燃えた。

 心が躍った。

 初めて、生きている気がした。

 ゲーマーに将来を見出した僕は去年、つまり高2のとき、進級と同時にそれを親に切り出した。


 ……e-スポーツのプロになりたい。


 もちろん、一蹴された。

 というか、e-スポーツというものが何なのかということを説明するのに骨が折れた。

 親父は幼い僕をパチンコに連れていったのは棚に上げて、バクチはいかん、とだけ言った。

 結果を出す、と僕は啖呵を切った。

 金に細かいが面子にこだわるオフクロは高校中退を恐れてか、仕送り(と修学旅行費の積み立て)停止だけを宣言した。

 もっとも、そんな話をしたくはない。

 さらに問いただされたらどうしようと思いながら紫衣里を見ると、その場で横になって寝息を立てていた。

 前髪が、かわいらしい額にかかっている。

 つい、掻き上げそうになって手が止まった。


 ……冗談抜きで、どうしようか。

 

 今のところ僕は、あちこちの大会に出て何度も優勝してみせているが、それでも親には認めてもらえない。

 そこで見つけたのが、「フェニックスゲート」のアルバイトだった。

 働きながら、休憩時間には自前で〈リタレスティック・バウト〉に励むことができる。

 ときどき、大会で賞金が出ることもあるが、それも10万円以内だ。

 部屋の中を見渡せば、テレビと電話はあるが、ゲーム機はない。

 ゲームで食っていこうと思うようになってから、帰宅してまでやりたくなくなったので、中古屋に売ってしまったのだ。

 因みに、自転車も維持費がかかるが、高校も徒歩で通えるので、もともと持っていない。

 そんなこんなで、何とかやりくりして貯めた専門学校進学資金が、12万円。

 これだけは、死守しなければならない。

 進学したら、身を粉にして学費を稼ぎださなければならなくなるだろう。

 浮世の悲哀など何も知らないかに見える寝顔を見つめながら、腹を決める。


 ……耐えるか、極貧生活に。


 美少女とひとつ屋根の下で暮らすというのは、こういうことなのだった。

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