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プリンスの帰還

 僕もため息をついた。

「何しに来たんだっけ、ここに」

 紫衣里は一言で答えた。

「ゲーム」

 それなのに、こんな大騒ぎになるだろうか。

 自分で自分を納得させるしかない。

「仕方ないね、場所が場所だけに」

 ここは名古屋港から伊勢湾にちょっと出たところにある、世界的なコングロマリット「アルファレイド」が建造している軌道エレベーターの基盤部分だ。

 紫衣里も、改めて呆れかえった。

「よく持ち込んだね、こんなものを」

 いつ持ち込まれたのかは知らない。

 昨日まではずっとテレビの天気予報を見ていたから、そんなことがあればニュースになっているのを一度くらいは見ているはずだ。

 それでも、こう考えて納得するしかない。

「そこは、アルファレイドのことだから」

 世界の片隅でこっそり作って、東海地方に吹きすさぶ嵐の中、こんなところまでひっそりと持ってくるぐらい、何でもないだろう。

 今度は、紫衣里が納得しなかった。

「……にしては、ヘマが大きすぎない?」

 違和感は、そこにあった。

 暗闇の中、足元の赤い灯の他に僕たちを照らすものといえば、紫衣里の胸元で光る銀のスプーンしかない。

 あの嵐の夜、アパートの部屋にぼんやりと照らし出された、裸で横たわる紫衣里の姿を思い出して目をそらす。

 しばしの沈黙の後、僕が何を考えていたのか察しがついたのか、「バカ」の一言だけが聞こえた。

 必死で、その場を取り繕う。

「どんなふうに見張られてたんだ?」

 その音で人間の脳に働きかけ、超人的な力を与える銀のスプーン。

 権力者に目を付けられないよう、これを守ってきたのが紫衣里の一族だ。

 これを首に下げた女の子を鬼の目をした老人が連れ歩き、ふさわしい男に託して子をなし、それが女の子であればスプーンの守護者の役目を与える。

 女の子にとっては過酷すぎる宿命だが、紫衣里はそれを背負ってきた。

 それを考えると、ひんやりとした闇の中でも怒りで身体が熱くなる。

 紫衣里の声が、硬くなった。

「尾行に盗撮、盗聴……気が抜けなかった。誰の手先か分からないから、友達も作れなかった」

 そこまで警戒していても、アルファレイドの監視からは逃れられなかったのだ。

 佐藤の、どこか人を見下したような営業スマイルを思い出す。

 あの目が紫衣里を見ていたのかと思うと、今から階段を駆け上がって地上……いや、海上への扉をこじ開け、張り出しに飛び上がって佐藤を張り倒してやりたくなった。

 もっとも、僕はそんなスサノオノミコトやヘラクレスのような真似ができるような体育会系ではない。

 問題は、あの佐藤にしては……というところにある。

「思いっきり目立っちゃったからな……」

 軌道エレベーターに銀のスプーンと同じ組成の金属を仕込んで人類の潜在能力を引き出し、その効果の支配権を商品として高値で売りつける。

 荒唐無稽ともいうべき大陰謀だ。

 聞いても信じる者はあるまいと佐藤は大口を叩いたが、隠密裏に進めてきたからこそ、〈リタレスティック・バウト〉を餌に僕をおびき寄せられたのだ。

 紫衣里も残念そうに首を横に振る。

「あとちょっとなのに……」

「自分のことだろ」

 あ、と狙われている張本人は、上目遣いに肩をすくめてみせた。


 その間にも、スマホの中では警察と海保のヘリコプターがローター音を轟きわたらせていた。

 フィービーとフォロワーたちは一歩も引かず、佐藤や警備員たちと押し問答を続ける。

 だが、それは突如として止んだ。

 引き返していくヘリコプターのテールローターを映しているのは、フィービーのスマホだ。

 突然のことに、つい、その画面に尋ねてしまった。

「……何で?」

 それに答えるように、佐藤のアップが現れた。

 ちょっと、アンタ! と罵るフィービーにも構わず、自分のスマホを突き出す。

「原因はコレです」

 衛星放送の臨時ニュースらしい。

 配信元の見当をつけて、手元のスマホで検索してみると、トップ画面にすぐ動画が現れた。

 あまり見ない顔のアナウンサーが、佐藤みたいにバカ丁寧な頭の下げ方をすると、早口でニュースを読み上げた。


「続いて、速報です。本日午後、国際企業アルファレイドが進めております“軌道エレベーター計画”に、大きな動きがありました。

英国スウィンナートン財閥の当主、エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世氏が、この計画の全権利を買い取ったということです」


