成功と代償と
2人のガスコン……シラノ・ド・ベルジュラックとダルタニャンの戦いが終わると、僕と佐藤一郎の対決を見ていたゲーマーたちが歓声を上げて拍手した。
ほとんどは長い夏休みに飽きて退屈な時間を潰す大学生や高校生だが、校則破りの中学生や、親の目を盗んで着た高校生もいるだろう。
もしかすると、ここに紫衣里目当てでやってきて肩透かしを食らったナンパ男もいるかもしれない。
だが、そんな連中まで魅了できたのであれば、e-スポーツのプレイヤーとしては本望だ。
ドキっとしたのは、板野さんの眼差しだ。
我を忘れた様子でまっすぐに見つめてくる目は、うっとりとしているようでもあり、僕を睨みつけているかのようでもあった。
どうして、と思ったとき肩を叩かれて振り返ると、佐藤一郎が滑らかな営業口調で語りかけてきた。
「たいした腕です。プロになった暁には、ぜひスポンサーに」
期待していたひと言を口にしながら、バカ丁寧に差し出された手を差し出してくる。
もちろん、喉から手が出るほど欲しかった申し出ではある。
だが、佐藤一郎は「プロになった暁には」と言った。
プロにしてやるとは言っていない。
まず、結果を出せと言っているのだ。
当然といえば当然のことだが、こちらも言われっぱなしでいる気はない。
僕もわざとらしいくらいの笑顔を作りながら答えた。
「こちらこそ」
胸を張って手を握り返してみせたが、そのとき、佐藤一郎の口から意外な名前が聞こえた。
「紫衣里さんによろしく」
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。
世界的コングロマリットのアーケードゲームを制作している一部門の一社員が、女の子ひとりの名を知っているわけがない。
「え……?」
なぜその名を知っているのか尋ねる間もなかった。
その気になった客たちは、「リタレスティック・バウト」の順番待ちを始めている。
佐藤一郎は、それに満足したのか、意気揚々とゲームセンターを出ていった。
紫衣里はというと、それとは一足違いで戻ってきた。
僕を見つけても、何も言わなかった。
澄んだ瞳が僕を見つめている。怒りと悲しみに満ちたその眼差しに、背筋がぞっと凍った。
どうしてかは、分からない。
何で? ゲームやってただけなのに?
そこで思い出したのは、さっき感じた紫衣里の非難だった。
ただセルフサービスの食器を返しに行くだけの背中が、僕の視線を拒絶しているかのようにさえ感じられたのだ。
確かに、僕は温い。
そこで思い出したのは、さっきの板野さんの眼差しだ。
ふと、様子をうかがおうとしたが、僕になど見向きもしないで、床にモップがけをしている。
さっきまで、僕はいい気になっていたのだった。
誰よりも強くなったような気がしていた。
未来への展望が見えたような気がしていた。
恐れるものなど何もないような気がしていた。
なにしろ、巨大コングロマリット「アルファレイド」傘下の大手ゲーム会社から来た開発者が、僕に注目しているのだ。
プレイヤーとしての僕に。
いままで培ってきた技を見せるのはこのときだと思った。
僕に金を出さなければ損だと思わせたかった。
しかも、ゲームを挑んできたその相手を、僕は負かしてみせたのだ。
そこは開発者だから、ゲームをプログラムのレベルから知り尽くしていてもおかしくはない。
実際に対戦してみても、かなり手強かった。
それを倒したことで、僕は少なからず自信を抱いていた。
これで、e-スポーツのプロに一歩近づいたといえる。あとは、専門学校でも腕を磨くだけだ。
でも、もう、それを素直に喜ぶ気持ちはなくなっていた。
僕は腹を決めて、頭の中で嵐の前の黒雲のように湧き上がった考えを口に出すことにした。
「店長!」
それほど広くないゲームセンター中に響き渡る声に、誰もがびくっとした。
店長も、板野さんも、客たちも。
例外は、紫衣里だけだった。
いつものように、僕を澄んだ眼で見つめている。
「リタレスティック・バウト」をプレイしている客も、それを見ている客もゲーム画面を食い入るように見ている。
板野さんも、何事もなかったかのように掃除にかかる。
店長の立ち直りも早かった。
「何だい? 長谷尾君!」
確かに、客が入って上機嫌な店長に比べて、僕はかなり感情任せになっていた。
だが、そこそこ勇気を振り絞って歩み寄った僕に、この軽さはないとも思った。
それでも、僕は真剣に頼み込む。
「お願いしたいことがあるんです」
聞こえたのは、店長の鼻息だけだった。
「ふふん……」
まともに聞いていない。
イラッときたが、そこはこらえて、視線を追ってみる。
その先には、紫衣里がいる。
僕は言葉を失ったが、年甲斐もなく若い女の子に見とれている店長に呆れたからではない。
紫衣里が、それとなく僕の様子を見ていることに気付いたからだ。
別にそれは、構わない。今、紫衣里に対して恥ずかしくないことを、僕はしているつもりだ。
進学のために貯めた12万円を、板野さんの修学旅行のために提供する。
これまで積み重ねてきたことを棒に振るのは、結構、つらい。
だが、これが、自分自身の温さに対する僕の答えだった。
専門学校の入学金はまた貯めればいいが、高校の修学旅行は、留年しない限り人生に一度きりしかないのだ。
だから、僕はさらに呼びかけた。
「店長! 無理なことではないと思うんですけど!」
やはり、返事はない。
その目はやはり、紫衣里に向けられている。
だからといって、見ているとは限らない。
それに気づいたのは、その向こうに人影があるのを見つけたからだ。
オタクっぽいのが紫衣里に見とれていた。いい客寄せになっているらしい。
とうとう、僕は声を荒らげた。
「真面目な話なんですけど!」
ようやく、店長は我に返ったらしい。
目をぱちくりさせながら、店の中を見渡す。
「は……はい? ……はい?」
僕は店長の視線を遮るように、目の前に回り込んだ。
用件をさっさと済まして、紫衣里を連れ出したかった。
これ以上、オタクどもの邪で歪んだ欲求と好奇心に晒したくない。
問題は、もうバイトのシフトに入っている板野さんだった。
店長へのお願いを聞かれたら、まずい。
いったん、僕は話題を変えた。
「……と、板野さんは?」
いつの間にか、姿を消している。
店長は、気まずそうに居住まいをただした。
「さっき、店の外に。ゴミ捨てだろ」
不愛想な返事だった。ちょっと責め立てるような口調で聞いたのがよくなかったのかもしれない。
だが、板野さんがいない今しか、話の出来るときはなかった。
「実は……」
やましいことではないが、紫衣里に聞かれるのもイヤだった。
非難されたからやることだと紫衣里に思われるのもシャクだったし、そう思われて軽蔑されるのもイヤだった。
仕方なく、僕の計画を店長の耳元で囁く。
「12万円、預かってもらえませんか? それを板野さんに渡してほしいんです。修学旅行に使えるように……」
だが、将来の目標のために積み重ねてきたものを投げ出すための一大決心は、あっさりと突っぱねられた。
「それは……できないな」
ほとんど反射的に、僕は食ってかかっていた。
「どうして! 店長も事情知ってるでしょう?」
店長の返事は素っ気なかった。
「知っててもできないよ」
話を聞こうともしない。
さすがにカチンときた。
それなら、校則違反をかばってまでアルバイトをさせているのは、何のためなのだろうか。
助けるなら、とことんまで手を貸すのが当たり前だ。
「それは知らん顔するってことですよね?」
僕が食い下がると、店長は改まった口調で、はっきりと言った。
「だって板野さんの問題でしょう? これは」




