幕間二 月夜の森の散策
ズシン……と。
重い足音が周囲に響く。
そこは月に照らされた森の中。まるで小さな草原のように開けた広場だ。
そして今、その場所を一機の鎧機兵が歩いていた。
白を基調にした鎧装に、金色の紋様を刻んだ軽装型の機体。三角状の尖剣に、長い柄を取りつけたような大矛を右手に携えた、騎士型の鎧機兵だ。
その機体の名は《ラズエル》。
恒力値は一万八千ジン。サザン家に代々伝わる強力な鎧機兵だった。
当然、その操手は現サザン家の当主。ハワード=サザンである。
「ふふ、よい月だな」
ハワードの操る《ラズエル》は足を止め、おもむろに夜空を見上げた。
月は満月ではないが、ほぼ円を描いている。
雲も少ないため、実によく映える月夜である。
(―――む)
しかし、その時だった。
不意に遠くの空が、明るくなったのだ。
静かな闇と、穏やかな月光が人工の無粋な光に塗り潰されていく。
「……これは何ともタイミングが悪いな」
ハワードは、わずかに眉をしかめた。
折角の見事な景観だというのに台無しだった。
とは言え、これも自分が立てた計画だ。
それに文句を言うのは流石に我儘というものか。
「……ふむ」
ハワードは目を細めて、人工の輝きを放つ場所を見据えた。
現在あそこでは、ルッソ率いるハワードの部下達が、グリッド=ワイズとその部下を捕縛――いや、あわよくば殲滅するために陣取っているはずだ。
唐突なことに、ワイズ達はさぞかし困惑していることだろう。
「すまないなワイズ」
そう呟いて、ハワードは口角を崩した。
「私には、お前の案を受け入れる気は最初からなかったのだよ」
ワイズが提案した手段はシンプルなだけに効果的だ。実際に気丈だった女が、見る影もなく従順になったのを、この目で何度か確認している。
しかし、それでは面白くない。
ワイズは、ハワードの求める『刺激』の本質を若干勘違いしていたのだ。
別に、ハワードは支配欲が強い訳ではない。
むしろ対等な者を――いわゆる『好敵手』を求めているのである。
ましてや、伴侶とする女ならば、人形のように従順な者よりも、心の中に刃を持っているような女の方が魅力的であり、彼の望む相手だった。
最初からハワードは、リーゼを人形にするつもりなどなく、むしろマシュー=レイハートの腹心――すなわち、獅子身中の虫として迎い入れる気だったのだ。
何故ならば、そちらの方が遥かに刺激的だからだ。
「……ワイズよ」
ハワードは静かに笑う。
「お前が裏で小金を稼いでいたことに、私が気付かないと思っていたのか?」
ここ数年、サザンでは若い女の行方不明者が増加の傾向にあった。
ハワードは領主としても優秀な人間である。当然、異常があれば調査する。
そしてその結果、行方不明者の約四割が、ワイズ一党の仕業だと発覚したのだ。
元々、サザンは越境都市の名で知られる大都市。人の行き交いも極めて多いので多少の失踪者も問題ないとでも思ったのか。
「……ふん。愚かすぎるぞ。ワイズ」
ハワードは、ここ数年のことを思い浮かべて目を細めた。
出会いは街道だった。何やらボロボロだったワイズ一党が、金目の物を狙ってハワードの乗る馬車を襲撃したのだ。
まあ、結果としては、ハワード自らの手で返り討ちにする事になったのだが。
身の程知らずの盗賊。別に始末しても良かったのだが、ワイズが思いのほか面白そうな人材だったので、その場で雇ったのである。
実際に、ワイズ達はかなり重宝した――のだが、
「悪いが、主人に隠れて獲物を喰らう犬など飼う気はないのでな」
そんな輩は、いずれ主人にも咬みつく。
獅子身中の虫は望むところだが、堪え性のない狂犬では話は別だった。
そんな連中は、部下としても敵としても価値などない。
だからこそ、最後にもう一度利用してから、処分しようと考えたのだ。
「ワイズよ。お前達には陳腐だが悪役を演じてもらうぞ」
――ズン、と。
ハワードの操る《ラズエル》が石突を地面に打ちつけた。
身代金目当てにリーゼ=レイハートを狙う盗賊団。
それが、ハワードが、ワイズ達に押し付けた配役だった。
実のところ、あの別荘にアシュレイ家の令嬢もいると聞いた時点で、ハワードは即断していたのだ。こうすることで、ハワードはレイハート家とアシュレイ家。二つの公爵家に恩を売ることが出来る。ワイズ達はそのための生贄だった。
無論、マシュー=レイハートやアベル=アシュレイ。恐らくリーゼ=レイハート本人もいかにも不自然なこの展開を訝しむかもしれない。
しかし、それでも恩は恩だ。これは大きな楔になる。
今後のマシュー=レイハートとの、交渉の手札程度には使えるだろう。
ハワードは皮肉気に口角を歪めた。
「まあ、どうせあの娘はまだ婚姻を結べる歳ではない。ゆっくり交渉するさ」
最初から、長期戦は覚悟の上。
縁故関係を結ぶ前の『義父上』との前哨戦と思えば、これも楽しいものだ。
そして今宵の狩りは、その長き戦いの開戦の狼煙だった。
「お前は本当に重宝したよ。ワイズ」
ハワードは、ここにはいないかつての部下に語りかける。
それと同時に、《ラズエル》は大矛を勢いよく横に薙いだ。
夜の草原に、突風が舞い上がる。
しばらくぶりの実戦だが、愛機の動きに澱みなどない。
「だからこそ――」
ハワードは一か所だけ光輝く空を見上げて笑った。
「せめて苦しませずに逝かせてやろう」