 長い名前にはアナウンサー自身も舌を噛みそうになったが、何とか持ち直した。

 ちょっと僕も引っかかるものがあって、名前をつぶやいてみる。

「エセルバート……?」

 どこかで聞いたような名前だった。

 なんどか繰り返していると、もっと簡単な名前を紫衣里が囁いた。

「プリンス」

 それで思い出した。

 瞬殺のプリンス。

 〈リタレスティック・バウト〉の「レイアーティーズ」使いだ。

 ワールドタイトルマッチの決勝戦で対戦した最強の相手だ。

 僕の操る「シラノ・ド・ベルジュラック」の前から一瞬で消えたかと思うと、背後から致命傷を負わせた。

 最終ラウンドでも、絶体絶命のピンチに追い込まれた。

 身動きできないところで、双剣を手に目の前まで迫られた恐怖は、忘れられない。

 その記憶と、このニュースが、どうしても頭の中で結びつかない。

「そのプリンスが……何だって?」

 紫衣里は、無言でスマホの画面を指さした。

 車椅子に乗った少年が、貫禄のある老人と握手を交わしている。

 確かに、あのプリンスだった。

 ニュースは続く。


「アルファレイド側は買収を認めており、『今回の判断はトップレベルで決定されたもので、現場では詳細を把握していない』とコメントしています。また、イベント運営を含む関連権利はすべてスウィンナートン氏に移譲されましたが、軌道エレベーターの開発業務そのものは、引き続きアルファレイドが受託する契約となっているということです」


 そんなに難しいことは言っていないはずなのだが、プリンスの本名が気になったところでニュースを聞き飛ばしているので、頭がついてこない。

 仕方ないなという顔で、紫衣里が要約してくれた。

「プリンスがアルファレイドのトップと掛け合って、今日のイベントも込みで、この軌道エレベーターのオーナーを買い取っちゃったの」

 金持ちだろうとは何となく思っていたが、ここまでとは。

「全世界の1%ってやつか……」

 車椅子に乗った、腕の痩せ細った美少年の姿が脳裏に浮かぶ。

 天は二物を与えずというが、財力と引き換えに健康と身体の自由を奪ったというわけだ。

 それにも屈せず、唯一の自由が許された手で操れるゲームで瞬殺の技を身に付けたのは、天に対するささやかな反抗といったところだろう。

 プリンスのプライドを考えて、〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉のステージでは聞かなかったが、その身体についてはニュースが教えてくれた。


「関係者によりますと、同氏は幼少期より、「Syndroma Lichtenwald–Deshpande Necroatrophicum Periphericum(リヒテンヴァルト=デーシュパンデ末梢枯死性萎縮症候群)」と呼ばれる希少疾患を持っているということです。

この病気は、ヨーロッパのリヒテンヴァルト博士と、インドのデーシュパンデ博士によって報告されたもので、手足の筋肉と皮下組織が急速に萎縮し、“枯れ木のように見える”のが特徴とされています。スウィンナートン氏は現在も車椅子での生活を余儀なくされており、補助装置を用いて日常動作を行っているということです」


 つい、スマホに向かってついツッコんでしまった。

「どこが日常動作だ!」

 その補助装置というのがあの、ヘッドレストが16オンスグローブつきマジックハンドだ。

「英輔、抑えて」

 なだめに入る紫衣里に、僕は震える声で訴える。

「応えたんだぞ、あれでミゾオチ殴られたときは! 透過光を吐くんじゃないかと思うくらい!」

 それが日常だとプリンスが言い張るのなら、生活習慣を見直したほうがいいとさえ思った。

 もっとも、続くニュースを聞くと、そうも言えない。


「今回の買収劇について、専門家の間では、『病状の進行に伴う焦りが、今回の大胆な決断につながった可能性もある』との見方も出ています。こうした背景から、スウィンナートン家は代々、医療・福祉技術の研究開発に深く関与してきたことが注目されています。

