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守護天使のお告げ

 ステージから下りた僕を、紫衣里はニヤニヤ笑いながら出迎えた。

「……意外なご褒美だったね」

 勝利の女神の皮肉な一言に、ため息交じりの返事が口をついて出る。

「別にいらなかった、そんなの」

 コスプレ君の唇が触れた辺りが、まだ鈍く疼いている。

 ハンカチでごしごしやっていると、今度はその摩擦でヒリヒリしてきた。

 その辺りを指先でなでながら、紫衣里が子供をあやすかのようになだめた。

「まあ、優勝したら私がご褒美あげるから……」 

 そこらの駄菓子屋で、アイスでも買ってやるのとそう変わらない口調だった。

 だが、僕の心は動いた。

「え、それって……」

 思わず自分の唇に触れたところで、紫衣里は手をひっこめた。

 話の流れからすると、期待できるものは1つしかない。

 それを紫衣里の口から聞き出せないかと思案を巡らせているうちに、僕の肌が危機の襲来を継げていた。

「Excusez-moi.(失礼します)」

 もちろん、これも後で紫衣里に教わったフランス語だ。

 返事は、こう言うのが相場らしい。

「Tiens.(どうぞ)」

 紫衣里がさっさとコスプレ君……ウジェーヌ・フォーコンプレを座らせたのは、隣の席だった。

 席指定がされているわけではないが、僕の了解は必要だったかと思う。

 さっきのアレは、見ていたわけだから。

 女装の美少年盗賊、弁天小僧菊之助のプレーヤーは艶然と微笑んで、しなだれかかってきた。

「Elle est votre déesse de la victoire.(彼女は君の勝利の女神ですね)」

 何を言っているのかさっぱり分からなかったが、少なくとも、口説き文句にしか聞こえなかった。

 その意味を最後の最後まで伏せていた紫衣里は紫衣里で、このときも、僕のフォローをしようともしなかった。

 代わりに、こう返したらしい。

「N'est-ce pas tout le monde qui s'aime ainsi? (愛し合うものは、みんなそうじゃありませんか?)」

 いたずらっぽく輝く瞳が、コスプレ男に向けられている。

 こいつの趣味がアレなんだとしても、何だか面白くなかった。

 さらに、意味のわからない甘い囁きが、今度は紫衣里に向けられる。

「Alors, je serai aussi son ange gardien.(では、私も彼の守護天使になりましょう)」

 なんと言ったのか紫衣里に聞かされたときには、そういうことだったかと納得できたが、その真剣なまなざしが僕に向けられたときには、思わず鳥肌が立った。

 性的嗜好への偏見はどうとかこうとか言われても、こっちだって当事者として選ぶ権利がある。

 たとえば、目の前に紫衣里と板野さんがいたとしたら、当然……。

 そこで目の前に浮かんだのは、バイト先の給湯室で、臭いタオルに悶絶する僕に、腹を抱えて笑っていた、あの顔だった。

 その眼に涙の名残がきらめいていたのを思い出して、あれっと思った。

「……そこで、何で板野さん?」

 はたと気付いてつぶやいたことを、紫衣里は聞き逃さなかった。

 妙にやさしい声で、目を細めてみせる。

「……気になる?」

 逆に、怖かった。

「そ、そりゃあ……」

 言い訳ではない。

 板野さんの、一生に一度のささやかな願いを叶えるのだ。

 高校の修学旅行を楽しみたい、という当たり前の願いを。

 後ろめたいことなど、あるはずがない。

 だが、僕は何故かたじろいだ。

 それをフォーコンプレは見逃さなかったらしい。

 僕を横目で見ながら、何やら笑いをこらえながら紫衣里に尋ねた。

「Il fait quelque chose de mal ?(彼、何かやましいことでも?)」

 ずっと後に紫衣里に聞いた限りでは、どうやら自分でも気づいていなかった腹の底を見抜かれていたようだ。

 紫衣里は不機嫌そうに答えたのも、そのせいだったのだろうか。

「Il est tenté par d'autres femmes.(他の女にちょっかい掛けられてるんです)」

 フォーコンプレは大笑いして、立ち上がった。

 準決勝の次の試合がコールされると、フィービーがそうしたように、何やら言い残した。

 妙に意味深な様子に見えたが、まだ終わっていない試合を背にして去っていくのを、いろんな意味で半ばほっとしながら見送る。

 弁天小僧菊之助のコスプレがお祭りの雑踏にも似た人混みの中に消えたところで、紫衣里に聞いてみた。

「……何て言ったの?」

 答えは、神妙な顔で返された。

「守護天使は、答えを教えては下さいません……」

 そうかもしれない。

 紫衣里が僕の守護天使なのだとしたら、どんな答えであれ、自分で出したものを尊重してくれるだろう。

 そこで、観客席が一斉に湧く。

 どよめきの中で、あちこちから聞こえたのは同じ声だった。

「……まただ!」

 瞬殺で勝負が決まったのだ。

 振り向いてみなくても、勝者はわかっている。

 エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世。

 人呼んで、「瞬殺のプリンス」。

 勝負を終えたあの男と、僕は戦うことになる。

 決勝戦を控えて、会場内には10分間の休憩を告げるアナウンスが響き渡った。

 その10分でも、僕には惜しかった。

 なぜかは分からなかったが、後でふと思いあたることがあった。


 紫衣里がフォーコンプレの最後の言葉の意味を教えてくれたときだ。


 Il n'y a qu'une chose que tu puisses faire pour le vrai amour.


 本当の愛のためにすることは、1つだけでいいんです……。

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