第一章 少女達の日々①
「……うんしょ」
ベッドシーツの山を抱え、その少女は小さく呟いた。
年齢は八歳ほど。腰まで伸ばした長い髪は薄い緑色で、瞳も同じ色だ。銀色の小さな王冠付きカチューシャを付けたメイド服の少女だ。
幼いながらも美しい顔立ちをしたその少女――アイリ=ラストンは、彼女の住み込みでの勤め先である館の裏庭で洗濯物を干していた。普段はただ雑草が生えているだけの裏庭には、今回のために数十の物干し台が設置されている。
「……流石に量が多い」
台替わりの木箱に乗って一枚のベッドシーツを干し終えたアイリは、ひと息ついた。
今日は天気が良い。『十の月』でありながら夏を思わせる陽気さだ。アイリはこの機会に普段は使用しない部屋のベッドシーツを一斉に洗濯することにしたのだ。
しかし、彼女の勤め先である館――アシュレイ公爵家の別館・通称『魔窟館』は無駄に広い。その部屋数も多く、一斉にともなると流石に重労働だった。
アイリは一度大きく伸びをすると、
「……けど、もうじき終わり」
木箱から降りてそう呟く。
続けて、少女は長い髪を揺らして裏庭を見渡した。
庭師がいないため、雑草が目立つ裏庭。さほど珍しくもない景観だが、今だけはある意味とても奇妙な光景に変わっていた。
「……コッチ、オワッタ」「……ウム。コチラモオワリ」「……ニンムカンリョウ」
と、そんな会話が聞こえてくる。
アイリの視界には今、五十体ほどの小さな鎧騎士達の姿が映っていた。
身長は幼児並み。丸みを帯びた紫色の鎧で全身を固めた、まるで玩具のような愛らしさを持つ騎士達。背中から伸ばした短い尾をぷらぷらと揺らして忙しく動いている。
ベッドシーツを干すために、裏庭に集結した彼らは人間ではない。
この館の主人である少女が造り上げた自律型鎧機兵――『ゴーレム』だ。
機械である証拠に、アイリよりも身長が低い彼らの何機かは、ワイヤーで繋がった両腕を伸ばして器用にシーツを干していた。アイリにとっては実に頼りになる『同僚』達なのだが、シュールな光景すぎて思わず笑みを零してしまう。
するとその時、
「……フクチョウ。オワッタカ?」
いつの間にか傍にいた、ゴーレムの一機が声を掛けてきた。
機体番号は二十八号。アイリの護衛役も兼ねる機体だ。
「……うん。終わったよ」
アイリがそう答えると、二十八号はこくんと頷き、
「……キュウケイスル。アニジャガヨンデイル」
と言って、裏庭の一角を指差した。
アイリが目をやると、そこには丸テーブルが用意されており、頭部に小さな王冠を付けたゴーレムが紅茶を準備していた。ゴーレム隊――自称『メルティアン魔窟騎士団』の団長である最古のゴーレム、零号だ。他にも数機のゴーレム達が、椅子のセッティングをサポートしていた。
「……ハタラキスギ。ダメ、ゼッタイ」
と、二十八号が忠告してくる。アイリは少しだけ苦笑を浮かべてから「……うん。そうだね」と答えて、二十八号と共に零号の元へと向かった。
そして二十八号、零号も含めた数機のゴーレム達に歓迎された状況でアイリは丸テーブルの席に着く。零号はアイリの向かい側の椅子によじ登って座り、他のゴーレム達はその場にドスンと腰を降ろした。
零号が淹れてくれた紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、アイリは零号達に「……ありがとう」と礼を言った後、紅茶に口を付けた。アイリは瞳を細くする。良質の紅茶だ。彼女の主人である少女はエリーズ国の公爵家の人間。この紅茶も有名な銘柄の品だった。
故郷では味わう機会もなかった紅茶をアイリは堪能した。
「……粗茶デアリマスガ」
と、零号が言う。アイリはくすりと笑った。
一体彼らは、どこでそんな言葉を覚えてくるのか不思議だった。
「……そんなことはないよ」
ともあれ、そう返してから彼女は蒼い空を見上げた。
今日は本当によい天気だ。
森の王国の空を白い鳥が群れをなして飛んでいた。
そんな平穏の中、アイリはふと思う。
この日常をくれた彼女のご主人さまは今頃、何をしているのだろうか?
