第八章 《悪竜》と《妖星》のダンス④
(こ、これは、ど、どうにかなっているのでしょうか?)
渓谷の戦場の片隅にて。
零号を含めた数機のゴーレムに護衛されるメルティアは、一人怯えていた。
大岩に身をそっと隠し、戦場から少し離れてはいるのだが、ガゴンッと重い剣戟音が響く度に、紫銀の髪の少女は身を屈めて震えていた。
正直言ってまるで状況が分からない。とりあえずコウタの後を追ってこの場に来たのはいいが、ここでは鎧機兵達が死闘を繰り広げているではないか。
しかも敵は機体の紋章からして恐らく《黒陽社》だ。
着装型鎧機兵にも装備されている《万天図》で調べると三万超えの機体――すなわち《九妖星》の一角までいる。とにかく危険であると察したメルティアは、すぐさまゴーレム達に出陣を命じたが……。
――ガゴンッ!
再び鳴り響く剣戟音。メルティアは肩を大きく震わせた。
怖い。途轍もなく怖い。
戦場は初めてではないはずなのに、まさかここまで怖いとは。
だが、その理由も分かる。
『コ、コウタぁ……』
着装型鎧機兵の中で金色の瞳を涙で潤ませるメルティア。
今までの戦場では、常に彼女の傍にはコウタがいた。
その安心感が、彼女の不安や恐怖をかき消してくれていたのだ。
しかし、今コウタは傍にいない。
ゆえにメルティアは心底怯えていた。
瞳をギュッと閉じ、唇を噛みしめる――と、そんな時だった。
――ズズウゥン……。
「――ッ!」
メルティアは息を呑み、大きく目を見開いた。
何か巨大なモノが着地したような轟音が間近から聞こえて来たのだ。
まさか、この場所が見つかったのか――。
そんな不安を抱く。零号達も「……メルサマ、サガッテ」と警戒していた。
が、すぐにそれは安堵に変わる。
大岩に手をかけ、のそりと覗き込んできたのは見覚えのある機体。
コウタの愛機、《ディノス》だったのだ。
『コ、コウタ!』
メルティアは瞳を輝かせた。
一方、《ディノス》は周囲に敵がいない事を確認してから処刑刀を地面に突き立て膝を屈める。続けて胸部装甲を開いた。中から出てきたのはコウタだ。黒髪の少年はどこか怒っている――と言うより明らかに激怒していた。
「なんで君が戦場にいるんだよ!」
と、滅多に言わない怒号まで上げる。
メルティアは着装型鎧機兵の中で肩をビクッと震わせた。
『だ、だって』
メルティアはゴツイ姿のままコツコツと指先同士をつつく。
『コウタの様子がおかしかったからです。あんならしくないことをして……もしかして危険なことをしようとしているんじゃないかって……』
と、告げるメルティアに、コウタは無言だった。
そして数秒が経過して――。
コウタは内心で嘆息した。
どうやら、むしろ原因は自分の方にあるようだ。
結局、メルティアはただコウタのことを心配しただけなのだ。
コウタは小さく息を吐くと、未だ怯えた素振りを見せる幼馴染に「……メル。そこから出てきて」と告げる。メルティアは怒られると思ったのか、一瞬だけ逡巡するが、すぐに頷くと、着装型鎧機兵の外装を開いて中から出て来た。
そして可憐な姿の少女が戦場に降り立つ。
「コ、コウタ。私は……」
と、何かを語ろうとするメルティアに、コウタはかぶりを振った。
「ここは危ない。まずは《ディノス》に乗って」
「は、はい……」
こくんと頷くメルティア。そしてコウタに手を伸ばす。
コウタはメルティアの手を取ると、彼女を操縦席にまで引き上げた。
ある意味、ようやく安全圏に辿り着いたメルティアはホッとした表情を見せる。が、それも束の間。彼女は訝しげに眉根を寄せた。
いつまで経ってもコウタが彼女の手を離さないのだ。
「コ、コウタ……?」
メルティアは困惑した表情で、目をパチパチと瞬かせた。
そして幼馴染の手の温もりに、少しばかり顔を赤くする。
(え、えっとコウタ?)
