第八章 暗き洞から生まれしは――。①
『……はッ!』
ワイズは皮肉気に顔を歪めた。
『わざわざ、一人でお待ちになるたぁ相変わらずの自信ですな』
ズシン、と愛機に地面を踏みしめさせ、ワイズは吐き捨てる。
『ふふ、自信という訳でもないさ』
対するハワードも皮肉気に笑った。
『むしろ、私はお前の力をかなり高く評価しているぞ。お前が相手では、私の部下では足手まといになりかねんからな』
だからこその一人だ、とハワードは告げる。
その評価に、ワイズは思わず渋面を浮かべた。
『はン。そりゃあどうも』
と、鼻を鳴らして、ワイズは伯爵の機体を睨みつける。
『だがよ、なのに、あっさり切り捨てんのはあんまりじゃねえですかい?』
評価の割には、あまりにも非情な扱いだ。
それなりに友好な関係を築いていただけに納得いかない。
すると、ハワードは愛機に肩をすくめさせて答えた。
『流石に領民を好き勝手に攫う連中など領主として放置は出来ん……という大義名分はあるのだが、まあ、それは私の本音ではないな』
『……へえ』
ワイズは興味深そうに眉根を寄せる。
『なら、旦那の本音って奴はどこにあるんで?』
『いやなに。簡単な話だ』
ハワードの《ラズエル》が大矛を横に薙ぐ。
ブオン、と巨大な刃に煽られ、突風が吹き荒んだ。
『正直、お前とは一度本気で殺し合ってみたかったのだ。出会った時もやり合ったが、あの時のお前はかなり疲弊していたようだしな』
そんなことを告げられ、ワイズも流石に目を丸くした。
伯爵の退屈を紛らわせる遊び相手として、自分もお眼鏡に適っていたらしい。
『けッ、そいつは光栄なことですな』
だからといって嬉しくもないが。
ワイズは《ダグン》に、少しずつ間合いを詰めさせた。
当然、その動きにはハワードも気付き、《ラズエル》に警戒させる。
『ここまで追い込んでやったんだ。死に物狂いで来てくれ』
と、ハワードは気安い口調で告げてくる。
ワイズは、静かに歯を軋ませた。
(……この苦労知らずの坊ちゃんが。舐めやがって)
苛立ちが強くなるにつれ、徐々に表情を消していくワイズ。
愛機・《ダグン》も膝を曲げ、重心を沈めていく。
すでに二人の間に言葉はない。ここから先は殺し合いだ。
そして――遂に《ダグン》が動き出す!
一足飛びで間合いを詰める《ダグン》に、《ラズエル》は大矛を身構えるが、
――ズガンッッ!
突如、響く雷音。《ダグン》が直前で《雷歩》を使い、真横に軌道を変えたのだ。
大きく横に間合いを外す《ダグン》。
続けて両斧に恒力を収束させ、《飛刃》を飛ばした。
しかし、それは《ラズエル》の大矛の一振りで迎撃される。
恒力の刃は霧散し、突風だけが白い機体を打った。
(けッ! やっぱ飛び道具は効かねえか……)
ワイズはすっと双眸を鋭くする。
これは予想通りだ。本命は別にある。
ワイズは愛機に再び《雷歩》を使わせた。
轟音が鳴り響き、一瞬で間合いを詰める《ダグン》。続けて浅黒い機体は、両手の斧で乱打を繰り出した。右から左。縦から横にと息つく暇もない連撃だ。
『……ほう』
その猛攻を前に、ハワードが感嘆の声をもらす。
《ラズエル》の武器は大矛。大剣に長い柄を持つこの武器は、分類としては長物になる。接近戦に持ち込むのは定石であり、ベストな選択だった。
(流石に戦闘勘はずば抜けているな)
完全に防戦になりながらも、ハワードは余裕の笑みを見せる。
(だが、甘いぞワイズ)
残念ながら、この程度の乱撃では《ラズエル》の防御は崩せない。
それに数こそ多いが、攻撃そのものはさほど重くもない。
機体の性能差が、無情なほどはっきりと出ていた。
(これはしまったな。もう少し弱い機体を用意すべきだったか)
少し後悔するが仕方がない。今もワイズの愛機は嵐のごとく攻撃を続けているが、ハワードは急速にワイズから興味を失っていた。有利な接近戦であって少しも防御を崩せないようでは、これ以上の期待は出来ないだろう。
(結局、刺激は得られなかったか。まあ、所詮は盗賊ではな)
ハワードは失望と共に苦笑を浮かべた。
そして、同時に《ラズエル》が、ズシンと地面を踏みつけた。
『な、なに!?』
直後、ワイズは目を剥いた。
いきなり地面から衝撃波が放たれ、《ダグン》が大きく弾き飛ばされたのだ。
『て、てめえ! 何をしやがった!』
『《地裂衝》と言う。恒力を地表に走らせて放ったのさ』
そう告げて、ハワードの愛機は刺突の構えを取った。
『接近戦に対し、何の対策も持っていないとでも思っていたのか?』
そして――ズドンッ、と。
轟音と共に火花が散り、《ダグン》の右腕が肩から粉砕された。《ラズエル》の刺突が容赦なく炸裂したのだ。
『――ぐう!』
顔を強張らせるワイズ。
彼の愛機は大きく吹き飛ばされるが、どうにか地面に着地した。
対し、ハワードは無表情で《ダグン》を見やり、