◆
雄大な森に覆われた王国・エリーズ国。
その王都・パドロの一角にあるエリーズ国騎士学校のグラウンドは今、大きな期待感と緊張感に包まれていた。四十名ほどの生徒達がグラウンドの周辺に陣取り、固唾を呑んでグラウンドの中央にて対峙する人物達に注目しているのだ。
「いよいよか」「ああ、いよいよだな」
抑えきれない興奮に、ざわつき始めるグラウンド。
そんな中、
「……遂に雌雄を決する時が来たのでござるな」
と、口火を切ったのは中央に立つ人物の一人だった。
身に纏うのは襟まで締めるタイプの黒を基調にした制服と、腰に巻いた白い布。
クラス内ではたった二人しかいない黒髪と黒い瞳が特徴的な少年だ。
名前はフドウ=アカツキ。
東方の大陸アロンの血を引く騎士学校の生徒だった。
『いえ、あなたと私にそこまで因縁はないはずですが?』
と、答えるのは彼と対峙するもう一人の人物。
彼女も騎士学校の生徒なのだが、その装いはフドウと大きく違い、異様だった。
全身に纏うのは紫銀色の分厚い全身鎧。丸みを帯びたシンプルな装甲であり、背中に大きなバックパックを背負っている。ヘルムにはネコ耳を彷彿させる出っ張りがあった。
完全武装のその姿はある意味圧巻だが、それ以上に特徴的なのは彼女の身長だ。
彼女はまだ十五の少女でありながら、二セージルにも至るほどの巨体の持ち主なのだ。
彼女の名前は、メルティア=アシュレイ。
四大公爵家の一つ、アシュレイ家の令嬢であり、このエリーズ国騎士学校にて『剛令嬢』または『ゴーレム姫』とも呼ばれている、アイリの主人たる少女だった。
『そもそも以前から疑問に思っていたのですが、何故「雌雄」なのでしょうか。今回のように男女が対峙すれば、最初から雌雄は特定されていると思うのですが』
と、続けてメルティアが言う。
「いや、それを拙者に問われてもな……」
対するフドウは、ポリポリと頬をかいていた。
「こらこら、お前達」
すると、彼らの近くにいた人物が声を上げる。
「模擬戦前だぞ。私語は慎むように」
そう告げた人物は、担任教師であるアイザック=ハリーだ。
審判を務めるため、彼だけはグラウンドにいた。
「さて。それよりも」
アイザックは表情を引き締め、大らかに宣言する。
「これより鎧機兵を用いた模擬戦を始める。双方、鎧機兵を召喚せよ」
「「「うおおおおおおお!」」」
審判の開始宣言に、生徒達のテンションは上がった。
同時に、メルティアとフドウの表情には緊張が浮かんでいた。
「フドウ! 頑張れ! かませ犬たるお前の真髄を見せてやれ!」
「いよいよ剛令嬢の鎧機兵の初お披露目か。さあ、フドウ! 五秒だ! せめて五秒は持たせるんだぞ!」
「屍は拾ってやる。安心しろ」
と、フドウと仲の良い男子生徒達が声援(?)を贈る。
一方、メルティアの方には、
「メルちゃん! 大丈夫! そいつ簡単に死なないから!」
「潰すつもりでやっても大丈夫だよ!」
女子生徒からそんな物騒な声援が贈られていた。
と、その中には、
「メルティア! 落ち着いて!」
心配そうな声でそう叫ぶ女子生徒もいた。
蜂蜜色の長い髪を赤いリボンで結んでいる少女。少しだけ険はあるが、凛々しく美しい顔立ちをしており、スレンダーなスタイルから活発そうな印象を抱かせる少女だ。
華奢であり清楚。そして気品もある美少女。そんな風に多くの男子生徒からメルティアと正反対のイメージと好意を抱かれている彼女の名前はリーゼ=レイハート。