正直に言えば、手を握られること自体は別に構わない。
これぐらいのスキンシップは些細なことだ。
それに自分は今、かなり深刻なブレイブ値不足でもある。むしろ抱きしめて欲しいぐらいだった。だから手を握られるのは一向に構わない。
しかし、コウタの意図が分からない。どうして彼はずっと沈黙しているのか。
メルティアは困惑した。
「メルが……ボクを心配してくれたことはとても嬉しいよ」
すると、コウタは手にグッと力を込めて、訥々と語り始めた。
「だけど、それでも危ないことだけはやめて欲しい。ここで君の姿を見た時、本気で心臓が止まるかと思ったよ」
「………コウタ」
メルティアは、少年の名を呟いた。
そこで彼女は改めて自覚する。メルティアが彼を心配するように、コウタもまた彼女を心配するのだ。なのに心配しているのは自分の方だけだと思い込んでいた。
危険な場所に向かえば、彼女も危険に晒されるのは自明の理だ。焦るあまり、自分の安全にまで頭が回っていなかったのである。
(……そういうことですか)
彼女はようやく理解した。
コウタが自分の手を離さないのは失う事を恐れてか。
この手の温もりは、自分がコウタに大切に思われている証だった。
(……ふふ)
心の中で微かな笑みをこぼす少女。
そう思うと不謹慎ではあるが、メルティアは少しだけ嬉しかった。
「すみません。確かに軽率な行動でした。ですが……」
しかし、それでも彼女は、これだけは譲れない点を告げる。
「戦場に出る時ははっきりと私に告げて下さい。あなたが私の知らない所で危険な目に遭うなんて耐えられません」
「………メル」
今度はコウタが少女の名を呼んだ。
それから、ようやく彼女の手を離すと小さく嘆息して――。
「それについてはごめん。君は《ディノス》の専任メカニックでもあるし、確かに言うべきだったかも」
と、自分の非を認める。メルティアは強く頷いた。
「当然です。それに、さっきのあのキスは何ですか。ロマンチックの欠片もありません。やり直しを要求します」
と、さりげなく無茶を言うメルティアに、コウタは頬を引きつらせた。
「い、いや、けどボクにはあれが限界だよ」
「何を言っているんですか。コウタはやれば出来る……と言うより意識しない方が出来る子です。それにもう一つ」
そこでメルティアはぶすっと頬を膨らませた。
が、すぐに表情を改めて、遠い場所で宙に浮かぶ水色の機体を見やり、
「あの宙に浮かぶ機体。恐らく《九妖星》ですね。しかし――」
一拍置いて、メルティアはじいっとコウタを見つめた。
「コウタ。もしかして《ディノス》の調子が悪いのですか?」
いきなりそんなことを訊いてくる。
コウタは眉根を寄せた。
「いや、そんなことないけど……どうして?」
と、逆に尋ねてみると、メルティアは少し眉をひそめた。
そしておもむろに語り出す。
「少しだけですが《ディノス》とあの機体の戦いを見ていました。確かに恐るべき鎧機兵です。一度分解してみたいぐらいです」
と、そこで一呼吸入れ、
「ですが、いくら強敵だと言っても《ディノス》の戦い方は少し不自然に見えました」
「ふ、不自然って……?」
コウタは眉根を寄せた。別に自分は不自然な行動などしているつもりはない。
なにせ今対峙している彼女は、あの《九妖星》の一角なのだ。手を抜けばあっさりやられてしまうほどの操手なのである。
コウタとしては、普段と変わらない戦闘をしていたつもりだが……。
「何となくですが、動作一つ一つに対して覇気が足りないような感じでした」
メルティアは容赦ない批評を下す。
「相手はあのラゴウ=ホオヅキと同格の相手なのに、あの男に対するような緊迫感が《ディノス》の動きにはありませんでした。まるで《ディノス》自身が戦いたくないと叫んでいるように感じ取れました」
「………う」
コウタは呻いた。確かにそれはあるかもしれない。
結局、コウタはメルティアを筆頭に、身内には甘いのだ。
「うぅ、やっぱりそう見えるのか」
コウタは渋面を浮かべた。指摘され、彼は改めて自覚した。
間違いない。すでに自分はリノを「身内」として認識している。
そんな今更気付いた心情を、コウタと《ディノス》の両方を良く知るメルティアは見抜いたのだろう。
こればかりは流石としか言いようがない。
小さく嘆息し、コウタは、ポツリと素直な心情を吐露する。
「やっぱりリノとは……」
「…………リノ?」
すると、その呟きに対し、メルティアがわずかに眉根を寄せた。
その名は記憶にあった。自己紹介などをされた訳ではないが、確かコウタが『あの女』を呼んでいた時の名前だ。
どうして今、その名前が出てくるのか。
疑問を抱くメルティアだったが、すぐさま気付く。
「……コウタ」
そして少し冷たい声で、メルティアは少年の名を呼んだ。
うなじ辺りがざわついてくる。それは、まさしく女の直感であった。