『さて。何かこの戦況を覆すような目新しい闘技は持っていないのか?』
と、問いかけるが、かつての執事は何も答えない。
――いや、答えられないのだ。
ワイズは所詮盗賊だ。傭兵などと違い、戦闘は本業ではない。
多少の技は持っているが、そんな都合のいい切り札までは擁してなかった。
『少々期待しすぎたか。ならばこれで終わらせるぞ』
すうっと大矛を水平に動かす。
必殺の刺突の構えだ。ワイズは舌打ちした。
『――くそがッ!』
そして急ぎ間合いを外そうとするが、すでに遅い。
一気に加速した《ラズエル》は躊躇もなく《ダグン》の胸を貫いた。
《ダグン》は胸に大矛を突き立てられたまま、ガリガリガリと直線状に地面を削り、ようやく失速する。
『――ガハッ!』
ワイズは大きく吐血した。
愛機を貫いた大矛は、彼の右肩にも深く喰い込んでいた。
滝のように流れ出る血が、《ダグン》の操縦席を赤く染め上げていった。
恐らく数十秒の内に息絶えるほどの出血量だ。
『ああ、すまない。殺し損ねたか』
と、ハワードが告げる。
本来ならば、ワイズを即死させるはずの一撃だったのだが、直前で《ダグン》が動いたため、狙いが逸れてしまったのだ。
『望むのならトドメを刺すが、どうする?』
と、ハワードが淡々とした口調で尋ねる。
別に哀れむような声色ではない。ただの気まぐれの情けだった。
『けッ、いら、ねえよ。ボケが』
対するワイズは、忌々しげに吐き捨てた。
『くそったれが……やっぱ、俺の、悪運は、尽きて、たか』
この結末は、ある意味予測できていた。
それでもわずかな希望に縋って、ワイズはここに来たのだ。
しかし――やはり結末は覆せなかったようだ。
(だがよ)
それでも、ワイズは笑う。
このまま何も残さずに死ぬつもりはない。
『最初、から、俺に勝ち目が、薄い、のは分かって、いたよ。だからよォ、俺は、俺の命を、餌にして、《悪竜》を、おびき、寄せた、のさ』
いきなりそんなことを語り出すワイズに、ハワードは眉根を寄せた。
『……何を言っているのだ、お前は?』
もしや、死を目前にして狂ってしまったのか。
しかし、ワイズはいちいち説明などしない。
『くははは、ははははッ、あんたは、きっと、俺に感謝、するぜ。てめえの、心に、俺の名を、刻みつけて、やらあ……』
そこで「ガハッ」と、大きく吐血するワイズ。
だが、迫る死期にも構わず、彼は凄惨な笑みを見せた。
今こそが、ワイズの人生最後の見せ場だからだ。
『くはははは、ははははッ、俺の名は、グリッド=ワイズ!』
そして、ワイズは断末魔の代わりに絶叫を上げた。
愛機である《ダグン》も左手の斧を雄々しく天にかざす。
『忘れるな! ハワード=サザン! 忘れるんじゃねえぞおおおおおォォ!!』
その直後、半壊した《ダズン》は、ズズゥンと仰向けに倒れ伏す。土煙を上げて横たわる機体。それ以降は、ワイズはもう何も語らなかった。
恐らくすでに絶命したのだろう。
ハワードは訝しげに眉をしかめて、倒れ伏す鎧機兵を凝視した。
『……世迷い言だったのか?』
死に際に《悪竜》などとは、妄執にでも囚われたのか。
ハワードはしばしかつての部下の機体に目をやるが、
(……ふん。考えても仕方がないな)
そう判断し、戦場を後にしようとした――まさにその時だった。
――ズズウゥゥン!!
『ッ! なにッ!』
凄まじい轟音と衝撃波が、森を揺らした。
いきなり遥か上空から、何かが飛来してきたのだ。
(な、何事だ!)
ハワードは鋭い面持ちで、濛々と立ち込める砂煙に目をやった。
そして数秒後、ようやく晴れたその場所には――。
「な、なん、だと……」
ハワードは唖然とした声を上げた。
そこにいたのは、一言で言えば『怪物』だった。
竜頭を象った手甲。天を突く黒い角。その手には処刑刀を握りしめ、全身が紅い炎に覆われた獣のような騎士。一応、鎧機兵のように見えなくもないが、その姿は、まるで伝説にある三つ首の魔竜――《悪竜》のようだった。
(な、何だ、こいつは……)
ハワードは静かに喉を鳴らした。
続けて《万天図》を起動させる。もしこの炎を纏う怪物が鎧機兵だというのならば、恒力値が表示されるはずだった。
(な、なに……)
そして、ハワードは大きく目を瞠った。
(恒力値――七万超えだと!)
あまりにも馬鹿げた数値に、ハワードはただただ呆然とした。
一体、こいつは何者なのか。その正体が分からない。
(……いや、待てよ)
ハワードは、ふと眉根を寄せた。
その時、ワイズの最後の言葉が脳裏をよぎったのだ。
あの男は、自分を餌にして《悪竜》をおびき寄せたと言っていた。
あれは、死の間際の世迷い言などではなかったと言うのか。
(……《悪竜》、か)
ハワードは、静かに眼前の怪物を見据えた。
一方、魔竜のような鎧機兵もハワードの《ラズエル》を見据える。
そうして沈黙の中。
二機の鎧機兵は、互いの姿を凝視するのだった。




