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銀のスプーンを目の前に

「連れていけって……そういう意味だとは」

 四畳半ワンルームのアパートで、僕はため息をつきながらへたりこんだ。 

 隣の空き地に陣取っている大きな木を前にしたベランダから、夕暮れ時の風が涼しく吹き込んでくる。

 目の前にちょこんと正座しているのは……。

 まさか、この美少女と、ひとつ屋根の下で暮らす羽目になるとは思わなかった。

「よろしくね!」

 ガラスのように澄んだ目で見つめられると、もう沈黙するしかない。


 ことの起こりは、ここだった。


 岐阜市近郊のショッピングモールに、最近できたゲームセンターがある。

 その名は「フェニックスゲート」。

 高3の夏休み、そこでバイトしていた僕は、ようやくシフトが空いたところで、制服のエプロンを外した。

α(あるふぁ)」の文字が正面に大きくプリントされている。

 そのロゴが張り付けられた店の、筐体のひとつに向かう。

「さて……」

 貴重な息抜きの時間を余すことなく使い切るために、僕は投入するコインを額に当てて念を込める。

 目の前は、格闘ゲームの定番コンロトーラーがある。

 左手のスティック。

 右手には、「弱」「中」「強」の攻撃用と「防御」「投げ」「蹴り」用の6つのボタン。

 対戦コンピューターのレベルは「MAX」だ。


 ……今日も、秒殺。


 その精神統一の儀式を邪魔してくれた者がいた。

「面白いことしてるのね」

「な……」

 ちょっと、イラっときた。

 僕は、真剣なのだ。

 これでも、e-スポーツのプロを目指している。

 いつか僕の前に、ゲーム会社のマネージャーが「公式アンバサダーになりませんか」とスカウトに現れる。

 そんな日を夢見ていた。

 だから素人相手には怒るまいとしていたのに、次の一言はそれを許さなかった。

「勝負してみる? 負けた方の奢りで」

 さすがに振り向かないわけにはいかなかったが、そこで僕は息を呑んだ。


 ……かわいい。


 川の流れを思わせる黒髪に、僕をまっすぐ見つめる澄んだ瞳。

 純白のワンピースの大きく開いた胸元や、すらりと伸びたサンダル履きの足が眩しい。

 そんな僕のまなざしなど知らん顔で、その美少女は隣の筐体に着いた。

「ゲームは……アルファレイドの〈リタレスティック・バウト〉ね? 」

 筐体の側面には、そのシンボルロゴ「α(あるふぁ)」の文字が大きくあしらってある。

 僕たちの正面にある大きなスクリーンには、デモ画面が映っている。

 

 京の五条の橋の上で、牛若丸と弁慶が戦っていた。


 結構、血しぶきも飛んだりするので、女の子向きじゃない気がする。

「言っとくけど……僕は強いよ?」

 遠回しに止めたつもりだったが、からかうような目つきで、ふうんと笑われただけだった。


 ……見てろ。


 筐体に100円放り込んで、キャラクターに宮本武蔵を選ぶ。

 対戦相手には、塚原卜伝が現れた。


 ひと蹴りくれて、脳天への一撃で屠り去る。

 コンピューター相手なら、いわゆる「必殺技」を使うまでもない。

 最初のラウンドは、1分も経たないうちに僕の勝利に終わった。

 だが、スクリーンに、いきなり現れた文字がある。


  「挑戦者現る」


 総髪の老人の代わりに武蔵と対峙したのは、銀色の鎧をまとった少女だった。

 手にしているのは、百合の花を三つあしらった白い旗。


 ジャンヌ・ダルクだ。


「な……」

 僕が言葉を失ったのは、日本の剣豪にフランスの聖女という取り合わせに呆れたからではない。

 勝敗は、一瞬で決まっていた。


 格闘ゲームの最大の売りである「必殺技」の応酬は、なかった。

 二刀を取り落とした宮本武蔵が、ジャンヌ・ダルクの槍の一撃に倒れ伏す。

 我に返る前に、第1ラウンドは僕の敗北に終わっていたのだった。


 隣の彼女は、気の毒そうに眉根を寄せてみせる。

「……ね?」

 可愛いだけに、小馬鹿にされると余計に腹が立つ。

 対戦相手がいなくなってから久しく忘れていた闘志が、身体の中からふつふつとたぎってくるのが分かる。

 今のところ、僕は、機械相手にもプレイヤー相手にも、常勝無敗だったのだ。

 名古屋、大垣あたりのゲーマーには、ちょっと知られた存在になっている


 「フェニックスゲート」に長谷尾はせお英輔えいすけあり。


 負けるわけにはいかなかった。


 ……ちょっと、油断しただけだ。


 不敵に微笑む黒髪の少女に、負けるわけにはいかなかった。

 第2ラウンドが始まって1分も経たないうちに、宮本武蔵は3つのユリの花をあしらった旗で叩きのめされ、その場に崩れ落ちた。

 残念そうにため息を吐いて、少女が立ち上がる。

「あ~あ……」

 僕の身体が熱くなった。

「待って……」

 声が震えているのが分かる。

 こんなところで負けているわけにはいかなかった。


 長良川の上流の中学校を卒業して、岐阜へ出てきて、高2の夏にここのバイトに入った。

 休憩時間に、この〈リタレスティック・バウト〉で何十人というプレイヤーと対戦したけど、負けたことは一度もない。

 おかげで、僕に挑戦してくる者は誰もいなくなった。


 だが。


 もっと、遠くに行きたい。

 もっと、広い世界を見たい。

 そのための出口が、対戦型ゲームだった。


 生活を切り詰めているというのに、予定外の100円が筐体に消える。


「行け、シラノ・ド・ベルジュラック! 」

 派手な羽根帽子をかぶった大鼻の無頼漢が、画面上でレイピアを一振りする。


 それは、ゲームの中で戦う、僕の分身だった。

 黒髪がさらりと揺れて、少女が席に戻る。

「受けて立つわ」

 次の100円が放り込まれる音がした。

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