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第二話

 都市国家トトに着く頃には日もとっぷりと暮れ、吐く息が白くなり始めていた。満天の星と天の川がかかり、地平線の向こうに沈んでいる。地球は丸いというが、この空を指で辿ると本当に丸いのは天球の方なのではないか、という錯覚に陥る。地平にはトトから漏れ出る騒がしい光が灯り、空には物言わぬ星々が鎮座するのは荘厳ささえ感じられ、この都市におれが入るのだと思うと、高鳴る心臓が口から飛び出してしまいそうだった。


 おれは簡単な検査を受けて入国した。寒い夜だというのに岸と中洲を繋ぐ大橋の人通りは多く、通り過ぎる人、追い越す人の多くは背中に行李を背負っている。逆におれのような旅人は皆既に眠ってしまっているのか何処にもいなかった。おれも宿を取らなければならないが、中洲に近付くにつれて増える舳先にランタンを灯した『渡し舟』を見ると、そんなことはどうでもよくなってしまった。


 中洲の中には道の代わりに水路が張り巡らされ、背の高い建物が所狭しと屹立している。これが噂に名高い花崗岩をくり貫いて作った住居だ。軒並み二階建てで、屋上は小橋で繋がれているから、屋上を歩くこともできるが、おれはラモーンという老齢の男が船頭を執る『寄合渡し舟』で移動することにした。客はおれ一人だけだった。何人もの酒飲みたちが、一人用の『渡し舟』で水路を縫っては吐きを繰り返し次の酒場を目指す姿は面白かった。魔法の光が至るところの看板を七色に光らせ、その下では地図を読めた。おれが今いる中洲はアフ島という名の中洲だった。ここはまさに夜の町だった。


 しばらく『寄合渡し舟』でアフ島を散策していたおれは、そろそろ酒場に入りたくなった。


「船頭、ここいらに一番大きな酒場はないか?」


「ありまっせえ隻眼の旦那。旦那はここは初めてですかい?」


「ああ、初めてだ」


「だったら、『魚追い亭』がおすすめだあ。あすこはここいらで一番大きな酒場ですから、ぼったくりの心配もねえし、酒も料理も豊富でさあ」


「じゃあそこへ頼む」


「おうよお」


 ラモーンが舵を切り行き先がぐるりと変わる。『寄合渡し舟』のような大きめの舟でも操作性は抜群だ。舟がしばらくジグザグに進むとラモーンが「ところで旅人さんはどこから来たんで? ここいらじゃああまり見かけない髪の色をしているが……」とおれに問うた。


「烏みたいに黒いだろ? 生まれは北方のクィンだ。一年中雪が降るような場所だ」


「はえー、北方と言やあ最近は戦争で大変だって新聞で騒いでいたなあ。家族は大丈夫なのかい?」


 ラモーンは舵を取りつつも、おれを本気で心配しているらしく、その顔はまるで子を思う親のようだった。尤も、おれは孤児だから親の顔なぞ知らないし、ましてや家族は生まれてこのかた一度もできたことがない。旅の途中で見た何処かの家族がこんなような顔をしていたから言ってみただけだ。それに、クィン出身だと言っても、住んでいたのは片手で年を数えられるくらいの年の頃だったのでよく覚えていない。


「どうだろうな、長らく会っていないし……まあそうそう死ぬものじゃないだろ、家族っていうのは」


 おれは嘘を吐いた。何故吐いたのか、と問われれば返答に困るが、強いて言えば嫌だったのかもしれない。家族がいない奴だと思われるのが嫌だったのかもしれなかった。


「……すまねえ、嫌なことを聞いちまったな」


「いいんだ。気にしないでくれ。それはそうと船頭。ここは本当にいい場所だな」


 おれはこういう空気が苦手だ。だからさっさと話題を変えることにした。


「お、おうよ。ここは最高でっせえ。色んなとこから物は流れてくるし、酒も旨い。ここから二三島を移れば娼館もある。昼夜の気温差が厳しいのが玉に瑕だが、この時期なら昼は水底のモザイク画、夜は水面に反射する夜景が相殺してくれる」


「ほう! 水底のモザイク画というのはどういうものだ?」


「ほら、今は夜だからなんも見えやしませんが、ここの水路は綺麗に澄んでんで、昼になると底に貼られたモザイク画が陽の光を受けてきらきら輝くんでさあ。毎年それに見とれて落ちる輩が絶えませんで、困ってるのなんの」


 とは言うものの、ラモーンの顔は本当に困っているようには見えなかった。おれは試しに顔を水面に近付けてみた。無論見えるはずもないが、もしかするときらびやかな明かりが水底を照らしてくれるかもしれない、と思ったのだ。


「あっはっは、旅人さん。それは明日の楽しみ取って置きんなせえ。ほうら、もうすぐ『魚追い亭』に着きまっせ。今濡れたら風邪を引いちまう」


 おれは言われるがまま身を引いた。舟が幾度目かの曲がり角を右に折れると、大きな建物が目に飛び込んできた。『魚追い亭』と書かれている看板が下がっている。小さな波止場には沢山の『渡し舟』がもやい綱に繋がれていた。おれは最後に、道中の宿場町から気になっていたことを聞いてみることにした。


「乾季になるとこの水路が皆枯れると言うのだから信じられんな。船頭、乾季はこの水路を歩けるのと聞いたがそれは本当なのか?」


「ええ、歩けまっせえ旅人の旦那」


「一体、どういう魔法を使っているんだ?」


「魔法だなんて……そんな大層なものは使っていませんぜ。メセニー川の上流が冬になると雲は全部上流の方へいっちまって雪になる。すると川も凍る。結果、乾季になる。そうなると川の水量が減少して水路が干上がるって寸法でさあ」


「なるほど、季節と気流の変化か。いや、もしや海流も……?」


「なんだか難しい顔をなさっていますねえ旦那。もしや旦那は学者さんですかい?」


「ん? まあ、そんなところだ。実地調査って奴だ」


「はあ、あっしにはよくわかりやせんが、旦那は凄い方だったんですねえ」


 舟は喧騒に近づいていく。酒場に到着した。船頭が犇めく舟を掻き分け停泊するスペースを確保すると無理矢理ねじ込んだ。おれは船頭に礼を言ってから運賃を払い、ついでにチップも乗せておいた。船頭は目を丸くして、ここで待っていると言い張ったがおれはその提案を辞退した。


「でしたら、旦那! 飲むときにあっしの名前を出してくだせえ。あっしはここの常連だから店主が一杯ただで出してくれる」


「ありがとう」


「いいや、礼をいうのはこっちの方でさ。旦那の旅の成就を願ってますぜえ」


 ラモーンは夜の光に去っていった。おれはそれを手を振りながら見送った。やがてラモーンの姿は見えなくなる。


「さてと」


 これから面倒臭いことをしよう。本来ならば、しなくてもよかったことだ。昼間の魔法使いから盗られた物を取り返すのだ。あの中にはおれの旅路に必要不可欠なものもあるからな。あれがなくちゃあ夜も越せない……というのは言い過ぎだがそれと似たようなものなのでここはそう言っておく。奴はここ『魚追い亭』にいる。一日に二度も魔法使いと関わりを持つなんて、おれの不幸ランキングに余裕でランクインする不幸だ。気が滅入るよ。


 まあ、斯く言うおれも魔法使いなのだから差し引きゼロなのか? いや、マイナスとマイナスを足せばより大きなマイナスになるからそうはならないか。元より魔法使い同士は険悪なのが常識だし、これも当たり前のこと。精々、大事にならないよう気を付けながら交渉しよう。おれは『魚追い亭』の戸を押し開けた。


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