幕間二 無双の時間
「――くそ! なんてしつこい!」
自分の人生とは、こうもままならないモノなのか。
眼前の光景を目の当たりにして、ゲイルは思わず舌打ちした。
そこは、王都パドロから少し離れた森の中。
無事《ディノ=バロウス教団》の従者を郊外に逃がし、命令を果たしたゲイルだったが、突如鳴り響いた轟音に目を剥き、その場に様子を見に来たのだ。
するとその場所には――。
「奴らはどこまで追いかけてくる気だ!」
およそ数十機にも及ぶ鎧機兵達が入り乱れて戦っていた。
その集団の特徴は、肩当てに黒い太陽と逆十字を重ねた紋章――《黒陽社》の社章である《黒き太陽の御旗》の紋章を掲げる黒い鎧機兵と、白を基調にした装飾が施された主に騎士型で構成される鎧機兵隊の二派だった。
重い剣戟音が鳴り響き、時折木々の欠片が飛ぶ。敵味方双方ともに、半ば大破した機体の姿も見受けられる。森の一角は完全に戦場と化していた。
今や対人による市街戦から、郊外での鎧機兵戦へと戦況は移行していた。
まさか、ここまで執拗な追撃戦をしかけてこようとは――。
戦場を見据え、ゲイルは唇を噛みしめた。
「くそ! 奴らの指揮官は俺達に恨みでも持っていたのか!」
そうとしか考えられない執拗さだ。
だが、どうであれこのままでは撤退もままならない。
木々を隠れ蓑にして自身の愛機を召喚し、戦闘準備に入ったゲイルは長大な槍を構える一機の鎧機兵に目やった。白に近い薄桃色の色彩を持つ騎士型の鎧機兵。二本角と赤い兜飾りがついたヘルムが特徴的な、かなりの重装型の機体だった。
その機体は容赦ない槍の一撃で、僚機を次々と戦闘不能へと変えていった。
そして時折、少女のような声で指示を飛ばしている。あの機体の操手はどうやら若い女のようだ。状況から鑑みてこの女こそが敵の指揮官に違いない。
(ならば、あの女を討てば撤退も容易になる!)
ゲイルはそう判断し、操縦棍を握りしめ、愛機を動かした。
支部長補佐という立場のゲイルだが、彼の愛機は幹部に与えられるような特別な機体ではない。だが、それでも上級の機体ではある。
恒力値は一万三千ジン。その姿はオーソドックスな騎士型。しかし、バランスの良い万能型でもある鎧機兵が剣を片手に地を駆ける。
このゲイルの機体こそが、現戦場において自軍最強の鎧機兵だった。
ゆえに、ここはゲイルが突破口を切り拓かねばならなかった。
(――行くぞ!)
ゲイルの覚悟が伝わり、彼の愛機が重心を低くして加速する。
そして巨大な手に携えた剣が狙うのは、敵の指揮官の首級だった。
――ガギィン!
しかし、敵も指揮官。甘くはない。
二本角の騎士は槍を身構えて、ゲイルの機体の斬撃を受け止めた。
ギリギリと二機は鍔迫り合いをする。が、その時、近くにいたエリーズ国の鎧機兵が敵の指揮官の救援に向かってきた。
(――チイ!)
舌打ちするゲイル。
戦場において一対一などあり得ない。僚機もゲイルの危機に気付き、救援しようとするが、それは別の敵機に妨害されてしまった。
流石にマズイ状況だ。
『うおおおおおッ!』
ゲイルは裂帛の気合を吐き、敵の指揮官の機体を押しのけた。
そして大きく仰け反って体勢を崩した二本角の鎧機兵は一旦無視して反転、迫りくる敵機を迎撃しようとする――が、
『……甘いですね。犯罪者』
突如響いた、まるで少女のように可憐なのだが、冷淡でもある声に息を呑んだ。
続けて背筋が凍りつく。不穏すぎる気配が背後から伝わってきた。
そこでゲイルは自分の失態に気付く。体勢を崩したように見せたのは、もう一機の鎧機兵に注意を向けさせるためのフェイクだったのだ。
(し、しまった!)
