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オフの日のリアルバトル

もっとも、朝から雨が降るなんて聞いていなかった。

 窓ガラスを叩く音で目が覚めたのだ。

 くるまっているタオルケットから跳ね起きると、思いのほか、雨は強かった。

「こんなに……?」

 布団からすっぽりと抜け出した紫衣里がそばに寄り添った。

「いいじゃない、もう少し寝てても」

 確かに英気を養っておきたかったが、ここまでだと分かっていたら、もっと早く起きていただろう。

「だって洗濯物もたまってるし」

 それに、食料品くらいは補充しておきたかった。

 紫衣里が食べる量は、相変わらず半端ではない。

 シフトも僕ひとりになったから、バイト料も増えて、なんとか食費は確保できている。

 その心配の張本人は、気楽なことを言う。

「傘差して……」

 紫衣里ひとりを置いていくことはできない。

 ここは、独り暮らしが前提のアパートなのだ。

 何のはずみで、人が来ないとも限らない。

 紫衣里と一緒に外出するなら、降らないうちにしたかった。

 僕だって、ぼやきたくもなる。

「降ってもせいぜい10時くらいからだって」

 明日は正念場だと思うと、ものすごく損をした様な気がする

 今起きたところですることがないのだ。

 紫衣里は、もともとは僕が使っていた布団にもぐりこむ。

「だから寝てようって」

 そういうライフスタイルがこの先ずっとつづくんだろうなと思っていると、アパートのスチール戸をノックする音が聞こえた。

 えーと、戸惑う声がする。

 たぶん僕に声をかけたいのだろうが、表札は出していない。

 個人情報の自己管理がシビアなイマドキは当然のことだ。

 ドアの覗き窓に目を近づけると、知らない男の姿がレンズの縁に沿って歪んで見える。

 今まで、人が訪ねてきたことはない。

 受信料は銀行振り込みだし、通販も利用したことがない。

 ふと、呼びもしないのに突然現れる佐藤のことが頭に浮かんだ。


 ……アルファレイド?


 いや、用があるなら本人が来るだろう。

 梅仁丹とはいかないが、女の子の胸元のスプーンから軌道エレベーターまで、これだけの秘密を抱えたプロジェクトだ。

 何ひとつ、人任せにはしないだろう。

 返事をためらう僕の耳元で、紫衣里が囁いた。

「ああいうタイプの人たちじゃないから」

 佐藤もいろいろとややこしい男だが、その一言でまとめられてしまった。

「……ああいうタイプ、ね」

 ドアを叩いた男はしびれを切らしたのか、いらだたしげな声を立てた。 

「いらっしゃいます?」

 心配したのは、この人への失礼ではない。

 

 ……聞こえたか?


 紫衣里がいることを知られてはならない。

「はい!」

 僕は教室で発問されたときよりも、ハキハキと返事してみせた。

 ぶっきらぼうな声が答えた。

「大家さんから」

 入居してからこっち、顔も見たことがない。

 わざわざ、何を言ってきたのだろう。


 ……紫衣里がいるのがバレた?


 その心配はなかった。

「強い雨で雨樋が詰まってますからって……今も凄い状態ですよ」

「掃除します!」

 即答した。

 帰ってくれ、とは思ったが、そのニュアンスはない。

 だが、アパートの住人には、内心までが伝わっていたらしい。

「そういえば……若い女の子の声が」

「気のせいです!」

 必死で打ち消せば打ち消すほど、疑いも深まるものだ。

 足元に雨水があふれているはずなのに、この住人は粘着してくる。 

「そういえば大家さんも」

「従妹が……従妹が泊まりに来ていました」

 とっさの言い訳だった。

 さすがに、これは陳腐だ。

 安物のラブコメかよ!