メルティアと同じく四大公爵家の一つ、レイハート家の令嬢であり、メルティアにとて最も親しい友人でもあった。
メルティアは、友人の声援にこくんと頷く。
緊張していた心が少しだけ落ち着いてきた。
出来ることなら『彼』の声も聞きたいのが本音ではあるが、『彼』が今いるのは男子生徒の集まっている場所。男子生徒の大きな声の中から『彼』の声だけを拾い上げるのは彼女の『鎧』の機能を使っても困難だった。
(……仕方がありませんね)
メルティアは小さく嘆息した。まぁ、構わないか。まずはこの模擬戦に勝利し、『彼』には後で存分に誉めてもらえればいいだけのことだ。
(さて)
そしてメルティアは今回の模擬戦の相手であるクラスメートに目をやった。彼はすでに召喚器である短刀を身構えていたが、その顔はかなり引きつっている。
どうやら緊張しているのはお互いさまのようだ。
しかし、フドウはすでに模擬戦は幾度も経験している。未知の対戦相手におよび腰にはなっていたが、すぐに表情を引き締め直した。
「来るでござる! 《明王》よ!」
そう叫び、愛機を召喚した。
そしてフドウの前で輝く転移陣から出てきたのは真紅の機体だった。
全高は一般的な機体よりも少しだけ大きい。丸みを帯びた黒い装甲に対し、縁取り部に炎を象ったような装飾を取り着けた鎧機兵だ。武器は短めの双剣。鍔の部位と柄の端が蓮華を彷彿させる武器だ。アロンから留学生だけあって、フドウの愛機はこの国ではあまり見かけない珍しいデザインだった。
フドウは胸部装甲が開いた愛機の操縦席に素早く乗り込んだ。そして《明王》の両眼が鋭く光り、東方の巨人は雄々しく双剣を身構えた。
『さ、さあ! いざ尋常に勝負!』
と、拡声器を通じてフドウが勇ましく宣言する。とは言え、メルティアには対人戦で惨敗した記憶が焼き付いているため、その声はかなりブレていたが。
『ええ。そうですね。では……』
一方、メルティアは冷静な声でそう答えると、右拳をすっと掲げた。
まるで勝利を宣言する王者の構えだ。『鎧機兵などいらぬ。貴様など素手で充分だ』と言われたようで、フドウはギョッとする。
『ま、まさか素手でぶちのめす気でござるか!?』
思わず訊いてしまう。なにせこの剛令嬢なら本当にあり得そうだからだ。
しかし、メルティアはかぶりを振り、
『……いえ、流石にそれは無理です。何よりこれは鎧機兵の模擬戦でしょう』
と、呆れた口調で返す。
幾らなんでも、鎧機兵が相手では『この姿』であっても挑むのは無謀だ。
当然、今回の模擬戦のためにメルティアは専用の機体を用意している。
ただ、手を上げたのにもそれなりの理由がある。
多くの鎧機兵乗り達は、フドウのように短刀や、もしくは短剣などの小型の武器を召喚器に選ぶものなのだが、彼女が用意した召喚器はこの『鎧』自身なのである。
まあ、別に拳を大仰に掲げなくても喚べるのだが、そこはいわゆる雰囲気作りだ。
彼女はどんなことでも、まずは形から入るタイプだった。
『では来なさい。《フォレス》』
そうしてメルティアは厳かに『愛機』の名を告げる。
同時に光輝く右の拳。溢れ出た光は彼女の前で疾走し、瞬く間に転移陣が描かれ、その中から徐々に鎧機兵の影が浮かび上がる。
「「「お、おおおおお……」」」
観戦する生徒達から大きな声が湧きあがった。
かくして、遂にメルティアの『愛機』が姿を現すのであった――。




