英雄王と、その王妃と
昼食後、僕たちは再びエキシビジョン会場に集まった。
予定よりも、1時間は遅れている。
いろいろとあったのだ。
佐藤は、いささか疲れて見えた。
ステージ前の席で出番を待つ僕と紫衣里に、あの営業スマイルで語りかける。
「お食事は堪能なさいましたか?」
ええ、と機嫌よく答える紫衣里の傍らで、僕は「ごちそうさまでした」と力なく答える。
実を言えば、僕たちには昼食代相当の食事は振る舞われたのだが、その先がまずかった。
「知らない人についていかない!」
ちょっと怖い顔をしてみせたが、紫衣里も負けてはいない。
「英輔も一緒だったじゃない」
「僕は紫衣里についていったの」
紫衣里は目を引くので、事情を知らないVIPが興味を持つのは無理もない。
馴れ馴れしく肩に手を掛けようとするのを、今朝の満員電車の要領で止めようとはした。
何かの弾みで手が滑ったふりをして弾いたのを、紫衣里も気づいていたらしい。
「……ありがとう、ずっと」
「いや……そんなこと別に」
ちょっと、思わぬ無理が出ていた。
……指が。
ゆうべ、アパートのベランダから落ちそうになって、その柵を掴んだときに痛めた左手の指だ。
痛くはない。
いつもと何か違うくらいのことだ。
たぶん。ゲームに打ち込んでいない人には何とも感じられないだろう。
さて、そのVIPから僕も申し訳のように誘われたのは、張り出しの上で行われた立食ガーデンパーティーだった。
嫌な予感はしたが、それを上回る大惨事が待っていた。
紫衣里を誘ったほうは、昼食を終えた華奢な美少女とお茶でも楽しもうと思っていたのだろう。
だが、共に耐えた極貧生活が長かったせいで、この僕でさえ紫衣里の食欲が底なしだったのを忘れていたのだ。
結果は、推して知るべし。
紫衣里は食欲のままに、食べたいものをお行儀よく食べまくり、もともと少ないVIP向け食材は、あっという間に底をついてしまったのだった。
佐藤はその後始末に走り回り、VIPに裏方用の弁当を差し出して、平謝りに謝ったのだった。
指への不安に加えて、さっきまで強気に出ていた僕も、これでは頭が上がらない。
「あの……帰りの交通費はいりませんので」
佐藤は力なく答えた。
「ああ……それは、経費で落ちますから」
疲れ切っているのには事情がある。
もとはといえば勝手に集まってきたフィービーとフォロワーたちが、昼飯を食わせろと騒ぎ出したのだ。
笑顔を崩すことなくキレ気味の英語で反論していた佐藤は、本当に釣り竿とライフジャケットを突き出したのだった。
売り言葉に買い言葉で海釣りを始めたフィービーたちは、張り出しでバーベキューをさせろと言い出した。
これ以上のもめごとを避けたかったのか、佐藤はこの要求に屈した。
もちろん、釣れた魚の一部が紫衣里の腹の中に納まったことは言うまでもない。
もっとも、イベントが再開されてしまえば、そこは佐藤の独擅場だ。
「大変お待たせいたしました。では、アルファレイドが新たにリリースいたします〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のエキシビジョンマッチを行います! まずは……先日行われました〈ワールド・タイトルマッチ〉のチャンピオン、長谷尾英輔!」
あのクレーンが僕の前に降りてくれば、乗らないわけにはいかない。
アームの先にある筐体に向かうと、それを乗せたクレーンは客席に向かって大きく伸びる。
僕を乗せた対戦者席が観客の上を飛び回るのを、紫衣里は楽しそうに見守っていた。
やがて、クレーンは巨大なスクリーンを正面から眺められる位置で止まった。
目の前には、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉の100人のキャラクターが顔を並べる。
『古事記』のヤマトタケル、『ファウスト』のメフィストフェレス、『三侠五義』の艾虎……。
どれも興味深かった。
きっと、僕の心を熱くしてくれるだろう。
