第二章 異国からの訪問者③
――と、アシュレイ家の公爵令嬢がここぞとばかりに幼馴染に甘えている頃。
王都の一角。とある豪勢な館にて、もう一人の公爵令嬢は軽く目を見開いていた。
リーゼ=レイハート。
蜂蜜色の長い髪と、同色の瞳。頭頂部で髪を束ねる赤いリボンがよく似合う、メルティアにも劣らない美しい少女だ。
ややあって、彼女はその美麗な顔を曇らせた。
「……アルフレッド=ハウルさま、ですか」
と、反芻する。
彼女の目の前には執務席に座る父――この国の四将軍の一人であり、レイハート公爵家の当主であるマシュー=レイハートがいた。
年齢は四十代半ばから後半。鉄面皮のように無愛想な面持ちをした人物だ。
「ああ、そうだ」
と、マシューが答える。
それから手に持つ資料を一瞥し、
「グレイシア皇国の――ハウル公爵家。その跡取りだな」
一拍置いてそう続ける。
「年齢は十六歳。すでに飛び級で皇国の騎士学校も卒業している。騎士見習いではなく正規の騎士として現在は皇国騎士団に所属しているそうだ」
「…………」
リーゼは無言のまま、自分と同じ蜂蜜色の髪を持つ父を見つめた。
ハウル公爵家。隣国であるグレイシア皇国の名門中の名門だ。さらに勇猛果敢と謳われる皇国騎士団の団長を何人も輩出している騎士の家系としても有名な一族でもある。
だが、それはあくまでグレイシア皇国内でのことだ。
今でこそ友好関係にあるが、皇国とはかつて戦争もした事がある間柄。ハウル公爵家とはこれまで縁を結ぶ機会はなかった。
リーゼは怪訝そうに眉根を寄せて父に問う。
「……どうして突然、ハウル家がエリーズ国に訪問を?」
この時期にエリーズ国には大きな催しはない。
友好のための一団だとして、何とも中途半端な時期だった。
「それについては、後で教えよう」
父の返答は素っ気ない。
「ただ、アシュレイや他の将軍達にも頼んでな。陛下のご許可も頂き、彼の滞在期間中は我がレイハート家が面倒を見ることにした。それは先方にも伝えてある」
リーゼは小首を傾げて再度尋ねる。
「レイハートがハウル家の応対をですか? それはまたどうしてでしょうか?」
相手は他国の公爵家の人間。応対を四大公爵家の一家が受け持つのは理解できる。
しかし、今の父の言葉だと四公爵家による合議と言うよりも、レイハート家が積極的に来客の応対を引き受けたように聞こえたからだ。
すると、マシューはふっと口元を歪めて。
「はっきり言えば、ハウルの跡取りに興味があるからだ」
「……興味、ですか?」
眉根を寄せるリーゼをマシューは一瞥し、「ああ、そうだ」と答えた。
そしてレイハート家の当主は、指を組んで話を続ける。
「今回の件でお前には彼と友誼を結んでもらいたいと考えている。いや、可能ならば『婚姻』という形さえも視野に入れている」
「――なッ!?」
思いがけない父の言葉にリーゼは瞳を大きく見開いた。
が、すぐに隠しきれない怒りを宿した表情で父を見据えて、
「お父さま」
淡々とした声で告げる。
「その関連の話は断って頂けると、ご了承してくださったはずですが?」
「確かに言ったな」
マシューの声も淡々としたものだった。
「だからこそ『可能ならば』と告げたのだ。そもそも見合い話ではないし、強要する気もない。もしハウル家と婚姻ともなれば互いの継承問題も含めて厄介だからな。まあ、友誼に関しては結んでもらいと思っているが、お前の夫として迎えるのは何のしがらみもなくレイハート家に婿入りできるような人間が理想だと考えているよ」
と、父は皮肉気に言う。
「ならば、どうして『婚姻』を視野に入れていると仰ったですか?」
リーゼは父の意志が以前と変わっていないことに安堵しつつも、さらに問う。
すると、マシューは椅子の背もたれに寄りかかり嘆息した。
「彼が特別だからだ」
「……特別、ですか?」
リーゼが眉根を寄せた。
「ああ、特別だ。叶うのならば血縁に迎えたいほどにな」
マシューは深々と頷いた。
「なにせ、このハウル家の跡取りは……」
そして父は自分が事前に掴んだ情報を娘に語り始める。
リーゼは困惑を宿した顔で静かに父の言葉に耳を傾けていたが、話が進むにつれて徐々に目を見開いていき――。
「…………え」
話を聞き終えたところで、唖然とした声を上げた。
マシューは娘の反応に、確信の笑みを見せて首肯する。
「どうだ? お前も彼に興味を抱いただろう?」
「そ、それは……」
リーゼは困惑した表情を浮かべた。
マシューはふっと目を細める。
そして騎士団を率いる長の一人として騎士を志す娘に告げた。
「もう一度言うが強要する気はない。だが一度会ってみろ。彼との邂逅は恐らくお前にとっても得難い経験になるだろうしな」
◆
「――さあ、いらっしゃあーい!」
大通りに威勢のよい呼び込みの声が響く。
「今日は新鮮な野菜が沢山入っているよ!」
そこは人口が八十万人を超すエリーズ国の首都・王都パドロにおいても最も店舗数が多いと言われる大通りの一角だった。
時刻は昼を少し過ぎた頃。空は快晴で普段よりも人通りは多い。
そんな中を一人の紳士が杖をつきながら進んでいく。
ふと、紳士は青果店の前で足を止めた。
視界に映るのは色鮮やかな果物達。紳士は目を細めてあごに手をやり、
「ぬふ。このリンゴを一つもらおうか」
「へい。ありがとうございます!」
威勢の良い若い店員が笑みを浮かべて応える。
次いで棚から指定されたリンゴを取り、小さな袋に入れようとするが、
「ああ、そのままで構わぬよ」
と、紳士に止められる。店員は「へい! ありがとうございます!」と言ってリンゴを紳士に手渡した。紳士は銅貨を二枚渡すと「ありがとう」と言って店を去った。
そして石畳で舗装された歩道を優雅な足取りで一人歩き、街路樹近くに設置された長椅子を見つける。彼は腰を下ろすと一息つき、しゃくりと赤いリンゴに齧りつく。
「おお、美味である」
紳士は満足げな顔でリンゴをさらに齧る。そして瞬く間に芯だけ残して食すと、紳士服のポケットから白い布を取り出して芯を包み、懐にしまう。
それから長椅子に座ったまま、改めて街中に目をやった。
石造りの街並みに、街路樹が多い歩道。店舗で働く店員達に、子供連れの若い母親。行きかう人々は誰もが精気に溢れているのが分かる。
――『森の国』・エリーズ国。
近隣ではグレイシア皇国に次ぐ大国だけあって相当な盛況ぶりだ。
「……ぬふふ、これはこれは」
獅子のような容姿を持つ紳士は笑う。
「皇国に比べれば劣ると考えていたのだが、中々の国ではないか。これならば思いのほか良き出会いがあるかもしれぬな」
そう呟いて長椅子から立ち上がる紳士。
そしてコツコツと杖をつき、彼は人混みの中に消えていった――。




