銀のスプーンを目の前に
岐阜市近郊のショッピングモールに、最近できたゲームセンターがある。
その名は「フェニックスゲート」。
常に最新のゲーム機が置かれた大きな店で、オンラインで対戦ゲームもできる。
岐阜駅より北にはその規模のゲームセンターがそんなにない。
だから、長良川より北に住んでいるゲーマーにとっては心のオアシスとなっていた。
結構繁盛していて、バイト料もいい。ただし、店長はお金にシビアで、2人しか雇わない。
そこに勤めている僕は、ようやくシフトが空いたところで筐体のひとつに向かった。
「さて……」
貴重な息抜きの時間を余すことなく使い切るために、僕は投入するコインを額に当てて念を込める。
今日も、勝つ。
僕は常勝無敗の長谷尾英輔でいなければならないのだ。
自分にそう言い聞かせていると、不意に、頭の後ろから声が聞こえた。
「面白いことしてるのね」
「な……」
その一言が、ゲームに立ち向かおうとする僕の集中を解いた。
対戦コンピューターのレベルは「MAX」。
これから最高の難易度で相手を秒殺できるかどうかに賭けている僕にとって、それは時間とバイト料の浪費を意味した。
「勝負してみる? 負けた方の奢りで」
振り向いたところで僕の顔を覗き込む女の子の、唐突な申し出には面食らった。
それなのに、受けてしまったのは僕の意地のせいとしか言いようがない。
もっとも、そんな理屈をつけてでも一緒にいたいと思えるほど、目の前の女の子が可愛かったせいもあるけど。
川の流れを思わせる黒髪に、僕をまっすぐ見つめる澄んだ瞳。
白のサマーセーターに、膝までのジーンズ。
その胸元や、すらりと伸びたサンダル履きの足が眩しい。
「……やって……やろうじゃん! 」
大きく「α」の文字をあしらった筐体の向こうには、そのデモ画面を映す大きなスクリーンがある。
女の子は、珍しくもなさそうにそれを眺めた。
「ゲームは……アルファレイドの『リタレスティック・バウト』ね? 」
このゲームセンターは大手ゲーム会社「フェニックスゲート」の経営だけど、そこもまた巨大資本「アルファレイド」の傘下にある。
小さいものは梅仁丹、大きなものは月に届く軌道エレベーター(企画段階らしいが)まで手掛けようかという世界的コングロマリットだ。
そんなわけで、「リタレスティック・バウト」もまた、世界的に人気のあるゲームで、公式の国際大会まである。
だから、なんだこんなもの、という物言いには結構ムカッときたりする。
それでも、日ごろから女の子には紳士的に接しているつもりだ。
僕は、ただのゲーマーではない。少なくとも、そうでありたい。
だから、笑顔で警告した。
「言っとくけど……僕は強いよ?」
アーケードゲームとはいえ、女の子を一方的にぶちのめすのは気が咎める。
実力が違いすぎれば、たとえ手加減したって限界というものがある。
たぶん、恥をかかせることになるだろう。
だが、この女の子は冷ややかに答えた。
「ふうん……」
からかうような目つきに、さすがの僕もプライドを守らないではいられなかった。
挑戦してくるなら、相手がだれであっても容赦はしないつもりだった。
それが、戦う者の礼儀だからだ。
大昔、男たちが命を懸けていた決闘の時代から、その必要のない「スポーツ」の今に至るまで。
僕は、最後の警告をする。
「信じて、ないね? 」
|見れば信じるようになる(シーイング・イズ・ベター・ザン・ヒアリング)、とは英語の諺だ。
やってみせるしかない。
僕は貴重な100円を筐体に放り込んで、ゲームを開始した。
古今東西の文学作品に登場するヒーローたちが、それぞれの武器を振るって激闘を始めた。
僕が操るのは、宮本武蔵。いつも使っているのとは違うが、これも手加減のうちだ。
立ち向かってくる塚原卜伝を、脳天への一撃で屠り去る。
最初のラウンドは、1分も経たないうちに僕の勝利に終わった。
再び振り向いてみると、女の子は意味ありげに口元を歪めてみせた。
「もしかして……e-スポーツやってる? 」
エレクトロニック・スポーツ、略してe-スポーツ。簡単に言えば、スポーツ化した対戦型コンピューターゲームだ。プロだっている。
いつか僕の前に、そこの代理人が金額の書かれてない契約金の小切手を手に現れる。
そんなことを夢見るくらい、僕は真剣だった。
「だから……君じゃ勝てない」
時間もお金も貴重だった。シロート相手に浪費するような余裕はない。実力の違いがわかったら、さっさとUFOキャッチャーでも始めててほしかった。
だが、この少女は悪戯っぽく、しかし挑発的に笑ってみせた。
「……どうかな? 」
女の子は隣の筐体に向かって座り込んだところで100円を投入したらしく、ゲーム画面には「挑戦者現る」の文字が浮かぶ。
「……な、何!」
画面上に現れたのは、銀の鎧に身を包んだジャンヌ・ダルクだ。
このゲームセンターでバイトに入ってから、練習がてら片手間に「リタレスティック・バウト」を始めてもう1年になる。その間、何十人というプレイヤーと対戦したけど、負けたことは一度もない。
おかげで、僕に挑戦してくる者は誰もいなくなった。
あとは、コンピューター相手に秒殺の時間を縮めていくくらいのことしかできない。
世界的にも人気のあるゲームなのだが、e-スポーツのトップランカーに挑戦する自信と機会には、まだ恵まれていなかった。
でも、こんな女の子に叱り飛ばされるほど落ちぶれちゃいない。
「よそ見しないの! 」
たしかに、ゲームが始まる直前まで、僕の注意を引きつけてやまなかったものがあった。
別に、彼女のプロポーションに見とれていたわけじゃないし、視線が誤解されたわけでもない。
その先にあったのは、程よく突き上げられた白いサマーセーターの胸元に光る銀のスプーンだった。
だが、どっちにしろ、僕がうっかり気を取られてしまったことに違いはない。
「な……! 」
勝敗は、一瞬で決まっていた。
それを告げるゲームの画面を前に、もはや言葉もない。
我に返る前に、第1ラウンドは僕の敗北に終わっていたのだった。
隣の彼女は、気の毒そうに眉根を寄せてみせる。
「……ね?」
可愛いだけに、小馬鹿にされると余計に腹が立つ。
対戦相手がいなくなってから久しく忘れていた闘志が、身体の中からふつふつとたぎってくるのが分かる。
第2ラウンドが始まると同時に、僕は吼えた。不敵に微笑む黒髪の少女に、負けるわけにはいかなかった。
だが、1分も経たないうちに、宮本武蔵は3つのユリの花をあしらった旗で叩きのめされ、その場に崩れ落ちた。
「あ~あ……」
残念そうにため息を吐いて、少女が立ち上がる。
僕の身体が熱くなった。
「待って……」
生活を切り詰めているというのに、予定外の100円が筐体に消える。
「行け、シラノ・ド・ベルジュラック! 」
派手な羽根帽子をかぶった大鼻の巨漢が、画面上でレイピアを一振りする。
それは、ゲームの中で戦う、僕の分身だった。
黒髪がさらりと揺れて、少女が席に戻る。
「受けて立つわ」
次の100円が放り込まれる音がした。