だが、これがゲームであっても、遊びではない。
僕と、紫衣里と、たくさんの『板野さん』の人生や思いが掛かっている。
アルファレイドとの契約のために、僕は予定された「ジークフリート」を選んだ。
雲の低く垂れこめた戦場に、輝く鎧をに身を固めた逞しいゲルマンの英雄が、魔剣バルムンクを手に現れる。
「百万の軍勢なりとも、我、恐るることなし!」
その背後では、倒した竜が高らかに咆哮する。
今後は、対するキャラクターを選ぶカーソルが、凄まじい速さでスクリーン上を走った。
……AIじゃないはずだけど。
対戦者席のシートには、カバーが掛かっている。
後から来るのかもしれないと思い直して、スクリーンを見つめる。
雪景色の山の中に現れたのは、真っ白な狐だった。
それが高々と跳ねて、空中をとんぼ返りを切る。
再び降り立ったのは、ちょっとおどけた美形の侍だった。
『義経千本桜』に登場する、狐忠信だ。
吉野山で、源義経(これも〈リタレスティック・バウト〉のキャラクターだ)は逃避行に連れていけない静御前を置いていく。
その際、形見に渡した「初音の鼓」は、この狐の両親の皮を張ったものだった。
それが恋しさに、狐は義経の配下である佐藤四郎忠信に化けて、静御前を守るのだが……。
第1ラウンド。
ゲームの狐忠信は、双刀を使う。
「狐火連斬!」
二刀を交差させて、凄まじい速さで斬りかかってくる。
「竜の刃!」
横薙ぎの剣で迎え撃つ。
相討ちのダメージ相殺で間合いを離せば、弓で中距離牽制用の矢が連続で放たれる。
「射御正鵠!」
剣を縦横に振るって弾き返す。
「目にも止まらぬ!」
今度は僕のターンだ。
「船には衝角!」
ショルダーアタックの連続で、狐忠信を画面の端へ追い込む。
とどめだ。
「竜への一閃!」
倒れた忠信の背後に狐の幻影が現れ、静かに消えていく。
最後に桜の花びらが舞い散り、画面が暗転した。
会場はどよめきに包まれる。
見下ろすと、紫衣里が顔を上げて僕を見つめていた。
そこへ、フィービーが興奮の叫びを上げた。
「Cool! I Love You,Haseo!」
思いっきり投げキッスをされた僕は、紫衣里の怒りのまなざしと、フィービーのフォロワーのブーイングをまとめて浴びることになった。
第2ラウンドでは、いきなり変則技が来た。
「幻影分身!」
ジークフリートの背後に、もうひとりの忠信が現れる。
これは、ゲームキャラクターとしての四郎忠信だ。
……まずい。
ジークフリートは重戦士型のキャラクターだ。
スピードには恵まれないが、攻撃の威力があって防御が堅い。
だが、その分、背後からの攻撃には弱いのだ。
……ここは防御技の、「不死身の加護」か。
……いや、カウンター技の「不死身の防御」か。
「竜の旋回!」
バルムンクの回転が背後の四郎忠信を消滅させ、正面の狐忠信にも刃の連撃を見舞う。
だが、それも軽く弾かれた。
「狐面守護!」
忠信が狐の面をかぶると、高速回転で斬りつけられるバルムンクも歯が……もとい、刃が立たない。
そこで、背景が吉野の山の雪景色に変わった。
来る……必殺技が!
狐の面をつけたまま、忠信がするすると歌舞伎の宙乗りのようにスクリーンのてっぺんへと登る。
取り出したのは、鼓だ。
……まさか、「初音の鼓」なんて!
甲高い声と共に忠信が鼓を打つと、得も言われぬ音が吹雪を巻き起こす。
その中から現れたのは、無数の狐たちだった。
狐忠信の眷属たちが襲い来るのに、ジークフリートは立ち尽くしたまま、為す術もない。
体力ゲージがどんどん削られていく。
だが、僕は防御技ではなく、カウンター技を選んだ。
「不死身の防御!」
狐たちの攻撃は、目くらましでしかない。
たぶん、忠信自身がとどめを刺してくる。
ジークフリートの唯一の弱点に。
「そこだ!」
振り向きざまに、バルムンクを見舞う。
背後へ降り立った狐忠信の刀がはじけ飛んだ。
だが、その反撃は、正面に隙を作ることになる。
……こいつは、双刀使いだった!
