第八章 《悪竜》と《妖星》のダンス⑤
『……ほほう。随分と強気に出たの。コウタ』
リノは《水妖星》の中で「ふふっ」と笑った。
それから、処刑刀を構える《ディノス》をまじまじと見やる。
神話の中の最強の怪物、《悪竜》を彷彿させる黒き竜装の鎧機兵。
確かにその鎧装は見事なモノだが、彼女の操る《水妖星》と《ディノス》では性能差が歴然だった。正直なところ比較にさえもならない。
それでもなお『最強』を謳うとは、あの少年は思いのほか負けず嫌いのようだ。
(じゃが、それぐらいの覇気がなくてはの)
リノは操縦棍をグッと握りしめて、双眸を細めた。
負けず嫌いは大いに結構。彼女の望みを叶えるためにも、彼にはそれぐらい勝利には貪欲になってもらわなくては困る。
しかし、時には敗北も必要なのも事実だ。
一度折れた骨は、より強く再生するとも聞く。
だからこそ、あえてここで彼を叩いておくのも必然なことかもしれない。
(これもわらわのコウタを鍛えるためか)
そう決断し、リノは愛機をゆらりゆらりと空中で漂わせた。
まるで巨大なサメが獲物を見定めるように《水妖星》は《ディノス》を睨み据える。
そしてその怪物の主人たるリノはふふんと鼻を鳴らし、
『その見かけ倒しの機体で、よく言ったものじゃ』
と、少しばかり辛辣に挑発する。
コウタをより発奮させ、全力を引きだすためだ。
だが、《ディノス》から返ってきたのは予想外の言葉――いや、声だった。
『見かけ倒しとは言ってくれますね。ニセネコ女』
『……なに?』
リノは眉根を寄せた。
返ってきたのは明らかに女の声。聞き覚えのない声だった。
が、困惑するのも束の間で、
(……もう一人乗っておったのか)
リノは即座にそう悟ると同時に、ぶすっと頬を膨らませた。
二種類の声。それが意味することはコウタが今、あの狭い機体の中で女と二人乗りしていることだった。正直あまり面白くない。
『お主は何者じゃ? わらわのコウタの傍で何をしておる?』
そして不機嫌ながらも、情報を引き出そうとするリノ。
対し、《ディノス》に乗る少女――メルティアはムッとした声で返した。
言うに事欠き、コウタを所有物呼ばわりか。
『私ですか? 数時間前ほどに少しだけ会ったでしょう』
『……会ったとな?』
リノは《水妖星》の中で眉をしかめた。
そして記憶を探る……必要もなく思い出す。
『ああ、なるほど。あの時のギンネコ娘か』
高台の公園にいた紫銀の髪の少女。コウタとやけに親密そうにしていたので記憶に強く残っている。が、リノにとってはそれだけの女だ。
『ふん。見た所、お主は戦士ではなかろう。こんな場所で何をしておるのじゃ?』
と、リノが尋ねる。
すると、メルティアはおもむろに口を開き、
『私はどこにいても私の勝手でしょう。いえ、違いますね』
そこで一拍置くと、メルティアはぎゅうと両腕に力を込めて、コウタの背中に自分の身体を寄せる。背中で押し潰される柔らかな双丘に、少年が激しく動揺するのはこの際、完全に無視して、
『私は常にコウタの傍に居るんです』
と、臆することなく宣言する。
その台詞に、リノの額に青筋が浮かんだ。
自分がどれほど望んでも中々出来ないことを、堂々と告げてくるか。
メルティアはさらに畳みかけた。
『あなたこそ《九妖星》の一人が私のコウタに近付いて何をする気なのですか』
『………ほほう』
質問には答えず、リノは紫色の瞳をすうっと細めた。
その上、『私のコウタ』と来たか。
リノは冷たい殺意めいたものを抱いた。どうやら初見であのギンネコ娘を『敵』と見なしたのは、我ながら慧眼だったようだ。
そして《ディノス》と《水妖星》の間に沈黙が降りる。
『あ、あのさ、二人とも』
と、そこでずっと沈黙――実際は二人の迫力に圧されて一言も出せなかった――していたコウタが初めて口を開いた。
