美青年の誘惑
紫衣里の見つめる先にあったのは、いつの間にか店内に大きく貼りだされたポスターだった。
そのタイトルを見た瞬間、僕は全身が熱くなるのを感じた。
「リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ……」
主催はもちろん、アルファレイドだ。
だが、その他にも、様々なサブカル系のスポンサーの名前がポスターの上でひしめき合っている。
そこで耳元から声をかけてきたのは、あの佐藤一郎だった。
「気になりますか?」
佐藤の物言いは相変わらず穏やかだった。だが、こういうのは慇懃無礼という。
何のつもりかは分からないが、「この勝負、受けなかったら男じゃない」と言わんばかりだ。
明らかな挑発だと分かっていたから、僕は素っ気なく言い返した。
「いろいろ……忙しいんで」
その手には、乗らない。もう、e-スポーツに関わるつもりはなかった。
紫衣里とどう暮らすかという、先行きの見えない問題が僕の前に立ちはだかっている。
優先順位を考えたら、この勝負は考えの外に弾き出さなくてはならなかった。
もっとも、佐藤にはそこまで察しがつくことはなかったようだ。
「アマチュアの方に賞金はありませんがね」
こう言われると、多少はムッとくる。
「知ってます」
日本の法律はややこしくて、出せても10万円が上限だ。
紫衣里との生活を考えたら喉から手が出るほど欲しいが、代償が大きすぎる。
それでも聞かないではいられなかったのは、どこかに未練があったからだろう。
「プロだったら?」
そんな自分にも腹が立っているところで、してやったりとばかりに佐藤一郎にもさらりと返される。
「3000万」
よく見ると、ポスターの隅っこに書いてあった。
アマチュアの誤解を招かないためだろうが、どうもやることがみみっちい。
ただ、ちょっと気になるキーワードはあった。
「一般の方にも、豪華特典……?」
だが、僕のつぶやきは、佐藤の耳には入らなかったらしい。
「そうですか……夏休みの末ですから、なんとかやりくりはできるかと思ったんですが」
そこで何を考えたのか、思わせぶりに付け加える。
「まあ、無理は言いませんよ」
一言一言がいちいちカンに障る。
だが、佐藤の目はもう、僕に向けられてはいなかった。
それが分かったのは、意外な声が返事をしたからだ。
「え……?」
佐藤一郎が声をかけたのは、僕ではなかった。
「いかがでしょう、紫衣里さん?」
それで分かった。
どうやら、紫衣里は佐藤とコレについて話していたらしい。
だが、紫衣里は答えなかった。そのまま無言で、ゲームセンターから出ていく。
どこへ行くつもりかは、だいたい見当がついた。
僕がいないと、どうにもならない場所だ。
紫衣里を追って例のフードコートまでやってきた僕は、ついてきた佐藤に尋ねた。
「……で、どうしてあなたが?」
彼と同じくらいの慇懃無礼さで。
だが、佐藤は僕になど見向きもしなかった。
「あなたが欲しいんです、紫衣里さん」
自分で注文してきたワンタンメンをさっさと持ってくると、いままでの営業スマイルからは考えられないような真剣さで、ぬけぬけと口説きに掛かった。
確かに、僕は別に紫衣里と気持ちを確かめ合ったわけじゃない。出ていかれたらそれまでだ。
だが、横からこういうちょっかいを出されればムカッとくる。
紫衣里もまた、厳しい眼差しで応じた。ざまあみろだ。
だが、佐藤は動じたふうもない。むしろ、爽やかに笑いながら言葉を継いだ。
「……本当のお名前ではないでしょうが」
僕は奥歯を噛み締めた。
目の前の相手に礼を尽くすのは、e-スポーツのプレイヤーとしては当然だと思っている。
もう、プロになるつもりはないが、プレイヤーであり続けるつもりだった。
だが、こいつに関してはその限りじゃない。
あまりに失礼な態度に、僕はいささかムキになっていた。
「……お前な」
ようやく、佐藤一郎への怒りを声にして絞り出す。
だが、紫衣里の澄んだ瞳に見つめられると、その気持ちも急激に冷めた。
佐藤は居住まいを正すと、僕に向き直る。
「どういうご関係かは詮索しません。ただ、直接お話ができれば……これまでは年配の方とあちこちを転々となさっていて、それがなかなか叶いませんでしたので」
紫衣里の目つきが急に険しくなった。
僕も不審に感じた。なぜ、佐藤がそれを知っている?
そんな目で見られているのは先刻承知という涼しい顔で、佐藤一郎は答える。
「こう見えても、一応は「アルファレイド」の人間です。知らないことなどありません」
大口を叩くと、再び千両役者のように微笑んだ。