スウィンナートン家は19世紀後半から、筋萎縮症や神経変性疾患の研究に多額の資金を投じてきました。

特に、

・義肢の自動制御技術

・車椅子の電動化

・末梢循環を補助する医療デバイス

・高齢者向けの生活支援ロボット

といった分野では、世界的な研究機関のスポンサーとして知られています」


 肩の力が、どっと抜けた。

「本当の大金持ちだな」

 進学費用や、紫衣里との生活費に頭を悩ます一介の高校生とは比べ物にならない。

 だが、僕が共に生きると決めた美少女は、しなやかな腕を僕の背中に回すと、その柔らかい胸を押し付けてきた。

 囁き声が、頬を撫でる。

「でも、うれしかった……こうやって、戦うって決めてくれたこと」

 紫衣里と暮らすだけなら、銀のスプーンを鳴らさずに、1ヵ月だけ逃げ切ればよかったのだ。

 それを許さなかったものが、いくつもある。

 星野さんと、日本中の「星野さん」の修学旅行費。

 アルファレイドの荒唐無稽な人類依存化計画。

 そして、何よりも……。

「単なる、僕の意地だよ」

「いいの!」

 紫衣里が、僕を抱きしめる。

 その背中に回した手の中の、スマホが邪魔だった。

 ニュースは続く。


「また、エセルバート氏自身も、自らの病状に合わせて開発された“多関節マジックハンド”や“自動姿勢補助システム”を使用しており、これらの技術は後に一般向け福祉機器として普及させるということです」


 悪気はないのだろうが、余計な情報だった。

 あのバカバカしいギミックの記憶が頭の端っこをかすめる。


 ……はいそうですか!

 ……どうぞあの16オンスグローブで介護士や家族の皆さんをガンガンしばかせてやってください!


 そこで天罰が下ったのは、そんな不謹慎なことを考えたせいだろうか。

 冷やかしの口笛が、階段中にこだました。

 慌てて僕から飛びすさった紫衣里が、顔を両手で隠して壁に寄りかかる。

 見れば、再び地上……海上から差し込む光の中から、遠目にもそれとわかるグラマーな影がこちらを覗き込んでいる。

 言わずと知れた、フィービーだ。

 何やら言っているのを、一段一段と慎重に下りてくる佐藤が翻訳する。

「お楽しみのところ悪いんだけど、狭いからそこ開けてくれない? ……だそうです」


 ひとり放り出された僕の手の中で、邪魔っけにしていたスマホが、ニュースを締めくくる。


「今回の軌道エレベーター権利買収について、専門家の間では、『スウィンナートン家が長年取り組んできた医療・福祉技術を、宇宙開発分野に応用する狙いがあるのではないか』との見方も出ています。以上、スウィンナートン家の背景を含めてお伝えしました」


 気が付くと、僕と紫衣里の間に佐藤が割り込んで立っていた。

 聞き入っていたスマホのニュースが終わったところで、例の営業スマイルを見せる。

「トップの判断ですので、私のあずかり知るところではありません。イベントごと買い取られましたが……」

 一瞬だけの苦笑には、どこか自嘲の響きがあった。

 いい気味だと思いながら、その目の前をすり抜けて、壁際でこちらをうかがっていた紫衣里に寄り添う。

 振り向きながら、ちょっと茶化してやった。

「その割には、なかったことになってよかったんじゃないですか? この……」

 見上げた先には、フィービーがスマホを掲げて何やら罵っていた。

 今度は、紫衣里が翻訳する。

「入れてくれるの? くれないの? ……って」

 プリンスがオーナーなら、結論はひとつだろう。

 ほとんどやけになったという感じの陽気な声を階段中に響かせて、佐藤は頭上の眩しい光に向かって呼びかけた、

「会場、一般開放しまーす!」

 歓声を上げて駆け下りてきたのは、フィービーだけではなかった。

 スマホや高価そうなデジカメその他ガジェットをチンドン屋のごとく装着したフォロワーたちが、後に続く。

 佐藤にとっては予定外だったであろう観客たちに押されるようにして、僕たちはお披露目会場と思しき場所にたどりついた。

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