第六章 すれ違う運命①
時間は少し遡る。
そこは王都パドロの大通り。二人の少女――リノとサラは、騎士団に追われる身でありながら堂々と街道を歩いていた。
容姿こそ目を惹くが、それ以外は完全に一般人の様子である。
時折、美少女二人に声をかけてくる男達もいたが、それは年長者であるサラが丁重に断り、二人の少女は順調に街の外に向かっていた。
「もうじき日が暮れるね」
ふと、サラが街の様子を見据えて呟く。
この通りは露天商が多い。夕暮れ時となり、人通りも少しばかりまばらになりつつあるためか、幾つかの店は早々と店仕舞いしようとしていた。
「うむ。門までまだ少し距離があるが、夜ともなれば退避も容易になるじゃろう」
と、隣を歩くリノが言う。
それに対し、サラは「そうね」と笑った。
「この呉越同舟も、そろそろ『船着き場』に着くということね」
そう言って、黒髪の少女は再び周囲を見渡した。
近くには特に騎士の姿も見当たらない。あるのは一般人が歩く姿だけだ。
結局のところ、大きなトラブルもなかった。
恐らくジェシカの方も上手く逃走していることだろう。
サラは、ちらりと自分より背の低い蒼いドレスの少女を見やる。
この年齢で支部長だと言う少女は、臆することもなく大通りを進んでいた。
(……認めたくはないけど、《黒陽社》はやはり優秀ね)
と、内心で思う。
同時にそれは敵対すると厄介な組織でもあるということだった。
友好関係を維持すべきという考え方は、間違ってはいなかったようだ。
サラは不本意ではあるがそう確信する。
と、その時だった。
「サラ殿」
不意にリノがサラを見上げて、声をかけてきた。
その表情は少しばかり真剣なものだった。
サラは面持ちを引き締めて「どうしたの?」と尋ね返す。
すると、リノは少しだけ視線を泳がせて、
「いや、実はの。街を出る前に少しだけ寄りたい所があっての……」
「……寄りたい所?」
サラは眉根を寄せてリノの台詞を反芻する。
それは、何かの重要な拠点に立ち寄らなければならないという事なのだろうか。
今回の騎士団の襲撃は、当然だが予定外の事態だ。もしかすると支部長として回収しなければならない資料などがあるのかもしれない。
と、真剣に考えるサラだったが、彼女の思考を察したのか、リノは少し気まずげにパタパタと手を振り、
「いや、そう大層な話ではない」
と、前置きしてから、
「この街を出れば、わらわたち――《黒陽社》は、戦況を見極めてから撤退することになろう。恐らくわらわがこの街に戻ることはない」
「…………」
サラは無言のまま少女の声に耳を傾ける。
リノはますます気まずげな様子になりつつも言葉を続けた。
何故か、彼女は先程から路地の一角をちらちらと視線を向けている。
「だ、だからの。ここの近くにある、とある風景を目に焼き付けておきたいのじゃ。この街での思い出と共にの」
そんな乙女チックな台詞を吐く《妖星》の一人に、サラは軽く目を剥いた。
要するに、この蒼いドレスの少女は、パドロを出る前に思い出の場所を見ておきたいとサラに『お願い』しているのだ。
(……へえ)
サラは、内心で小さく感嘆した。
最強の戦士である《九妖星》といえど、やはり少女なのか。
そして、少し恥ずかしがる素振りを見せるリノを、まじまじと見つめた。
リノの所属する《黒陽社》にはわだかまりもあるが、この少女自身はサラの身に起きた事件とは一切関係ない。正直嫌う理由などなかった。
そう考えれば、年下の少女に対して警戒心も薄れるというものだった。
サラは親しげに笑う。
「そっか。うん。その程度なら構わないよ」
すでに追手の姿もない。むしろここであえて観光客のような行動を見せるのは、周囲の目を誤魔化す効果もあるだろう。
何より、意外と可愛いこの少女の『願い』を無下にはしたくない。
「偽装効果もありそうだしね。けどあまり時間はないからね。数分間だけだよ」
と、前屈みになってお姉さん風を吹かせるサラに、
「うむ。感謝するぞ。サラ殿」
リノは素直に礼を言った。なにせ、自分の我儘に『お客さま』を巻き込もうとしているのだ。流石に彼女も気まずいと感じていた。
が、すぐに天真爛漫の笑みを浮かべるとサラの手を引き、
「こっちじゃ! サラ殿」
そう言って、路地裏の方へと駆け出した。
引っ張られながら、サラは何となく今は亡き『弟』のことを思い出した。よく村では幼い弟とこうやって手を繋いでいたものだった。
当時すでにサラは、その少年の兄と恋人――婚約関係にあったのだが、気が早いと言うべきか、恋人の弟はサラのことを『姉さん』と呼んでいた。
まあ、そもそも彼が生まれた時から頻繁に面倒を見ていたので、ごく自然とそう呼ばれていただけかもしれないが。
(けど、それもあの子自身に訊いてみないと、もう分からないことよね)
もうあり得ないことを思い浮かべ、サラはしんみりとする。
と、そうこうしている内に、サラとリノは緩やかな坂道に辿りついていた。
リノの話では、この先の高台に小さな公園があるらしい。
「まるでデートスポットのようね」
と、サラが素直な感想と告げると、リノは少しだけ頬を赤くした。
その様子に、サラはすぐさま状況を察した。
(ああ、なるほど。そういうことね)
黒髪の少女はふっと口元を綻ばせる。
どうやらリノの言う思い出とは、別に彼女の一人のものではないらしい。
「……ふふ。リノちゃん」
サラはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あなた、ズバリここって、気になる男の子とデートした場所なんでしょう!」
そして、ビシッと指を差して半ば確信している推測を告げた。
するとリノは頬を赤く染める……こともなく、あっさりと返した。
「うむ。確かにそうじゃが?」
「え? あ、うん、そうなの」
あまりにも肩すかしな反応に、サラは呆気に取られる。
普通ならばもう少し面白い反応を見せてくれるのだが、どうも彼女は違うらしい。
サラはあごに指を当てると、少し考えて――。
「ねえ、もしかしてリノちゃんって、もう恋人がいるの?」
すでに、リノには公然の恋人がいるのかもしれない。
自分で言うのも何だが、サラが幼馴染の恋人にプロポーズされたのは八歳の時だ。流石にそれは普通でないとしても、小さな村では十代で結婚はよく聞く話だ。十四歳ならば別に恋人がいてもおかしくはなかった。
すでに相手がいるから、今さら恥ずかしがるようなこともない。
そう思ったサラだったが、リノは長い髪を揺らしてかぶりを振った。
「いや、おらぬぞ。わらわはこれまで男と付き合ったことはない」
と、堂々と告げた。
サラは小さく「へえ」と呟いた。多少の偏見もあるが、犯罪組織に所属する少女でありながら、意外とリノは身持ちが固いようだ。
「しかし、恋には興味はあるぞ」
「あ、そうなんだ?」
サラはかなり興味を引かれた。
まさかそんな話まで聞けようとは。思っていた以上に『女の子』らしい。
「じゃあ、リノちゃん。ここに一緒に来た男の子って?」
と、話を最初の指摘に戻す。
すると、リノは「うむ」と頷き、少女に相応しい笑みを見せてこう告げる。
「わらわの愛する男じゃ。強い男じゃぞ。いずれわらわを奪う者。そして、わらわのすべてを捧げると決めた男なのじゃ」