「もしかして、あの機体の中にいるのは『ニセネコ女』なのですか?」
「……えっ? ニ、ニセネコ?」
訊き慣れない単語に、コウタは小首を傾げた。
対し、メルティアは宙に浮かぶ水色の機体を一瞥して言葉を続ける。
「あの菫色の頭が尖っていた女です。今日出会ったばかりの」
「えっ、えええっ!?」
コウタは驚愕の声を上げた。
「メ、メル? なんで分かったの?」
まさか声も聞かずに、それに気付くとは思わなかった。
すると、メルティアは頬に片手を当てて溜息をつく。
「……やはりそうなのですね」
嫌な予感は的中した。そもそもコウタが躊躇する敵は大抵女性だ。
どうやら今回も例外ではなかったらしい。
とは言え、
(しかし、あの女が《九妖星》の一人ですか)
正直、想定外の事態であった。コウタにいつに間にか言い寄ってきた泥棒猫のようなあの女が、よりにもよって《黒陽社》の大幹部だったとは。
ほぼ会話さえもしなかった知り合いとも呼べない相手。しかし、あのニセネコ女はつくづく自分の天敵のような存在らしい。
が、ともあれ、今はコウタの心情をどうにかするのが先だ。
こんな精神状態で戦場に行かせたくはない。
(仕方ありませんね)
メルティアは未だ困惑するコウタを見やり、
「……私はあの女の素性は知りません」
淡々とした声で話を切り出す。
「あの女が誰であっても気にもなりません。ですが、コウタは違うのですね」
「う、い、いや、そ、それはさ……」
思わず言葉を詰まらせるコウタ。
まさに想定通りの反応をする幼馴染に、メルティアは小さく嘆息した。
続けて少しだけ思案し、
「コウタ。とりあえず、あのニセネコ女を『捕縛』しましょう」
と、渋々といった口調で提言する。
打倒という言葉よりも、ずっと受け入りやすい言葉のはずだ。
「え? ほ、捕縛って……」
コウタは目を丸くした。
一方、メルティアは仕方ないといった面持ちで。
「コウタの甘さは良く知っています。敵であっても、やはりあの女を傷つけたくないのでしょう? ならば捕えるまでです」
そう告げた。要は『目的』を差し替えたのだ。『打倒』ではなく『捕縛』。
これならばコウタも少しは戦いやすいだろう。
(まあ、戦う事には変わりませんが)
ついでに、あの女を少しぶちのめすのもいいかもしれない。
内心ではそんなことを思いつつ、メルティアは話を締めて次の行動に移した。
コウタの脇をすり抜けて《ディノス》の操縦席の奥へと進むと、操縦シートの後ろ側に座り、後ろ壁から彼女専用のティアラを取り出して額に装着した。
それからコウタを見据えて――。
「それに正直な気持ち、私の《ディノス》が実力を発揮できないまま、押されるのは我慢できません。きっと《ディノス》だってそう思っています」
「……はは、そうだね」
メルティアの台詞に、思わずコウタは苦笑を浮かべた。
彼女の職人としてのプライドは意外なほど高いのだ。
だが、同時に反省もする。
メルティアの言う事は正しい。自分の迷いに加え、《ディノス》が十全でなかったのは事実だ。そんなコンディションで敗北されては彼女も納得いかないだろう。
そもそも、敗北などあってはいけないのだ。
なにせ悪竜の騎士《ディノ=バロウス》は、最強の鎧機兵なのだから。
「では、コウタ」
そして彼の幼馴染は言う。
「行きましょう。あの女に私達の《ディノス》の力を見せつけるのです」
◆
宙空を泳ぐ《水妖星》は真直ぐ《ディノス》の元へ向かっていた。
大きく尾びれを動かして「海水」とかき、どんどん加速する。
そしていよいよ悪竜の騎士の背後に届こうとした時、
――ズガンッッ!
突如、雷音が轟き、《ディノス》の姿はかき消えた。
が、《水妖星》が先程まで《ディノス》がいた場所を過ぎ去った直後、ズズンッと後方から重い着地音が響いた。
『……ふむ』
リノは《水妖星》を大きく旋回させて軌道を変えた。
そして目の前の機体を改めて見据える。
処刑刀を右手に携えた、黒い竜装の鎧機兵。
同僚より《悪竜顕人》の二つ名を贈られた少年の操る機体。
(……ほう)
リノは軽く目を剥いた。恒力値は先程と変わらないが、眼前の悪竜の騎士の立ち姿が随分と変わったように見受けられたのだ。
『何か心境の変化でもあったのか? コウタよ』
と、リノが問うと、コウタはふっと笑った。
本当にリノは勘が鋭い。心境の変化をあっさり見抜かれてしまった。
『……まあね』
彼の背中には今、守るべき者であり、同時に最も頼りにしている少女がいる。
先程までとは士気に天と地ほどの差があるのは当然だ。
「……メル。それじゃあ行くよ」
「はい。コウタ」
少女に声をかけてからコウタは改めて《水妖星》を見据えた。
そして――。
『ここから本番だよ。リノ』
静かなる自負を抱き、黒髪の少年騎士は告げる。
『約束通り、この機体が最強であることを証明するよ』
そして主人の意志に応え、悪竜の騎士は処刑刀を薙いだ。




