~ ある朝の出会い ~
少しだけ汗ばむ陽気。初夏。
なんでもない日々、毎朝高校に行くために通る片側二車線の道路。そこに架かる、歩道橋。ここを渡れば、高校まではほぼ一直線だ。
足が、前に進まない。
歩道橋の階段を昇りきり、ちょうど真ん中に差し掛かったところで一人の男子生徒が立ちつくしていた。
高校二年生、上野木 雪哉。
朝の登校時間ギリギリ、いや、もうまもなく鐘が鳴るだろう。
周りにはすでに学生の姿は見えない。
それでも、雪哉の足は動かなかった。
少しうつ向いているその顔色は悪く、口の端には切れた傷跡と痣が残っている。
キーンコーンカーンコーン………
鐘が遠くで聞こえた。
その音を聞いて雪哉の足はようやく動き、90度角度を変えた。
手すりにソッと手をかける。
下を見下ろすと、通勤時間帯だけあって多くの車が走っていた。
しばらく焦点の合わない視線で道路を見下ろしていたが、手すりに乗せていた両手にグッと力を入れて上半身を乗り出し、少しの段差に足をかけた。
「おーいおい、もう鐘鳴ってんぞー?サボりかー?不良だねぇ」
「……!?」
すぐ隣から突然声をかけられ、驚きを隠せない。
今の今まで歩道橋の上には雪哉以外に誰もいなかった…はずなのに。
「っうわ…!」
驚きのせいで両手に体重をかけていた不安定な体勢から片手をすべらせ、グラリと上体が空中に傾く。
落ちる…!と、覚悟したその直後、ガシッと服を掴まれて後ろに引っ張られた。勢いでドサッとしりもちをつく。
「いっ…てて……」
「うぉー、やっべぇ(笑)今のめっちゃヤバかったな!あははは!」
何がそんなにおかしいのか。
たった今、目の前で人が転落しそうになった危ういシーンを見たにも関わらず、一人で大笑いしている…女性。
見知らぬその女性は僕よりも年上で、20歳前後だろうか。
高い位置でキュッと結い上げられたストレートの髪は動くたびに朝の光りが反射してキラキラと揺れる。薄いメイクなのに目がパッチリしていて明るく勝ち気な印象を受ける女性だった。
「だいじょーぶか?ケツいてぇ?」
美人なのにだいぶ口が悪いその女性は、雪哉に手を差しのべてきた。
まだ心臓がバクバク言っている。
混乱した頭のまま、その手を握って起こしてもらった。
「ははっ!ビビらせちゃった?ワリーワリー(笑)」
「あ、…いえ、大丈夫…です」
立って見ると、以外と背は高くない。
175センチの雪哉より頭一つ分小さかった。
「んで?下になんかいいもんでもあったのか?」
大笑いしていた無邪気な笑い顔からスッと、真剣な顔になる女性。
改めてその目を見つめると、初めて会ったはずなのにどこまでも見透かされてしまいそうな強い眼差し。
いや、見抜いているのだろう。
先程までの雪哉の行動は、誰が見ても…自殺行為だ。
「………いえ、なんでもないんです…じゃ………」
見知らぬ女性に、いきなり身の上話をするつもりはない。
されたって困るだろう。
それでも、ありがとうなんて言葉は言えなかった。
もう目を合わせることはしなかったが、その女性は去っていく僕に何も言うことはなかった。
それが、奇妙な女性との出逢い。