『良く分からないけど、少し落ち着いてさ――』
『コウタ。早速あのニセネコ女をぶちのめしましょう』
『コウタ。すまぬが、そのギンネコ娘ごとぶちのめさせてもらうからの』
しかし、コウタの声は二人の少女に一切届かなかった。
二人揃って途轍もなく殺気立っている。メルティアなどコウタの腹筋にしがみつき、爪を立てているぐらいだ。
『え、えっと……』
困惑するコウタだが、もう二人とも何も語らない。
特にリノの方は、完全に戦闘モードに移行している。
もはや言葉は不要といった緊迫した気配を放っていた。少しは説得しようと考えていたのだが、呑気に構えている内にその機会さえも失ったようだ。
二人の少女の有無を言わせない圧力に、コウタは小さく嘆息した。
結局、戦うしか道がないということか。
(けど、それなら……)
コウタは表情を引き締め、《水妖星》を見据えた。
かの《九妖星》の一機。戦闘方法こそ異質だが、恐らくこの機体のポテンシャルは、あの《金妖星》にも劣らないだろう。
ならば、《ディノス》も切り札を以て挑むしかなかった。
「それじゃあメル。いよいよだよ」
「……はい。存分に」
と、メルティアが静かな声で応える。
同時に、すっと処刑刀の切っ先を下ろした。
その様子を見やり、リノが訝しげに眉根を寄せた。
『何じゃ? コウタよ。戦意喪失かの?』
と、尋ねる菫色の髪の少女に、
『いや、違うよ。ああ、そうだリノ』
コウタはふっと少し口角を崩して答える。
『君は一つ勘違いしているよ。ラゴウ=ホオヅキがボクにくれた二つ名。まあ、酷く悪役っぽいあの名前だけど、それは別にボクにだけ送られた訳じゃない。むしろ、この《ディノ=バロウス》の姿に対して送られたモノなんだよ』
『……なんじゃと?』
リノはますます眉根を寄せた。
確かに眼前の竜装の鎧機兵には目を惹くような美しさはある。
しかし、それだけであのラゴウが二つ名を贈るとは考えられなかった。
実力を伴わない見かけだけの存在など、あの男が一番嫌うモノだ。
『どういうことじゃ? コウタよ』
リノは少年に素直に問うた。
すると、コウタは《ディノス》の中で苦笑を浮かべて――。
『まあ、要するに、こういうことなんだけど』
そしてそう告げた途端、
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!
いきなり《ディノス》が雄たけびを上げた。
大きく目を瞠るリノ。が、数秒もしない内に彼女の表情は驚愕に変わった。
『な、なんじゃとッ!?』
突然、《ディノス》の黒い鎧の隙間から赤い炎が噴き出したのだ。
燃え盛る炎は、瞬く間に竜装の機体のほぼ全身を覆った。
赤い炎は月下の渓谷を煌々と照らす。
その姿は、まるで黒い鎧を纏った炎の魔人のようだ。
『な、なんじゃこれは……』
流石にリノも動揺を隠せなかった。
一瞬何かの異常かと考えたが、炎に包まれた機体は、悠然と処刑刀を横に薙いで戦意を見せている。その佇まいに一切の異常はない。
だが、それだけでは情報不足だ。続けて、リノは《万天図》を起動し――そこに記された恒力値に息を呑んだ。
(こ、恒力値が、七万二千ジンじゃと!?)
思わず我が目を疑う。いきなり十倍以上に出力が跳ね上がったのだ。
もはや言葉もなかった。
そして赤い炎を撒き散らし、悪竜の騎士はズシンと地を踏みしめる。
――『海』に漂う《水妖星》と、『炎』に覆われた《ディノ=バロウス》。
ある意味よく似た能力を持つ機体同士は対峙した。
『さあ、今度こそ』
訪れたわずかな沈黙の後。
真の姿と成った《ディノ=バロウス》の中で、コウタは目を細めて告げる。
『真っ向勝負といこうか。《水妖星》リノ=エヴァンシード』




