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怪力の殉教者

 こういうやり取りだけしていると、佐藤一郎もヒマ人に見えるが、そこは巨大コングロマリット「アルファレイド」の末端社員だ。

 〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のお披露目を控えて、あちこち走り回らなければならない。

 そんなわけで、いっぺん来たら、しばらく顔を見せることはないだろう。

 お披露目のデモンストレーションに勝てば勝ったで、スポンサー契約が結ばれるわけだから、嫌でも顔を合わせることになるだろうが。

 そこのところが、なんだかしっくりこない。

 紫衣里との生活のために、アルファレイドの籠の鳥になるわけだから。

 しかも、不謹慎な言い方をすれば、つがいで……。

 そんなことを考えるようになった。

 バイト先で時間をもらっては筐体に向かう日々のせいだ。

 いまだに、ジークフリートの「竜殺しの英雄(ドラッヘントーテル)」はマスターできない。

 当日を翌々日に控える頃には、いい加減、気分も沈んできた。

 これはいけない。

 勝てるメンタルで臨まないと、散々な結果に終わる。

 スポンサー契約がどうこうというのではない。

 満座の中で恥をかいたうえに、修学旅行の資金をあてにしている高校生を失望させるのが嫌なだけだ。

 もちろん、その中には、入院してから連絡のつかない板野さんもいる。

 チャットの画面は、〈ワールド・タイトルマッチ〉が終わってすぐ送った僕のメッセージで止まっている。


 ……勝ったよ!


 返事がないのを確かめてから向かうバイト先への道は、曇り空の下だった。

 朝のひんやりとした空気は、いささか湿っぽくなっていた。

 僕に寄り添って歩く紫衣里がつぶやいた。

 「秋が近いね」

 もうすぐ、夏が終わる。

 それは、紫衣里との生活の新たな局面を意味する。

 とにかく、勝たなければ!

 望む望まないに関わらず。

 たとえ籠の鳥になろうと、負けるわけにはいかない。

 そう心を決めて「フェニックスゲート」に足を踏み入れると、店長がいそいそと駆け寄ってきた。

「実はね、言いにくいんだけど、英輔君……」

 開店前なのにひそひそと囁いた一言に、ぼくはつい大声を出した。

「バイトをやめた……板野さんが?」

 詰め寄るところに二歩も三歩も引いてたじろぐ店長との間に、普段は知らん顔をしている紫衣里が割って入る。

 そのくらい、僕は逆上していた。

 めっ、という顔をする黒髪の美少女の後ろで、店長は丸めた背中を弾ませながらようやく顔をのぞかせて答えた。

「まあ、修学旅行はキャンセルしないで済んだことだし……」

 確かに、バイトの目的は達したわけだから、いつまでもここにいる理由はない。

 それならそれで、チャットの返事くらいくれてもよさそうなものだ。

 なんだかしっくりこないものを感じながら、僕は店内の掃除を始める。

 紫衣里はというと、その手元を見つめるだけで何もしない。

 一緒に暮らすようになってから、ずっとこうだ。

 たぶん、これからもそうだろう。

 アルファレイドの下でゲーマーをやって、いつか子供もできて……。

 そんなことを考えているうちに、店が開く。

 ここでデモンストレーションをするのは、夏休み最後のイベントになりつつあった。

 紫衣里は、僕を取り巻く客の群れの向こうから、見守っていてくれている

 それも、明後日で終わるのだった。


 今日の対戦相手は、旧約聖書の英雄「怪力サムソン」だ。

 ユダヤの神に祝福された無敵の勇者で、獅子も千人の軍勢も敵わない。

 だが、その秘力の宿る髪の房を、美女デリラの誘惑に乗って切り取られてしまう。

 目もつぶされて異民族に囚われていたが、その祝祭のために異教の神殿に引き出される。

 それまでの間に、ユダヤの神の祝福を受けた髪は伸びてくる。

 再び力を取り戻したサムソンは、柱を破壊して神殿を崩落させ、命と引き換えに異民族を道連れにする。

 ゲームの中で再現されているのは、まず、その髪だ。

聖別の髪セアール・メクダッシュ!」

 長い髪の房が揺れると、金色の粒子が舞い上がる。

 その熱気に、辺りに見えるものは全て歪む。

 低い声のコーラスが響き渡ると、足元に古代文字の魔法陣が浮かび上がる。

 やがて、鐘が高らかに鳴った。

 先の膨らんだ棍棒を手に、光る髪の残像を引いて突進してくる巨体は、速い。

 ここは、反撃技だ。

不死身のウンシュテルブリッヒェ・防御フェアタイディグング!」

 金色の光と共に棍棒の一撃を受け止めたバルムンクが、反撃斬りを放つ。

 ダメージがそれほど大きくないのは、サムソンの必殺技の特徴だろう。

 だが、そういう技は反動が大きい。

 気力ゲージ「祝福」が一気に下がる。

 今だ!