ゲイルは慌てて愛機を振り返らそうとするが、それはあまりにも遅かった。
――ガゴンッッ!
繰り出された槍の一撃に、ゲイルの機体の右足は射抜かれた。
ガクンッと機体が大きく傾く。右足――特に膝の部位を半ば以上抉られて重心を保てなくなったのである。
『く、くそおおおおおッ!』
そしてゲイルの絶叫も虚しく、機体はズズンと背中から地に伏せた。
膝関節部は鎧機兵の最大の弱点だ。この部位を破壊されると、鎧機兵はその巨体を支えきれなくなり、倒れるほかなくなってしまう。
それは重々承知していたと言うのに、みすみす破壊されるとは……。
(くそくそくそッ!)
ゲイルは操縦シートを殴りつけた。
忌々しいが、これで自分は事実上の戦闘不能だ。
突破口を開くつもりが、返って自軍の足手まといになってしまった。
一方、敵の指揮官は少しばかり上機嫌なようだ。
二本角の鎧機兵は槍を降ろして、ゲイルの機体を見やると、
『機体からして恐らく副官クラスですか。戦果としてはそこそこですね』
そんな独白のような声が聞こえてくる。
ゲイルはギリと歯を軋ませた。
続けて周囲を見渡すと、多くの同僚達が捕え始めている。力量差……というより数で最初から劣っているのだ。その上、眼前の機体のような強者もいる。
捕縛された者は、自分を含めて逃走は難しいだろう。
ならば、せめて今無事である者達だけでも逃がさせなければならない。
『――お前達!』
ゲイルは自分達を見捨てる指示を出すため、声を張り上げようとした。
捕縛されていても現状では最高指揮官と言ってもいい人物の声に、各僚機が戦闘状態のまま、耳だけを傾ける。
それを感じ取ったゲイルが大きく口を開いた――その時だった。
『――なっ!』
思わず目を見開き、ゲイルは息を呑んだ。
『お、お嬢さま……』
そして唖然とした声を上げる。
彼の視線の先。そこには支部長であるリノの姿があった。
ただし、彼女一人だけだ。周囲にはあの黒髪の少女の姿はない。
恐らくゲイルが護衛した従者同様、安全圏まで《教団》の盟主を送り届けた足でこの場にやってきたのだろう。
「やれやれ、無様じゃな、ゲイルよ」
リノは花園でも歩くかのように、戦場を進む。
突如、現れた美しい少女に、リノの存在を知る《黒陽社》の社員達は勿論、騎士団まで思わず戦闘をやめた。
シンとした空気が、月光が注ぐ森の一角に訪れる。
少女が降り立った木々に覆われたその広場は、まるで彼女のために用意された清廉な舞台のようでもあった。
明らかに普通ではない、人外を思わせるほど美しい少女。
誰もが息を呑む。が、そんな中、騎士団の指揮官たる女性が口を開いた。
『……あなたは何者ですか?』
淡々とした声には、わずかばかりの緊張感があった。
しかし、リノはその声には答えず――。
「……流石に不愉快じゃのう。ここまで舐められてはな」
ただ、自分が抱く感情だけを呟く。
確かにこの国の騎士団を侮っていたのは事実だ。それを反省したからこそ、すぐさま撤退も決めた。そのことは正しい判断であると今でも思う。
しかし、だからといって、こうもただの騎士達に調子に乗られては苛立ちを隠せないのも正直な気持ちだ。《妖星》の誇りがいささか以上に傷ついた。
「……少し方針を変えるか」
リノはポツリと呟いた。続けてバサリとスカートを翻すと、大腿部に括りつけた儀礼剣をすっと抜刀した。彼女の愛機の召喚器だ。
騎士達は警戒し、黒服達は『おおッ、支部長が……』『まさか、リノさまに参戦して頂けるというのか!』と感嘆の声を上げた。
月明かりで輝く刃を片手に、リノは妖艶に笑う。
「森の国の愚かなる騎士どもよ」
そして短剣をかざして深追いしすぎた追手に宣告した。
「これより無双の時間じゃ。《妖星》の称号を冠する者の恐ろしさ。その身で味わってもらうことにしようかの」