スクリーンのてっぺんから、真っ逆さまに刀が降ってくる。
無防備の背中を貫かれたジークフリートが絶命すると、狐忠信は二刀を収める。
狐火が舞う中で面を外すと、一瞬だけ尾を揺らして、すぐに消えた。
感嘆とも、失望ともつかないため息が会場中から漏れる。
紫衣里のリアクションは、握り拳ひとつの「ガンバ!」だった。
第3ラウンドでは、僕が先制攻撃に出た。
「竜への一閃!」
巨大な竜の幻影が現れる。
バルムンクで放つ一撃必殺の斬撃に、狐忠信が血飛沫を上げる。
……やはり、ガードは脆い!
「竜の血」ゲージを見れば、満タンだ。
今なら、行けるかもしれない。
「竜殺しの英雄が。
方向レバーを逆に入れて、下から前に!
それをもう一度、と思ったときだった。
……やっちまったか。
親指が悲鳴を上げている。
手が止まったところで、狐忠信に反撃の機会を与えてしまった。
「千本桜幻舞!」
吉野の山に、満開の桜が咲き誇る。
さっきとは真逆の背景に、比べ物にならないほどの狐の幻影が現れる。
狐火が飛び交う中、狐忠信の双刀が、ジークフリートに嵐のような連撃を加えてきた。
体力ゲージが下がっていく中、僕は戦法を変える。
ここでこそ、防御だ。
「不死身の加護!」
金色の光がジークフリートを覆う。
背中を除いては。
狐忠信は、そこを狙って跳躍してくる。
向き直って、位置入れ替えの投げ技を使う。
「バルムンク地獄投げ!」
元の位置に投げ戻されて転がるところへ、衝撃波を放つ。
「大地も砕けよ!」
横たわったままの狐忠信が、弓ぞりになって跳ね上がる。
その体力ゲージが激減する。
だが、残りを見ればこちらが不利だ。
狐忠信は、空中でくるりと一回転すると、体勢を立て直す。
……逃がすか!
ジークフリートがバルムンクを天に掲げる。
「竜よ吼えよ!」
背景に現れた竜の咆哮が、会場全体を震撼させる。
狐忠信が一瞬、硬直した。
……相討ち覚悟だ。
「竜の抱擁!」
ジークフリートが狐忠信を両腕で抱え上げたかと思うと、地面へ叩きつける。
背景の竜が共に倒れ伏したところで、体力ゲージの残りは逆転した。
それでも、狐忠信は立ち上がって、最後の反撃を加えようと跳躍する。。
……ダメ押し!
「血の誓約!」
空中で引っ掴まれた狐忠信が、ジークフリートの身体ごと、バルムンクで貫かれる。
双方の体力ゲージが、一気に低下する。
だが、勝算はあった。
スクリーン上に、大きく浮かぶ文字がある。
「TIME UP!」
イリヤ・ムーロメツのときは偶然だったが、今後は読み通りだった。
頑丈なジークフリートのほうが、体力の減りも遅いと踏んだのだ。
会場の反応は、賛否両論だった。
「……え、終わり?」
「なんか地味じゃね?」
「狐忠信の方が派手だったよな」
「ジークフリート、固すぎだろ……」
「でも勝ちは勝ちか……?」
ぱらぱらという拍手の中、フィービーだけが陽気だった。
「Haseo!! That was AMAZING!!」
またしてもフォロワーたちが同調して騒ぎだす。
だが、紫衣里だけは違った。
「英輔!」
いままで聞いたこともなかったような、鋭い叫び声を上げて立ち上がる。
まずいと思って、なだめにかかった。
「まだ、対戦中だから……ね」
そこで、佐藤のコールが響きわたった。
「では、続いて、次の新キャラクターをご紹介しましょう。さて、ジークフリートといえば『ニーベルンゲンの歌』前半の主人公です。では、後半は……」
スクリーンに映し出されたのは、大剣を手にゲルマンの大軍を率いて馬を駆る、戦乙女だった。
その長い銀髪と、冷たい横顔がクローズアップされる。
確か、その名は……。
佐藤が高らかに告げる。
「そう、その妻、王妃クリームヒルトです!」
馬からひらりと舞い降りたのは、白と赤を基調としたドレスをまとった美女だった。
右肩には銀の肩当てが輝き、左腕には重厚なガントレット。
その手に握られた大剣をかざして宣言する。
「……退かぬ。この復讐を遂げるまでは」
画面上の気力ゲージに、「復讐」の二文字が浮かぶ。




