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風速80㎞の軌道エレベーター


 勝ったとはいえ、「竜殺しの英雄(ドラッヘントーテル)」は決まらなかった。

 そのせいだろうか、感嘆とも失望ともとれる観客のため息があちこちから聞こえる。

 佐藤はさっきの口三味線を詫びもしないで、僕を労った。

「危なかったですねえ……」

 ええ、とだけ答えて、僕は筐体の電源を切る。

 8月31日のお披露目に向けてキャンペーン用に提供されたものだからだ。

 店長が休憩時間とは別に割いてくれたデモンストレーションの時間は終わった。

 用が済んだら従来版の〈リタレスティック・バウト〉に配線を差し替えなければならない。

 紫衣里も傍へやってきて、僕の手元を見ながらしゃがみこんだ。

 その間にも、佐藤はぺらぺらとよくしゃべった。

「無理に勝たなくてもいいんですよ」

 まあ、練習ですから、と適当に答えておく。

 すると、佐藤は真顔で言った。

「お披露目でも」

 遠回しに、僕では無理だと挑発しているのだ。

 そんな手に乗るかと思いながらも、つい睨みつけてしまう。

 すると、佐藤はしゃあしゃあと答えたものだった。

「だって、専門学校の授業料はアルファレイド持ちなんですよ。下宿を替えられるなら、家賃を肩代わりする制度もありますが……出世払いで」

 たとえ負けても、紫衣里との生活はある程度保障されるわけだ。

 それでも構わない気がしたが、佐藤が言うと信用できないというのは救いでもある。

 うまいことは二度考えよというではないか。

「気前の良すぎる話ですね」

 振り向きもしないで答えてやると、紫衣里も目を閉じてうなずいた。

 楽しそうな甲高い笑いが頭の上から聞こえてくるのは、そういう姿勢なのだから仕方がないといえば仕方がない。

「そうすれば、もれなく紫衣里さんがついてきますから」

 不機嫌そうに前髪を掻き上げた美少女と、僕は顔を見合わせる。

 それが見えているのかいないのか、佐藤は延々と、独り言にも似た話を続ける。

「私どもの非鉄金属工業部門も、かなり近いところにまではたどり着いたんですよ。その……」

 何のことを言っているのか見当はついたが、言葉を濁したのが気になって見上げてみると、佐藤は目を逸らしている。

 その先にいる、事情を知らない客たちは、それぞれのゲームに興じている。

 銀のスプーンのことは、人前では口にしたくないらしい。

 察しろということなのだろうが、そこで紫衣里のスプーンが見えているのに気付いた。

 しゃがんで大きく開いた、豊かな胸元に。

 その辺りを隠した紫衣里には睨まれたが、悪いのは佐藤だと思う。

 当の本人は咳払いをして、急に話を変えた。

「ご存じですか? 私どもが建造中の軌道エレベーター」

 ついていけなくて、はあ、と答えるしかない。

 知ってはいる。

 梅仁丹から軌道エレベーターまで、というのが世界的な巨大コングロマリット、「アルファレイド」のキャッチコピーだ。

 梅仁丹はともかく、「軌道エレベーター」そのものは、まだ海のものとも山のものとも分からない。

 そこで佐藤の講釈が始まる。

「地球から宇宙へものを運ぶにはロケットを使うしかありませんが、使い捨ては無駄です。以前はスペースシャトルがありましたが、これも採算が合いません。しかし、もし、宇宙空間まで届くエレベーターがあれば……」

