夏の太陽は理性を狂わせる
だが、紫衣里はそれを許さなかった。
「じゃあ、バス停まで送りなさいよ……男でしょ!」
そう言われてしまったら、行くも行かないもない。広いショッピングモールの中で人混みに紛れてしまった板野さんを探して、僕は店を飛び出した。
バスが……来る前に!
そうは言っても、あちこち歩いているうちに、気が付いたら30分ほど経ってしまっていた。
メアドや電話番号を交換する仲ではなかったのが悔やまれる。
仕方がないので、ダメ元でショッピングモールの外へ出た。
頭から降り注ぐ夏の太陽に、つい、悲鳴が口をついて出る。
「……暑っ!」
気が付いてみれば、もう日は高かった。いくら何でも、身体の弱った板野さんがこの日差しの中で突っ立っているなんてことはないだろう。
バス停をしらみつぶしに探して、敷地を半周もした頃だったろうか。
ほとんど垂直に降り注ぐ夏の陽光の下で、板野さんはバス停の前に1人で立っていた。
「あ……長谷尾さん?」
振り向いた顔は、夏の日差しのせいか、まばゆく輝いて見えた。
だが、それも束の間、戸惑いの色が笑顔を曇らせ、板野さんはまた目を逸らした。
その前に、僕は立ちはだかる。
背が高い分、日陰になることはできたが、見下ろす姿はちょっと威圧的だったかもしれない。
「何やってんだよ! バスは?」
まだ午前中とはいえ耐え難い暑さの中、弱った身体で突っ立ったままでいるなんて、非常識にも程がある。
板野さんは冷ややかな声で、そっけなく答えた。
「あと、10分くらいでしょうか」
やっぱり何か怒ってるんだと思うと、返す言葉がない。
「そういう問題じゃなくって……」
間が持たないので標識の時刻表をみると、1時間に1本くらいしかない。田舎のモータリゼーションは、こういう弊害をもたらす。
だが、それならそれで、冷房の利いた建物の中に戻っていればよかったのだ。
それは、板野さんも分かっていたらしい。
きまりが悪いのか、口ごもりながら、微かな声でようやく答えてくれた。
「ごめんなさい……ワガママ言って。なんだか、悔しくて。すっきりしようと思ったら、つい……」
そこで、板野さんの身体は大きく前のめりになった。
声がかすれていたのは、返事をためらっていたからじゃない。
とっさに抱きとめた僕は、つい叱りつけていた。
「つい……でやることじゃないだろ!」
本当は、いじらしくてたまらなかった。
やせ我慢して、意地を張って、僕に勝負まで挑んで、あれだけの技を見せた板野さんが。
その気持ちが、どんなふうに伝わったのか。
板野さんは僕を見上げて、驚いたような顔で目を見開いた。
「え……?」
苦しそうな声で我に返ると、板野さんは僕の腕の中で目を閉じる。
これには、リアクションに困った。
「あ……これは、その……」
暑い日差しの下で、一気に血の気が引いて冷や汗が流れた。
まずい……やましい気持なんか一切なかったけど、セクハラで訴えられても文句は言えない。
しどろもどろのまま腕をほどくと、板野さんはためらいがちに言った。
「いいんです、これで……もう、充分ですから。ここのバイトも……」
諦めさせてはいけない。
ここは、きっぱりと言い切るところだった。
「やればいいだろ、ちょっと休んでからだって、きっと……」
全てが変わる。
もっとも、《リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ》で優勝すれば、の話だが。
負ける気はしなかった。
だから、それまでは待ってほしかったが、板野さんは目いっぱいの明るさで、厳しい条件を告げてくれた。
「間に合いません。だって、修学旅行のキャンセル締切、いつだと思います?」
現実を突きつけられて、盛り上がった気持ちがいっぺんで萎えた。
「そんなに……切羽詰まってるの?
優勝したらすぐに、佐藤に奨学金創設の手続きを取ってもらわなくてはならない。
具体的にどうすればいいのか、分かりもしないことであれやこれやと考えを巡らす。
だが、予想以上に期限は迫っていた。
「〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉の日ですよ?」
炎天下にも関わらず、身体が凍り付いた。
それって……絶対に無理かな?
頭を振って、せっかくの寒気を振り払う。
また、頭から降り注ぐ夏の日差しが戻ってきた。
朦朧とした意識の中でも、これだけは諦めさせるわけにはいかなかった。
……優勝しさえすれば、あとは何とでもなる。
ふらつくのを堪えて立っている僕は、どんな顔をしていたのだろうか。
板野さんは板野さんで、その場を取り繕うかのように、急にまっすぐな目でも見つめ返してきた。
「冗談です……あ、当日は応援行きます。学校でキャンセルの手続き取ったら、交通費ぐらい出せますから。……あ!」
背後でぶおっとクラクションを鳴らされて、僕はバスの前から飛びのいた。
その横をすり抜けるようにして、板野さんは別れの挨拶もそこそこに乗車口のタラップを踏む。
僕は慌てて振り向いた。
「……待って!」
呼び止められた板野さんは、以外にも、いそいそと戻ってきた。
バカ丁寧に、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、実は病院にも母さんにも、だいぶん無理言ってるんです」
そこですかさず、スマホを突き出した。
「これ……」
優勝が決まったら、修学旅行費用の援助があることをすぐに告げなくてはならない。
板野さんが無言で差し出したスマホが、キンコーンと鳴った。
夏の太陽みたいに眩しい笑顔が戻ってくる。
「はい、すぐメールしますね!」
タラップの上で手を振る板野さんを覆い隠すように、バスのドアが閉まった。
残された僕は、汗をダラダラ流しながらショッピングモールに戻る。
僕だけ出てきてしまったが、紫衣里が1人で行くところは1つしかない。
もちろん、その目の前では目いっぱい残念がってみせるつもりだった。
「悪い、結局、見つからなくてさ……」
思った通り、紫衣里はフードコートで待っていた。
板野さんを抱きしめてしまったことが後ろめたくて適当なことを言ってしまったが、しっぺ返しはすぐに来た。
目を閉じた紫衣里は、ゆっくりとうなずいてみせる。
「あのバス停ね、ここから……」
くいと顎で指し示された窓をひょいと眺めてみると、見覚えのある標識が遠くにあった。
言い訳の余地はない。
「あ……あれは、その……」
紫衣里が一緒にいてくれるのは、僕が望んだからだ。
板野さんとの関係を誤解されたら、e-スポーツの世界大会に出るどころの話ではなくなる。
うろたえて言葉もない僕に、紫衣里は静かに言った。
「……あなた次第だから、ね。」