 自分で自分に突っ込んでいると、雨水を跳ね上げる音がした。

「脚立置いていきます」

 ほっとしたところで、紫衣里が身体を寄せてきた。

 僕のTシャツを着て寝るときは、下着をつけていない。

 その柔らかい感触が、もろに来た。

 いろんな意味で、他人に見られないでよかった。

 ……と思っていると、紫衣里にからかわれた。

「従妹って、結婚できるんだよね? お兄ちゃん?」

 そういえば、シラノの恋するロクサアヌも、従妹だったか。


 そこで、どこかで聞いたメロディーが、くぐもった音で聞こえた。

 放り出したタオルケットの下のスマホを取り出してみると、親からの電話だった。

 めったにないことなので、着信音も忘れていたのだ。

 いつかはこっちから電話しなければならないとは思っていた。

 だが、それは紫衣里のことを切り出すときだ。

 まだ早い。

 ここは、黙ってしのぎ切るしかない。

 紫衣里がととっと走ってきて、足元に座り込んだ。

「誰……?」

 黙ってろ、と手で示して、電話に出る。

 親父の開口一番が、これだった。

「なんかお前、ネットに顔晒されてるらしいじゃないか」

 そう言われると大変なことに聞こえるが、何のことはない。

 タイトルマッチで出会った、フィービー・マイケルスの仕業だ。

 確かに、ツーショットを勝手に撮られはしたが、渋々ながら事後承諾はしている。

 ありがたいのは、うちの両親はスマホに変えてもネットは絶対に見ないことだ。

 

 ……シラを切るか?


 だが、バレるのは時間の問題だった。

 そもそも、僕が下宿してまでこっちの学校に通っているのは、e-スポーツのプロゲーマーになるためだ。

 親も、そこまでは知っている。

 納得はしていないが、あとのことは自分で何とかするという条件で、高校の授業料までは出してくれている。

 堂々としていればいい。

「晒されてるんじゃなくて」

 これは営業活動だ、と言おうと思ったが、そこでちょっと迷った。

 プロゲーマーになりたいわけではない。

 なっても、しばらく引退できないというだけのことだ。

 アルファレイドと契約を結べば、紫衣里のスプーンを利用させないことはできる。

 そのために、籠の鳥になるのは皮肉な話だ。

 いずれにせよ、これは説明が難しそうだった。

 この隙に、親が踏み込んでくる。

「お前もういい加減にしろ」

 さすがに、イラッと来た。


 ……人の話はちゃんと聞け!


 もっとも、話して分かる相手ではない。

 そう思うと、説明するのも面倒くさくなった。

「親の世話にはならない」

 もともと、そういう話になってはいる。

 だが、ここで言うことではない。

 最悪のカードを切ってしまった、と焦ったが、ここはe-スポーツの悪手と同じだ。

 考えることはただ一つ。

 プリンスに追い詰められたときと同じくらい、僕は頭を高速回転させた。


 ……さて、どうリカバリーするか?


 契約のことだけを話すしかない。

 だが、親父のほうが一手早かった。

「金もないくせに何言ってんだ」

 2ヒット目のコンボで、痛いところを突かれた。

 確かに、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のデモンストレーションで勝ったわけではない。

 保証されているのは、専門学校の学費だけだ。

 だが、ここで引くわけにはいかない。


 ……ハッタリしかない。


 それは、e-スポーツにはない手だった。

「そのあてはある」

 何か言われる前に、頭の中で話を整理する。

 まず、すでにタイトルマッチには勝った。

 賞金3000万円の代わりに、進学費用だけは確保した。

 親の世話にならなければならないのは、卒業する高校の授業料だけだ。

 だが、そこまで説明する必要は、次の一言でなくなった。

「危ないからやめとけ」

 木登りを止めようとでもするかのような口調だった。

 それは、田舎の小さな企業で堅実に努めてきた父親としては、当然の判断だったろう。

 分かってはいても、子ども扱いに怒りが抑えられなかった。


 ……聞けよ、息子の話を!


 多分、僕が何をしようとしているか、親は一生、知らないままだろう。

 それでも構わない。

 勝ってみせればいいのだ。

 だから、一言しか答えることはなかった。

「今に分かる」

 口にしてから考えた。


 ……今っていつだ?

 

 とりあえず、夏休みが終わったらということで、自分を納得させる。

 話をそばで聞いていたらしいお袋が、そんなことばかり、というのが聞こえた。

 どうやらスマホを親父から奪い取ろうとしているらしかったが、電話は向こうから切られてしまった。

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