 問題は、何を使って作るかだ。

 それなりの素材は今でも研究されているらしい。

 そこまで話したところで、あの佐藤は、ちょっと歯切れの悪い物言いをした。

「そこにですね、それのあれを使うには何なんですよ」

 何を言っているのか、さっぱりわからない。

 だが紫衣里は、筐体のケーブル接続を終えた僕の手元を見ながら答えた。

「これをそれに使って、何をしようっていうの?」

「今のところは人工衛星までですが、地表から対流圏までの10㎞位の風が一番強いんですよ」

 佐藤の答えで、だいたいの話が見えてきた。

 銀のスプーンの金属成分を分析して大量に合成したものを、軌道エレベーターに使おうというのだ。

 それに、地球レベルの風が吹きつけたら……。

 地学や数学はそれほど得意なほうではないが、佐藤が代わりに答えてくれた。

「最大で風速80㎞……超猛烈な台風くらいには耐えられる設計です」

 とてつもない話に、紫衣里は目を伏せて黙り込んだ。

 怒りをこらえて、代わりに尋ねる。

「それを聞かせて、どうしようっていうんです?」

 鬼の目をした老人と戦ったときのことを思い出す。

 スプーンの音が引き起こした、あの高揚感。

 何か、頭の中のリミッターが吹っ飛んだかのような自由さ。

 それがのべつまくなし、フルタイムのホワイトノイズ状態で全人類の耳にさらされるのだ。

 佐藤は、さらりと答える。

「目覚めますね、人類が……それなしじゃいられなくなるくらい。」

 それは、一種の麻薬でもある。

 残すも壊すもアルファレイド次第だとすれば、全人類を意のままにすることさえできる。

 麻薬の売人が、中毒患者を廃人になるまで絞りつくすようなものだ。

 僕の考えていることの見当がついたのか、佐藤は顔の前で手を振った。

「そんな、安物のスパイ小説みたいな……これはビジネスです、いろんな国や企業にお金を出して、権利を買ってもらうんですよ」

 いちばん高く買った者が、権力を手にするわけだ。 

 これが、僕をアルファレイドに縛り付けておく理由だった。

 とんでもないものを天秤にかけてくれたものだ。

 紫衣里との生活と、全人類の命運。

 どっちを取るべきかは、考えてみなくても分かる。

 ワールド・タイトルマッチで優勝した特権と、僕に対するアルファレイドの期待をフルに利用すれば、紫衣里とひとつ屋根の下で暮らす学生生活を堂々と続けられる。

 だが、それはアルファレイドの思うがままになる。

 紫衣里の身体も、微かに震えているのが分かった。

 無理もない。

 銀のスプーンを守るために生まれてきたのだ。

 それが、人間を金の亡者たちに売り渡すための道具に使われかかっている。

 僕は佐藤に念を押した。

「勝てばスポンサー契約……対等の立場ですよね?」

 答えはさらりと返ってきた。

「ええ……イヤなことはイヤだと言えます。でも、私どもも、それなりの相手は準備しておりますので」

 プリンスを上回るプレイヤーがいるということだ。

 瞬殺のレイアーティーズと戦ったときの恐怖が蘇る。


 ……勝てるだろうか。


 話は簡単だ。

 僕がタイトルを返上すればいい。

 実家の両親が何を言おうと高校も辞めて、身を粉にして働きながら紫衣里を守り抜くのだ。

 それでも、どこか納得できないものがある。

 公衆の面前で、スポンサー契約だの奨学金制度だのと大風呂敷を広げておいて、そこで首を縦に振らされたのだ。

 ここで負けるのはみっともない……というか、勝たなければ僕は僕自身を許せそうにない。

 紫衣里に寄り添うと、その身体から、怒りとも悲しみともつかない気持ちが流れ込んでくる。

 それを代わりに叩きつけてやってもいいが、ここは客が楽しむ場所(アミューズメント)だ。

 現に、ノーマルの〈リタレスティック・バウト〉の筐体には、さっきのデモンストレーションに熱くなった少年が、目を輝かせて向かっている。

 そのオタクっぽい顔つきを横目に、佐藤にはこう言ってやった。

「そんなこと、ここでしゃべっていいんですか?」

 眼鏡の上の眉毛が、面倒くさそうに寄せられる。

「こんな荒唐無稽な話、誰が信じます?」

 紫衣里も、ようやく落ち着いたのか、〈ザ・ビヨンド〉のおかげで客の増えた店内を見渡す。

 僕は僕で、思いっきり佐藤に笑いかけてみせた。

「誰がつぶやくかわかりませんよ?」

 もっとにこやかな営業スマイルが返ってきた。

「ご心配なく。私としては、ご協力さえいただければ」

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