第三章 学校へ行こう!②
魔窟館の地下一階。
広大な面積を持つ、通称『メルティア工房』にて。
「…………ふう」
紫銀の髪の少女――メルティアは小さく溜息をこぼしていた。
そして眼前を仰ぎみる。
そこには《悪竜》を模した鎧機兵が鎮座していた。
メルティアの作品であり、コウタの愛機――《ディノス》だ。その機体は今、特殊な機具で固定されており、ゴーレム達がせっせと白い液体を吹きかけていた。
「……作品ナンバー128。《ディノ=バロウス》」
メルティアは眼前の機体の正式名称を――《悪竜》の真名を呟く。
この鎧機兵は設計から製造までメルティアが行い、コウタのためだけに創り上げた特別な機体だ。彼女の数ある作品の中でも紛れもない最高傑作である。
しかし……。
「確かに基本性能は高いです。けれど」
メルティアは再び嘆息した。
高性能ではあるが、最強ではない。
それがメルティアの抱くこの機体の印象だった。
「やはり恒力値の低さが問題です。コウタは口に出しませんが、明らかに物足りない顔をしています」
恒力値六千四百ジンは、決して低い値ではない。
しかし、彼女の幼馴染は、それでは満足いかないようだ。
自分のイメージに機体がついてこない。
言葉にしなくとも長い付き合いからそう思っているのが、よく分かる。
「……まさか、コウタの操手としての才能があれほどとは思いませんでした」
それは、メルティアの率直な気持ちだった。
あの少年が心の奥に『力』への憧れ――いや、まるで妄執に近い念を抱いていることには気付いていた。彼の過去を鑑みれば当然とも言える。
彼女の父、アベルは復讐を考えているのではないかと危惧して一時期、コウタを鎧機兵などの『力』から遠ざけようとしていたが、メルティアの考えは違った。
恐らくコウタは『復讐』と言うより、失うことを警戒しているのだ。
だからこそ、どんな敵にも決して負けない『最強の力』を彼のために創ってあげようと思った。それがこの《ディノ=バロウス》なのである。
なお《悪竜》を模したのは、かの魔竜が単体では最強の存在だったからだ。
「……ですが……」
メルティアは悩ましげに眉をひそめて、自信作であるはずの機体を見上げた。
まさか、この機体でなおコウタの才能に追いつかないとは……。
「グレイシア皇国の《七星》のようにS級《星導石》が欲しいところですが、流石にお金がかかりすぎます」
鎧機兵の動力炉である《星導石》にはランクがある。
そして現在、《ディノス》に内蔵されているのはB級上位《星導石》。
メルティアはまだ家督を継いでいない身。資金にも限りがある。
耐久度の高い鎧装や、人工筋肉や鋼子骨格などの機体性能ばかりにコストをかけ過ぎたこともあり、それ以上の《星導石》が手に入らなかったのだ。
だが、そうだとしても……。
(せめてA級ぐらいは手に入れたかったです)
自分の無計画さを反省するメルティア。
しかし、そこですんなり諦めるつもりもなかった。
恒力値を上げる方法は他にもあるはず。
そう思い、何度か試行錯誤をして今回の実験に踏み切ってみたのだが――。
「……失敗です」
メルティアは大きな胸を揺らして肩を落とした。
正直、あまり芳しくない結果だった。
「《悪竜》モードにはまだ欠陥があります。改善するにはやはり――」
胸を支えるように腕を組み、そう呟いた時だった。
――バンッ!