 「目にも止まらぬ(シュネラー・ヒーブ)」、「竜の刃(ドラッヘンクリンゲ)」、「魔剣の一撃バルムンク・シュラーク」をコンボで放つ。

 牽制から中段の水平斬り、大振りの一撃を食らわしたところで、「竜殺しの一閃ドラッヘン・シュラーク」を見舞う。

 背景に現れた竜の咆哮と共に、閃光を放つ4連コンボが決まった。

 第1ラウンドに勝ったところで、ふと雑念が浮かぶ。


 ……そうだ、不思議なことじゃない。


 板野さんの修学旅行がキャンセルされなかった理由を考えているときではない。

 明らかに、僕は集中力を欠いていた。

 第2ラウンドで先制攻撃を食らったのは、その報いだ。

 サムソンの手の中に現れたロバの顎骨が巨大化する。

 そこに刻まれた紋様が光った。

千人撃ち(マケー・エレフ)!」

 これもまた、サムソンの伝説だ。

 ロバの顎骨だけで千人を殴り殺している。

 振り回すたびに、風を切る鋭い音と共に、骨がぶつかるような硬い音が連なる。

 白い残像が円を描くと、重い爆発音を立てて、地面を割った衝撃波が砂埃を舞い上がらせる。

 どう逃げても、4回、5回の連続ヒットが来る。

 その度に、倒れた兵士の幻影が何度となく浮かび上がった。

 もっとも、そこは「不死身の(ゼーゲン・デア・)加護ウンシュテルブリヒカイト」でしのぐ。

 体力低下は避けられたが、「竜の血」ゲージは減っていく。

 それでも、僕の心は板野さんへと飛んでいた。


 ……勝ったんだから、修学旅行費は出たはずだ。


 そこで約束を反故にするような佐藤ではない。

 アルバイトを続ける理由はなくなる。

 だが、それは後で考えるべきことだった。

 ロバの顎骨を投げ捨てたサムソンが、ジークフリートに掴みかかる。

 背景がモノクロームの荒野に変わり、咆哮する獅子の幻影が浮かび上がる。

 心臓の鼓動が低く響いたかと思うと、骨の軋む音が聞こえてくる。

獅子裂き(トレーフ・アリイェー)!」

 やがて、重い爆発音と共に荒野は左右に引き裂かれる。

 画面が白くフラッシュして衝撃波が広がり、ジークフリートの身体は粉々に吹き飛ばされた。

 だが、この負けは悔しくない。

 問題は、板野さんがいつ退院できるかだ。

 修学旅行は10月だと聞いている。

 交通事故だったというが、どのくらいの怪我だったかは分からない。

 重いケガだったら、せっかくの修学旅行が再び幻に終わる。

 入院先もわからないので、見舞いようもない。

 悶々と考えていると、紫衣里が僕の傍らに立っていた。

「だいたい分かる……何考えてるか。でも」

 その通りだ。

 板野さんの戦いは終わった。

 今は、僕の戦いに集中しなければならない。

 第3ラウンドが始まった。


 ……今度こそ、「竜殺しの英雄(ドラッヘントーテル)」だ。


 画面を見つめて、サムソンの次の攻撃を読む。

 牽制の棍棒を見切って、バルムンクで弾き返す。

「バルムンク連撃ライゲン!」

 高速の刃が何度となく巨体を切り刻み、最後の一撃が真っ向から振り下ろされる。

 大きなダメージに怯んだ隙を突いて、衝撃波のお返しを見舞う。

大地も砕けよ(エアトブルッフ)!」

 もんどりうって弾け飛んだところを抱きとめて、自分の身体ごとバルムンクで貫く。

血の誓約投げブルートシュヴアヴルフ!」

 爆発的に吹き上がる血と共に宙に舞ったサムソンは、地面に叩きつけられる。

 お互いのダメージは70%に達したが、望むところだ。

 30%を切った体力に、必殺技の3ヒットコンボ。

 あとは、サムソンが立ち上がったところで「竜殺しの英雄(ドラッヘントーテル)」を放つだけだ。

 僕は、レバーとボタンに手をかけて、そのチャンスを待った。

 だが、背景は一瞬で巨大な神殿に切り替わった。

 その柱を立ち上がったサムソンが両手で押し広げると、画面が震え始める。

 柱が軋むとヒビが入り、光が漏れ出す。

神殿崩しホレース・ミクダーシュ!」

 轟音と共に、地響きを立てて神殿全体が崩落した。

 ジークフリートの身体を瓦礫が打ちのめし、やがて、光の中に消滅させた。

 いつのまにか勝負に見入っていた客たちが重い溜息をついた。

 神罰を思わせる重いエコーは、いつまでも消えない。

 勝負の最中に板野さんのことを考えていた僕を責め立てるように……。

 もっとも、それはゲームが終わっていないことも意味する。

 虚脱状態で立ち尽くすサムソンの前に、ジークフリートがゆっくりと歩み寄る。

 発動はしなかったが、「竜殺しの英雄(ドラッヘントーテル)」そのものはサムソンが捨て身で放った必殺技を相殺していたのだ。

槍を前へ(ランシュトース)……」

 まっすぐ突き出されたバルムンクが、サムソンの胸板を貫く。


 店中に拍手が響き渡ったが、僕は筐体から離れた僕は、満足げに客の顔を見渡す店長の目の前に立ちはだかった。

「教えてください、星野さんの携帯番号」

 そりゃできないよ、の返事は想定済みだった。

 個人情報だから当然だ。

 だが、僕は食い下がった。

「心配じゃないんですか? それでも男ですか? 人間ですか?」

 言い過ぎたかとも思ったが、店長もまた、目を伏せて答えた。

「連絡がつかないんだよ、実は」

 大丈夫じゃないか、と付け加えはしたが、胸騒ぎがしてならない。

 そのやりとりを黙って見ていた紫衣里は、僕が仕事に戻ると再びそばに寄り添った。

 一言だけ、囁く。

「お願い……二人きりでいたいの、明日だけは」

 そう言われると、頼みを聞かないわけにはいかない。

 考えてみれば、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のお披露目が終わっても、そんな機会はいくらでもあるはずだった。

 だいたい、板野さんが抜けたのだから、僕が休むとバイトは誰もいなくなる。

 それでも店長には、無理を言って休みをもらった。

 バイトのシフトは明るいうちに終わったが、紫衣里と帰る道の空は、今朝にも増して厚く曇っていた。

 下宿に帰ってテレビを見ると、明日の天気は雨だった。

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