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猫との死闘

<リタレスティック・バウト>の画面に、板野さんが選んだキャラクターが現れる。

 1匹の猫がとことこと歩いてきたかと思うと、軽くとんぼ返りを打った。

 見る間に頭には羽帽子、足には長靴が現れ、最後に大きな袋が背負われる。

「ご主人様、ここは僕に任せてよ!」

 シャルル・ペローの『長靴を履いた猫』だ。

 そのセリフを可愛らしい声で真似てみせる板野さんに、男性客からの歓声が上がった。

 なぜだか分からないけど、自宅に土足で踏み込まれたかのような腹立たしさがこみ上げてくる。

 僕も負けてはいられない。

 板野さんにも、その周りにたかるオタクどもにも。

 コントローラーを掴む手にこもる力を一息で抜いて、画面の中の伊達男に呼びかけた。

「頼んだぞ、シラノ!」

 気合を入れて、邪念を払う。 

 ゲーム開始と同時に、攻撃ボタンの連打を繰り出した。

 相手の出鼻を挫くためだ。

 板野さんには悪いけど、手加減する気はない。

 だが、大柄なシラノが繰り出すレイピアは、小さな猫の跳躍と疾走で軽々とかわされていった。

 猫の声を真似てみせたあの声が、怒りを込めて放たれる。

「見くびらないでって言ったでしょう?」

 シラノの大きな羽根帽子の上に、小さな羽根帽子の猫がひょいと跳び上がる。

 たちまちのうちに、背中にかついだ袋が大きく広がった。

 思わず息を呑む。

「え……これって?」

 板野さんそっくりの可愛らしい声で、猫が叫ぶ……いや、猫そっくりの声で板野さんが叫んだ。

ウサギの追跡シュイヴィ・デ・ラパン!」

 頭から袋で簀巻きにされて、シラノは身動きが取れなくなる。

 そのまま、「長靴を履いた猫」に四方八方から切り刻まれた。

 開いた口が塞がらない。

「うそ……」

 もう、笑うしかなかった。

 こんなことになるなんて……。

 気が付けば第1ラウンドは僕の惨敗に終わっていた。

 ふうとため息をつく声が、耳をくすぐる。

「意外と……弱いんですね」

 笑顔で皮肉を言うのが、なぜか愛くるしく見えるから不思議だ。

 おかげで腹は立たなかったが、困ったことに闘志は緩んだ。

 いけない。

 これでもプロを目指す身だ。

「まだまだ!」

 自分で自分に喝を入れるしかなかったが、板野さんはというと、勢いに乗って猛攻を仕掛けてきた。

衣服の盗難ヴォル・デ・ヴェテナン!」

 シラノの周りを縦横無尽に猫が飛び交い、羽根帽子も剣も奪い去る。

 フランス屈指の剣豪詩人は、あっというまに下着一枚に剥かれてしまった。

 大鼻の巨漢が恥ずかしげに身をすくめと、見物している客からは、どっと哄笑が上がる。

 だが、これで負けたわけではない。

「甘い!」

 大技を使えば、それだけ大きな隙ができるものだ。

 シラノの剣と羽根帽子を抱えたままでは、猫が攻撃に移ることはできない。

 今度は、板野さんが絶句する番だった。

「そんな……」

 下着姿で突進したシラノが、猫を空中で引っ掴んで画面の端へ投げ飛ばす。

 小さな体が宙に浮いたまま、くるくると回った。

 このまま飛び掛かってもいいが、そこまで焦ることはない。

 ばらばらと落ちた剣や羽根帽子を拾うと、シラノは画面の隅に落ちた猫を一撃で串刺しにした。

 男性客の大ブーイングの中、シラノと共につぶやく。

ごめんね(エクスクゼ・モワ)……。」

 僕自身もなんだか、板野さん本人を傷つけたようで心が痛んでいた。

 同情に満ちたその場の空気を切り裂くような声が響き渡る。

「……負けない!」

 板野さんはというと、完全に逆上していた。

 その顔を見るのは怖かった。そんな余裕もない。

 もともと、この猫自体が敏捷に設定されているので、通常の攻撃や防御だけではかなり戦いづらい。

 その上、プレイヤーが全力を傾けてくるので、応じるのはかなり辛かった。

 だが、これであっさりと倒される僕ではない。

 猫の攻撃をかわしながら、隙をうかがう。

 通常攻撃のコンボだけでも……!

 刺突に斬撃、受け流しに返し技、磨いてきた技のバリエーションには事欠かない。

 戦いようによっては、かなりのダメージを与えることができる。 

 だが、この手の格闘ゲームの面白さは、それを必殺技で一発逆転できるところにある。

 板野さんもそれが分かっているのか、勝ち誇って高らかに叫んだ。

趣味の鼠狩りシャッセ・オ・ラ・デ・パス・タン!」

 猫が剣を捨てて巨大化すると同時に、巨漢シラノが小さくなった。

 跳ね上がった猫が、鼠を捉えるようにシラノを抑え込む。

 技は一瞬だったが、猫に頭からかぶりつかれたシラノの体力ゲージは激減した。

 思わず怯んで気が抜けたせいか、視界の隅に、長い黒髪が微かに揺れるのが分かった。

「仕方ないか……。」

 つぶやいた紫衣里が、胸元に手をやるのが見えた。

 自前のサマーセーターの襟から取り出したのは、あの銀のスプーンだった。

 これが鳴れば多分勝てるが、今、いちばん大切なものは失われる。

「ダメだ、紫衣里……!」

 その囁きが、僕自身から反撃の機会を奪った。

 画面上に、「TIME UP」の文字が大きく浮かぶ。

 しまった……。

 時間切れだった。

 この場合は他の格闘ゲームと同じく、残った体力の多い方が勝ちとなる。

 生き残ったのは、シラノか、長靴をはいた猫か。

 憑き物の落ちたような声が聞こえた。

「ごめんなさい、私、帰ります……」

 シラノの勝利を告げる画面を背に、板野さんはふらふらと席を立った。

 今にも倒れそうになりながら、店の自動ドアへと歩き出す。

 その傍らに立つ紫衣里は、身じろぎだにしない。

 僕が支えるしかなかった。

「大丈夫……?」

 差し出した手は、板野さんが叩きつける手で無残にもはねのけられた。

 きっぱりと言い切る。

「直通のバス、すぐ来ますから……ひとりで戻れます」

 板野さんは、虚勢と一緒に胸を張って店の外へと歩み去る。僕はそれを見送るしかなかった。

 隠れファンになったと思しき、気の小さそうな男性客たちと一緒に……。


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