と、いきなり工房のドアが勢いよく開けられたのは。
メルティアは瞳を瞬かせた。
「……コウタ?」
工房のドアを開けたのはコウタだった。
メルティアの前では笑みを絶やしたことのない少年は、今はもの凄く切羽詰まった表情を浮かべて仁王立ちしていた。
「ど、どうしたのですか、コウタ?」
何やらただ事ではない雰囲気にメルティアがそう尋ねると、コウタはつかつかと近付いてきて、グッと彼女の両肩を掴み、
「メル! 今から学校に行こう!」
いきなりそんなことを言いだした。
「え? どうしてまた学校なんて――きゃあっ!?」
メルティアが悲鳴を上げる。
唐突に腰を掴まれ、少年の肩に持ちあげられたのだ。
「話は後だよ! それよりまずは学校に行くよ!」
「え? え、待って下さい。私が――学校?」
完全にコウタに拉致される寸前のメルティアは、ひたすら困惑していた。
しかし、少年は返答もせずメルティアを担いだまま走り出した。
工房を出て階段を上がる。
高速で変わる館の光景にメルティアは目を丸くした。
(が、学校? 騎士学校のことですか? しかしどうして私が……)
状況がまるで分からない。
が、事態は彼女にとって最悪の方向に向かう。
それは、玄関ホールに辿り着いた時。
「じゃあ、館を出るよ!」
と、コウタが告げた瞬間だった。
ドクンッ、とメルティアの鼓動が跳ね上がった。
『……ふん。《星神》の次はまた獣人族か。まさに雑種だな』
『アシュレイ家は相変わらずだな。女ならば誰でもいいのか?』
『これだから成り上がりは……。獣なんぞめとって貴族の誇りもないのか』
かつて投げつけられた言葉が、次々と脳裏に蘇る。
ドクン、ドクンと。
鼓動がさらに早くなる。
背筋に悪寒が走り、全身が異常に強張った。
愕然とした表情で前を見やる。
ここ数年、一度もくぐったことのない扉。
館の入り口のドアが、まるで魔獣のアギトのように思えた。
「い、いや……」
そして唇から恐怖が溢れ出す。
「いやああああああああああ――――ッ!!」
突如上がったメルティアの絶叫に、コウタはギョッとした。
「メ、メルッ!?」
「降ろして! 降ろしてッ!!」
渾身の力で暴れ始めるメルティア。
ただ、痩身に見えても鍛えてあるコウタはビクともしない。
が、それに対しますます暴れる少女に、コウタは慌てて彼女を床に降ろした。
するとメルティアは、その場で膝を抱えて泣きだした。
「い、いやぁ……お外はいや……」
まるで幼児のような独白。
コウタは、ただ唖然として立ち尽くしていた。
「な、なんで……」
そしてメルティアはボロボロと涙をこぼす顔を上げて――。
「なんで、コウタが、い、意地悪、するの……」
「メ、メル……」
少女の怯えきった眼差しに、コウタは愕然とする。
こんな表情をするメルティアは初めてだ。
そこでコウタは、ようやく自分の無神経さを思い知った。
メルティアは理由もなく館に引きこもっている訳ではない。
そのことは、話としては聞いていたはずなのに……。
(くッ! ボクはなんてことをッ!)
ギシリ、と歯を軋ませるコウタ。
数分前の自分を殴りたい気分だった。
「……ごめんメル。ボクが悪かった」
そして心から謝罪するが、メルティアの瞳から恐怖の色は消えない。
それどころか怯えきった彼女は背を向け、館の奥へ走り出そうとした。
「いや、外はいやあっ!!」
「メ、メル!」
コウタはハッとする。
――ダメだ! ここで彼女を行かせてはいけない!
ここで何もしなかったら、きっとメルティアに二度と会えなくなる。
彼女との絆を失ってしまう。そう直感した。
(い、嫌だ! そんなの嫌だッ!)
灼きつくような焦燥に駆られたコウタは、逃げ出そうとするメルティアの腕をグッと掴むと、有無を言わさず少女を抱き寄せた。
そして後ろから、彼女の肩と腰を掴んでギュウッと力を込める。
唐突のことにメルティアは息を呑み、大きく目を見開いた。
「コ、コウタ……?」
唖然として少年の名を呟く。
すると、コウタの抱擁はさらに強くなった。
ただ、ひたすら強く抱きしめる。
それに対し、メルティアは黙り込んだ。
「……ごめんメル」
そして強い悔恨の念と。
何よりも、ありったけの愛しさを込めて。
黒髪の少年は真摯に願う。
「謝るよ。だから、お願いだから逃げないで」
「…………」
そう懇願する少年に、メルティアはしばし無言だった。
二人だけのホールに静寂が訪れる。
そして、数十秒が経ち……。
「……コウタは、馬鹿です」
ようやくメルティアは、ポツリと呟いた。
「……ごめん。本当にごめん……」
コウタはそれしか言えなかった。
メルティアは少年の腕にそっと触れた。
そして――。
少年の腕の中で、メルティアは静かに泣き続けた。